読書

09読書058・059 疾走(上)(下)

『疾走』(重松清、角川文庫)を読んだ。


これも「シゲマツ」作品なのだなぁ。思春期の者の心を丁寧な表現で書き表すという点では共通点があるのだが、まったくもって異質なものを感じた。どちらかというと、40前後のサラリーマンが主人公の作品と似ている。もっと具体的に言うと『哀愁的東京』かな・・・。


最後の最後だけは確かに「感動」である。(裏表紙に「感動のクライマックス」とある)でも、そこ以外はどす黒い感情が頭の中だけでなく、体全体を覆ってくるのだ。それなのに上下巻ともすぐに読み切ってしまうのだから不思議なものだ。だからこそ自分は「シゲマツ」作品が好きなのであるが。

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09読書057 雑学日本一だよ!長野県

『雑学 日本一だよ!長野県』(加瀬清志、信濃毎日新聞社)を読んだ。


「読んだ」というより「見た」という本だ。関ブロの出し物を考えるにあたり、ブックオフで105円で購入した本でもある。


ただ、じっくり読むとかなり面白い。クリームパンの生みの親のこと、百名山のこと、そして母校の校歌のこと。「見た」という割には時間がかかったほどだ。


これは売ってしまうにはもったいない。とりあえず本棚に眠らせておこう。

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09読書056 友だち地獄

『友だち地獄 -「空気を読む」世代のサバイバル』(土井隆義、ちくま新書)を読んだ。読んだのが29日で6日も経っている。その上、読んだのが列車の中だった。白昼夢と読書の区別がついていなかったかもしれないが、確かに読んだ記憶だけはある。


読んでいて感じたことは、自分も“友だち地獄”世代なのかもしれない、ということだ。


自分の場合は友だちがほしいとかは思わないのだが、なんだかハジけた雰囲気の場が苦手である。そして、そういう場を白けさせてしまっているのではないかと感じるときも度々ある。ただそう感じているだけなのかもしれないが、なんでそんなに「楽しい」っていう雰囲気が浸れることができるの?って思うのである。


だから読み終えて感じたのは、「いじめられなくてよかった」だったのだ。


もし本書で書かれていることが、今の子どもたちの中に「ある」としたら、生きにくいだろうな。少なくとも自分は耐えられない。

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09読書054 半落ち

手をつけてはいけない、手出し無用!  ・・・と心に決めていたのに、手を伸ばしてしまった。そして、一気に・・・。


『半落ち』(横山秀夫、講談社)を読んだ。


300ページあって、せっかく6つの章に分かれているのに、一気に全部読んでしまうなんて。でも、そういう一冊。


誰にでも「梶」のような境遇になる可能性はある。でも、誰もが「梶」になれるわけではない。今の自分も不可能である。

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09読書053 朝2時起きで、なんでもできる!

『朝2時起きで、なんでもできる!』(枝廣淳子、サンマーク出版)を読んだ。


ここのところ早くに起きず、だらだらしていた自分の生活。そんなときにはこんな本が読みたくなる。今回もブックオフで見つけた100円本だ。


さて、著者は同時通訳者の方。(実際にはいろんな顔をお持ちのようだ)ご主人の留学を機に、同時通訳者を目指されるのだが、その中で朝2時起きの生活が定着していく。


「2時起き」という前提部分が書かれた後は、あとは「2時起き」ということはほとんど出てこない。出てくるのは同時通訳者を目指す中で試した学習方法や、通訳養成学校から同時通訳者になるまでの過程、そして同時通訳者になってから執筆時までの活動の広がりである。でもそれがまたおもしろいのだ。著者のバイタリティーというのかパーソナリティーがそのまま活字になっている感じがする。


ただ、読んでいても「すごいなぁ」と感心しているだけで自分は何ができるだろうと考えられない「自分」がいる。まだまだ娯楽として本を読んでいるのだなぁと反省してしまった。まずは生活習慣を見直すところから始めたい。

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09読書052 いじめの構造

『いじめの構造』(森口朗、新潮新書)を読んだ。


スクールカーストという考え方は聞き及んでいたが、実際に本書を読んだのは今回が初めて。かなり具体的な提案までされていて驚いた。


読み終わって、自分も著者に近い考えなのだと感じた。現代社会においてはかなりラディカルな思考だと捉えられているのだろうが、子どもたちのほほえましい姿だけ学級通信などで発信している現在の状況は、セールスマンが売り込みたい製品が他社製品よりすぐれているところだけしゃべって、デメリットの部分を説明していないのと一緒だと思う。自分はそんなセールスマンは信用しないから、クラスにおいても負の部分も情報公開してしまっている。


子どもたちの「陰の部分」のことを熟慮して書かれているのが本書ではないかと思うのだ。そして、それはまた子どもたちの実態・実感に近いものだとも思うのだ。


きれい事だけを並べる現場感覚とは違うものなのかな。自分としては本書のような考え方が一般的になってもらいたいのだが。

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09読書051 顔

『顔 FACE』(横山秀夫、徳間書店)を読んだ。


完全にはまった横山作品。今回が3つめの出会いとなった。今朝読み始めて、昼寝を挟んで夕方には読み終えてしまった。


先に読んだ『臨場』がかなり印象深かったので、どうしても比べてしまった。あとは主人公が若い女性だから親近感が湧かなかったとも言えるかもしれない。


これらを差し引いても、やはり面白かったと言える一冊だった。

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09読書050 臨場

『臨場』(横山秀夫、光文社)を読んだ。


3月に『クライマーズハイ』を読んで、横山作品に惚れてしまった。以前、ブックオフに行ったとき(身近な所に店がないのが悲しい…)に、100円コーナーに並ぶ著作を買ってきた。今回の『臨場』もそんな一冊。


8つの短編に分かれている本作。読み始めたのは、昨日の夕方。組合が終わったのが早かったので、公園でそのまま留まって読み始めた。そうしたら止まらなくなって、夜も読んで、今朝も読んで・・・。結局、読み終えた。


『クライマーズハイ』で横山作品に「惚れ」て、今回の『臨場』で完全にはまってしまった。そして、『顔』に続くのである・・・。

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09読書049 アルジャーノンに花束を

『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス、小尾芙佐 訳、早川書房)を読んだ。


初めて読んだのは10年ほど前。大学の生協で見つけて買ったと思う。それから4回の引っ越しがあっても手放すことなく、ずっと所持してきた。教採試験では、印象に残る一冊として面接官に想いを伝えた。
“「頭がよくなる」ということは幸せなのかどうか考えさせられた”
と・・・。


そして再読した31歳の自分。かつてと違う感じ方をした。


“「頭がよくなる」ということは・・・”と同じだった。ただ、主人公チャーリーは物語の初めと終わりで同一の状態だと感じた前回と違って、まったく別人のチャーリー・ゴードンになったのだと感じた。そして、全てを経験したチャーリーは幸せなのではないかと思えたのだ。


また、知識だけではどうにもならないことが沢山存在することも感じた。これは『学び合い』の考え方に出会ったという読み手である自分自信のバックグランドも影響していると思いながら読んだ。


そして、やはり、自分にとって色々なことを考えさせてくれる物語なのだと改めて思った。

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09読書048 「大人」がいない…

『「大人」がいない…』(清水義範、ちくま新書)を読んだ。


自分がずっと気にしている“人格の完成とは”、“大人とは”ということに関係しているかと思い購入した一冊。


「大人」であることの良さ・悪さ、「大人」でないことを良さ・悪さの表があったり、歴史的な側面からの大人考(大人「論」ではない)があったりして、自分の考える余地のなかったことを考えさせてくれた本だった。


また、最終章のところには、
悪い状況の下では、その状況を受け入れて耐えてみせる、というのが「大人」というものだと思うのだが。
(本書197ページより引用)

とある。


ここまではっきりと書いてあるところも珍しい。ここは著者の強い想いが込められていると言うことか。

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09読書047 イギリス型<豊かさ>の真実

『イギリス型<豊かさ>の真実』(林信吾、講談社現代新書)を読んだ。


どなたかのブログでその感想を読んで買った一冊なのだけれども、先日読んだ『雇用はなぜ壊れたのか』同様、自分の全く知らなかった世界のことを知ることができた。


イギリスのことについて書かれているのはもちろんだが、ヨーロッパ型の福祉体制とアメリカ・日本の比較も折に触れて説明されている。読めば読むほど、日本はどうなんだ?と考えさせられた。

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09読書046 明日の教室2

『明日の教室2 学級をつくる』(「明日の教室」研究会 編)を読み終えた。


数日に分けて読み進めていたが、今朝、一気に読み終えた。まだ「1」も読み終えていないのに・・・。


でも、このシリーズは読み終えておしまい、ではなく、これから辞典のように今後の教職生活で何回も何回も参考にしていくものである。そしてそして、この本のすごいところは、それぞれのページに“参考文献”がしっかりと載っているところだと思う。


筆者の方々のブログを拝見したときに、今までにない形式で執筆するのに苦労した(苦労しているであろう)という言葉を目にした。本を読むと、確かに今までにないスタイルの本である。でも、そのスタイルの中に、必ず“参考文献”のためのスペースが割かれているのだ。


執筆時点の筆者の考え、哲学が書籍となっているのだが、どういう経緯・背景があってそのような考えに至ったのかが参考文献を見れば分かるのだと思う。だから、この本は「辞典のように何回も何回も参考にしていく」のとともに、この本をきっかけに学びを広げていってほしい、という先輩教師からのエールでもあるのだと思う。

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09読書045 ハッピーエブリデイ

『ハッピーエブリデイ』(廣瀬裕子、大和書房)を読んだ。


著者の本を実は2冊持っている。今回の本はブックオフで見つけた一冊。読書と呼んでいいのかどうかわからないのだが、読み終えたときに気が軽くなる。自分にとって、欠かせない本である。


この『ハッピーエブリデイ』も、写真と言葉が織り交ぜられて、これから自分が何回も繰り返し読む本になることまちがいなしだ。

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09読書044 雇用はなぜ壊れたのか

『雇用はなぜ壊れたのか ―会社の論理vs.労働者の論理』(大内伸哉、ちくま新書)を読んだ。


組合の仕事に生かせるのではないかと考えて購入した一冊。でも、かなり刺激的だった。


大学卒業後、すぐに教職に就いたために、小学校入学以来ずっと「学校」というところにしか身を置いていない自分。狭い了見しか持ち得ていないのだと思うが、こうして一般的な企業の“雇用”についての本を読むと、あらためて自分は何も知らないなぁと考えさせられる。そう考えるきっかけになるだけ自分にとって価値のある一冊なのだと思う。


肝心の組合にからめても、貴重な資料を得ることができた。

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09読書043 学ぶ意欲の心理学

『学ぶ意欲の心理学』(市川伸一、PHP新書)を読んだ。夏休みに再読することにした。それぐらいの本である。


何が「それぐらい」に値するのか。


自分の知らなかったことが書かれている、あるいは、ぼんやりしていたことがはっきりと書かれている、という点で「おもしれーなー」と思いながら読んだのである。


なれる自己を広げておくことは、結局自分の自由度を広げることになる


これなんかは、「何で勉強する必要があるの?」ととかく思いがちな人に伝えたい言葉である。また、


「自律ということは、イコール独立ということではないんだ」


というデシの言葉を引用してもいた。ここから続く文章は『学び合い』に通じるところがある。例えば、はじめから子どもたち同士が立ち歩いていい、相談してもいい、という授業になったときに、「そんなのまずは自分で考える必要がある」という人もいる。しかしながら、本書の言葉を借りれば


「こういうふうな援助をしてほしい」と思って頼んでやってもらうという時には、自律心は損なわれないわけですね。


なーるほど。自分の意志で人に頼るのであれば、それも「自律」なのだ。確かにそうだ。自分の判断で動くのだから。それをしないで、自分で考えろ、というのは指示を出して否応なしに一人で考えさせるのだから自分の意志で動こうとする力は育たない。



などなど、いろんなことを考えながら読書を愉しんだ。やはり、夏に再読する一冊だ。

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09読書042 となりのクレーマー

『となりのクレーマー 「苦情を言う人」との交渉術』(関根眞一、中公新書ラクレ)を読んだ。


新書本ではあるが、娯楽本として読んでも楽しめるだろうなぁという一冊。こんなクレーマーがいるのだなとにわかには信じがたい内容である。


自分にとっては、学校現場におけるクレーム処理について考えさせられる一冊となった。


教師・医師ともに、申し入れに対し、あまりにも「まじめ」に取り組みすぎてしまう


という言葉に深くうなずいてしまった。自分みたいに不真面目な人間は何か要望があったときには生徒指導として必要なもの以外は、なんとなくの返答をしているのだが、きっと困り果ててしまう同僚もいることだろう。なんでもかんでも真面目に取り組んでいたら、本業の方がおろそかになってしまう。


だいたい現代は、子どもたちに毎週上履きを持ち帰らせようとしてしても、
「先週洗いましたから、持ち帰らせないでください」
という“要望”が保護者から寄せられる時代である。保護者からの「申し入れ」も様々であることは容易に想像できる。

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09読書041 まともな人

『まともな人』(養老孟司、中公新書)を読んだ。久しぶりの養老節(?)を味わった。そうは言っても全てが理解できたわけではないので、まだまだ未熟だなぁと感じた。


さて、以前(ずいぶん前になるが)読んだ『バカの壁』でもたしか書かれていたと思うが、「個性」について言及されている。


自分は「個性」という言葉が嫌いである。個性ってなんだ?とも思うのである。それについて養老氏の考えは明解。「個性」=「身体」である。「個性」≠「心」なのである。このことが本作でも書かれていた。


歯ごたえのある、顎を鍛える読書となった。

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09読書040 組織を変える「仕掛け」

『組織を変える「仕掛け」 正解なき時代のリーダーシップとは』(高間邦男、光文社新書)を読んだ。


組合のイベントにどうすれば参加してもらえるか、どうすれば参加した方が前向きな気持ちで過ごせるようになるか、それらの課題意識を持って読み終えた。


読後に課題を達成するための具体的なアイデアは浮かんでこなかったが、自分がまだまだ知らないことがたくさんあることを痛感した。組織を活性化させる手だてについてであり、活性化した組織があることについてでもある。

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09読書039 エルマーのぼうけん

『エルマーのぼうけん』(ルース・スタイルス・ガネット 作・絵、渡辺茂男 訳、福音館書店)を読んでいる。(以前、ブックオフで購入した。なんと250円!)


「読んでいる」というのは、毎晩読み聞かせの時に読んでいるから。もう少しで終わるところ、である。


自分が子どもの頃に読んだ記憶がなければ、読んでもらった記憶もない。でも今の小学生や保育園児はほとんどの子が知っている作品ではないかと思われる。自分も今回初めて読んでみて、そのユニークなトラブル解決(?)を毎回楽しみにしている。


息子たちは長男がかなり内容がわかってきているようで、絵が少ないながらも話そのものを楽しんだり、ドキドキしたりしているようだ。一昨日あたりは、おっかない動物が出てくるから読まないで、と言ってきたほどである。(毎回、おもしろい解決方法なので、今では楽しみにしている)


うれしいのは、長男が
「エルマーはお父さんに読んでもらう」
と言っていること。


どうしても妻が絵本を読むことが多かったのだが、今回の作品だけはお父さんの役目なのである。おかげでそのまんま一緒に眠りに落ちてしまうのだが、なんとも至福な夜のひとときを過ごさせてもらっている。


続編も買いたいな。

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09読書038 不機嫌な職場

『不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか』(高橋克徳+河合太介+永田稔+渡部幹、講談社現代新書)を読み終えた。


今の職場について考える、というよりは、組合の仕事とリンクさせて考えながら読み進めた。どうしたら組合のイベントに参加したいと思うか、参加したときに参加者同士のコミュニケーションが深まるにはどうすればいいか、という観点からの読書となった。


また、後半部では職場の事例がグーグルなど3つ出てきているが、歯科医院の例がもっとも学校現場にはあてはまるのかなと思った。教室に行きたいと思えるような仕掛け、居心地がよくなる仕掛け、子どもたちが率先してクラスをよくしようとする仕掛け、などなど、歯科医院で働く人々を子どもたちに置き換えて考えるとかなり具体的なアイデアとなった。


すでにクラスで実践している「クラス会議」の「いい気分・感謝・ほめ言葉」も少しバージョンアップできるネタが思い浮かんだ。さっそく今週の学活で話してみようと思う。

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09読書037 野中信行のブログ教師塾

『野中信行のブログ教師塾 「現場」を生き抜くということ』(野中信行、学事出版)を読み終えた。


昨日の昼下がりに1ページずつゆっくりと読み進めたが、
「あぁ、こういう記事あったなぁ。」
としみじみ思い返しながらの読書であった。


     ◆


本をいただいてから、約3週間。
ちょっとずつ読み進めていたのだが、あらためて野中先生が「日常」を大事にされていることを感じた。


「当たり前のことを当たり前に行うことこそ難しい」
とはよく言うが、とにかく行動に移していくことで、難しいとか云々を言っていないところにただただ頭が下がるばかり。


この間、自分もクラスの中で、自分の気が弛んでいると感じることがあった。
それが、「プリント」である。


子どもたちに配られたプリントが、きちんと折られていないものが多々あったのである。入学時からしばらくはきちんと折りたたむように指示していたが、イチバン最近できちんと言ったのは思い出せない・・・。こういうことがまずいよなぁ。


子どもたちにきちんと伝えて、子どもたちの中から「きちんと折りたたまなきゃ」と声が出てくるクラスにしたいと考えるきっかけをもらった読書であった。

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09読書036 人間の覚悟

『人間の覚悟』(五木寛之、新潮新書)を読んだ。


難しかったぁ~、という感想。大人な本であった。


初めて著者の作品を読んだけれども、他の本もこんな感じなのだろうか。齋藤孝氏の言葉を借りれば「顎を鍛える」読書だと思う。それに仏教の知識もふんだんに織り交ぜられている。こういう本を少しでも理解しながら読める大人になりたいものだ。

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09読書035 日本の教師に伝えたいこと

『日本の教師に伝えたいこと』(大村はま、ちくま学芸文庫)を読み終えた。


「伝えたいこと」が自分には伝わったのだろうか。読み終えて、著者の考えは理解し、すばらしい実践だと思うが、自分にできるかと問われれば自信はないし、かなりの覚悟がいるのではないかと思うと実践しようとは正直なところ、思えない。

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09読書034 「R25」のつくりかた

『「R25」のつくりかた』(藤井大輔、日経プレミアシリーズ)を読んだ。



異業種の話っておもしろいなぁ。
小山龍介さんの『スタディハック』を読んだときも面白かったけど、その本に出てきた“ブルーオーシャン戦略”が頭をよぎった。こうして本と本がつながるんだなぁ。おもしろい経験をした。


     ◆


さて、この「R25」。本県では手に入れることはできないけれど、ネットで時折記事を読むことがある。その創刊にいたるまでの過程から、今自分が関わっている教職員組合の仕事とを関連させながら読み進めた。


こういった異業種の本から受ける刺激はかなり多い。それを何とか組合の方にいかしたいと思うのだが、肝心なのは自分の本気度なんだろうなとも感じた。


もっともっと自分の仕事に真摯に向かわなくては!!

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09読書033 お母さんは勉強を教えないで

『お母さんは勉強を教えないで 子どもの学習にいちばん大切なこと』(見尾三保子、草思社)を読んだ。


面白かった。グングン読み進めた。


『学び合い』に通じるところがあると思うのだが、暗記だけで進めてしまいがちが学校教育に警鐘を鳴らしている一冊である。ただ、著者の言う「引き出し教育」はあくまでも教える者がいて引き出していく。自分の考え方としては子どもたち同士で引き出しあっていけると思うのだが、このあたりはもっと自分の実践が必要だ。


あと、自分の立てる授業の目標設定を少し考えるきっかけともなった。子どもたちが本当に理解することをめざす目標を設定し続けなくては、という刺激をもらったのである。





夏休みに再読したい一冊だった。

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09読書032 モデル失格

『モデル失格 ~幸せになるためのアティチュード~』(押切もえ、小学館101新書)をサッと読んだ。久しぶりの読書だったので、ちょっと軽いところから助走を始めたかったのだが、それにピッタリ。でも、著者のまじめな生き方には刺激を受けた。


全然知らなかったのだけれど、読者モデル出身だったんだな。自分が「読者モデル」と聞くと、ちょっと昔の女子高生ブームだろうか。著者もその女子高生向けの雑誌のモデルだったらしいから、ちょっとイメージが変わった。

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09読書031 教育改革の幻想

『教育改革の幻想』(苅谷剛彦、ちくま新書)を読んだ。


「こども中心主義」の“失敗例”と言っていいのだろうか、アメリカのカリフォルニア州のことが取り上げられている。さすがにまずいだろうというのが自分の感想。


読んでいて気になったのが、この本に書かれていることと『学び合い』とが関連づけて捉えられてしまったら批判的に思われる可能性が高いということだ。『学び合い』は「こども中心主義」ではない。あくまでも「教師主導」なのである。それはこれまでの実践上確信がある。


本に書かれているようなカリフォルニアの例を読むことができたのは、自分にとって非常によいタイミングで、よい情報だった。

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09読書030 キッパリ!

夕飯の食後、ちょっとゴロンとしたくなって寝室の本棚にあった一冊を手に取った。それが『キッパリ! たった5分間で自分を変える方法』(上大岡トメ、幻冬舎)である。


3年ほど前に売れたのは知っている。けれども中を見たのは初めてだった。当時勤務していた学校で、ある同僚同士の会話にこの本が出てきていた。
「あの本は立ち読みで済ますものだ」
とは読書家の元同僚の一言。


今回、初めて手にとって、はじめと終わりを読み、目次を眺めてから30分くらいでざっと読んでしまった。大事だなぁと思うことはあれど、時間をかけて読むものでもないなというのが感想。これからはちょっと気分を変えたいときに手に取ろう。

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09読書029 ブレイブ・ストーリー <下>

『ブレイブ・ストーリー』(宮部みゆき、角川文庫)を読み終えた。なんだかんだで細切れ読みだったけれども、もう最後は「一気」だった。それだけページをめくるのも早くなったし、待ちきれないと想いながらめくってもいた。


万事ハッピーエンドではない結末に複雑な想いを抱いたが、それが「現実」なのだ、と思えた。そして、この本はあくまでも大人向けの作品であると感じた。ある程度、人生の階段を上がってきたからこそ得ている読後の充実感であろう。


とはいえ、子どもたちにも体験させたい作品であることも確か。昨年だったか一昨年だったかアニメ映画化されているから、もうDVDは出ているのだろうか。ぜひとも一緒に見たいものである。

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09読書028 ブレイブ・ストーリー 中

『ブレイブ・ストーリー <中>』(宮部みゆき、角川文庫)を読了。


だんだん結末が見えてきた気が・・・。それでも、幻界と現界の関係性はなるほどなぁと思ったり、話の設定が現代社会に通じているように感じさせたり、と著者の作品は初めてだけに「宮部ワールド」をしばし堪能。


早く<下>も読み終えたい。そのための時間を作り出さねば。あぁ、時間がほしい。

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09読書027 ブレイブ・ストーリー 上

『ブレイブ・ストーリー 上』(宮部みゆき、角川文庫)を読んだ。


いやぁ、長い長い。まだまだ〈中〉〈下〉と続く。そう思うと台詞の部分だけ拾い読みしながらどんどん進めていった感じがする。


冒頭部分はかなりシンドイ印象が強かったけれど、それでもどんどん読み進めるペースが上がって、後半は一気だった。


この先どうなるのだろう。そんなことが気になって、そのとき歩いていた街で急遽〈中〉を購入した。読んでみよっと。

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09読書026 〈傷つきやすい子ども〉という神話

『〈傷つきやすい子ども〉という神話 トラウマを超えて』(ウルズラ・ヌーバー 著、丘沢静也 訳、岩波書店)を読んだ。


『「か弱き、純真な子ども」という神話』に載っていた本なのだが、確かに子ども時代が全てを決定するというような「常識」に疑問を投げかける本であった。


子どもの頃、特に、年齢が低い頃に叱られたり、ほめられたり、といろんな経験をしておくことがいいと思う。今は年齢が低い頃にできるだけ叱らない方がいいとか、ほめて育てるべきだとか言われることが多い。そして厳しく叱られたことはトラウマになるという。果たして本当なのだろうか、と常々思ってきた。今回、この本を読んでみて、ますます疑問が膨らんだ。


世間の風潮とは別に様々な視点を自分に持っておくことが大切である。

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09読書024 趣味は読書

春休みを含めて、ゆっくり本を手に取る時間がなかったなぁと反省。そんな中、『趣味は読書』(斉藤美奈子、ちくま文庫)を読了。


著者のことをこれまでまったく知らなかったが、かなり著名な方らしい。そして、今度、地元紙に毎週日曜書評欄があるのだが、その選者にもなっている。


書き方は口語体がほとんどで、軽いジョークも織り交ぜながら(軽くないかも)なので、かなり面白い。そして、ネタばらしも。「ネタばらしはこのへんで」とか書きつつも、最終的には別の形でネタバレするように書かれているのもあったりして、笑える。


新聞での書評はこんな風に書けないよなぁと思いつつ、淡い期待を抱いてしまう。

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09読書023 クライマーズハイ

3連休の最終日の朝、『クライマーズハイ』(横山秀夫、文春文庫)を読み終えた。確か連休初日に読み始めたので、時間がかかってしまったが、最後はもう「一気読み」だった。


今年度、映画化されて、御巣鷹山と新聞記者、そして実際の山登りというキーワードは知っていたけれども内容はほとんど知らなかった。


読み終えた今、何とも言えない感情がある。


読み進めているときには寂しさ、切なさ、うまくいかないもどしかさを抱いていたけれども、最後には涙を流しながら読み終えたのだから不思議で仕方がない。ハッピーエンドというわけでもないのだと思うが、そこかしこの言葉一つに涙腺が・・・。これは年齢からくるものなのかわからないが、読んでよかったと思える一冊であったことはたしかだ。


同じ作者の『半落ち』も読んでみようかしらん。

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09読書23 哀愁的東京

『哀愁的東京』(重松清、角川文庫)を読んだ。


年度末ということを言い訳に、最近読んでいなかった。今日は電車で移動することがあったので、一気に読み終えた。でも、重松作品としてはあんまり読み進めていなかったなあと感じた一冊。


読んでいるときの印象が「重い」という感じがしたのが、今までとの違いだろうか。

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09読書022 受験勉強は役に立つ

『受験勉強は役に立つ』(和田秀樹、朝日新書)を読んだ。


著者も文中に書いているが、これだけのことをストレートに書くというのはなかなかもって「すごい」と思う。けれども書かれていることの多くが的を射ていると思うだから不思議である。


果たして「学力」とは何なのか。「学歴」社会は今、どうなっているのか。いろいろなことを考えながら読んだ。その中でも、生きていくためのノウハウを受験勉強で身につけていく、養っていくという考え方は自分自身にもあてはまるだろうと思って読み進めた。

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09読書021 娘が東大に合格した本当の理由

『娘が東大に合格した本当の理由』(隂山英男、小学館101新書)を読んだ。読みたいと思いつつもなかなか中古物件にならず買えなかった。ようやく買えて月曜日に届いた一冊。


月曜日の夜、一気に読み上げてしまった。特にアウトプットに使いたいという意識はなく、どんどん読み進めたためだ。それでも娘さんの書いてある後半部分のさらに終わりにある言葉に惹かれた。


勉強するということは自由になるということだ


深い言葉だと思う。娘さんは高校の図書館でこの言葉に出会ったそうだ。本では以下のように続く。


時事ニュースを聞いて理解できない不自由、言葉がわからず外国人に話しかけられても何も言えない不自由、将来の選択が限られる不自由、そんな不自由から解放されたくて、勉強に向かったのかもしれません。


ここまで読んで、自分より10歳ほども違うのに、はるかに大人だと思わされる。驚くことにまだ続く。


前より少し自由になって思うことは、経験した不自由な感覚も忘れてはいけないということです。


脱帽である。

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09読書020 人は見た目が9割

『人は見た目が9割』(竹内一郎、新潮新書)を読んだ。


教育の陥穽という観点から、一つ補足する。私たちは、子どもの頃小学校の先生に「人を外見で判断してはいけない」と教えられた。それは「人は外見で判断するもの」だから、そういう教育が必要だったのだ。


おもしろいなぁ、好きだなぁこういう考え方。日本人らしくない感じがする。さらに次のように続く。


逆にいうなら、「人を外見で判断しても、基本的には問題ない。ごくまれに、例外があるのみである」といってもよい。


ここまでくると納得すらしてしまう。


テレビで見る政治家をよく勝手に“判断”している自分だが、当たらずとも遠からず、かもしれない。

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09読書019 五体不満足

『五体不満足 完全版』(乙武洋匡、講談社文庫)を読んでいる。教員採用試験の二次面接で、「読んだ本の中で・・・」というお約束な質問があったとき、この本と『アルジャーノンに花束を』を挙げた。どちらも教育的な観点から、今の自分にも通ずる教育観・教師観を与えてくれた本だと思っている。そして今回、本書を再読しているが、この手の本でありながら付箋紙をつけながらの進め方であるから、まだなお自分にインスピレーションをくれている一冊である。


真の厳しさとは、真の優しさである


この言葉を実体験から語っている著者。「底の浅いやさしさ」(by野口先生)と通じるものがある。果たして自分は愛のある厳しさで日々過ごしているか。くだらない親切心をさらけだしていないか、自戒しなければならない。

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09読書018 きよしこ

昨日の朝読書に向けてカバンから本を取り出そうとしたら「無い・・・」。そう、自宅に忘れてしまったのだ。仕方がないから職員室の机に入っていた『きよしこ』(重松清、新潮文庫)を取り出してきた。もう一冊は『武士道』だったが、ちょっと今はそんな気分ではない。


再読にはなるが、「いい本だったなぁ」という記憶が残る一冊。読み始めて、当時の記憶がよみがえってきた。


まだ全ては読んでいないが、重松作品はなんだかんだで読んでしまう。きっと今夜か明日には読み終えているんじゃないかな。こんなことしているから、仕事に追われるんだが。

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09読書017 できる!と言われる人の習慣術

『できる!と言われる人の習慣術』(中島孝志、知的生きかた文庫)を読んだ。昨日ちょっとしたつもりで読み始めた一冊。あっという間に読んでしまった。


中島氏の本は何冊目だろう?いくつか読んでいるので、似たような仕事術が書かれているのだが、今回は様々な人の「言葉」「格言」が盛り込まれている一冊だった。自ずとそれらに付箋紙が貼られた。


文中でも使える情報でなければ、とっておいてもただのクズである。今回付箋紙を貼った珠玉の言葉たちも自分で使ってみなくては。

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09読書016 「か弱き、純真な子ども」という神話

『「か弱き、純真な子ども」という神話』(和田秀樹、中公新書ラクレ)を読んだ。


自分の思考(嗜好?)の方向は、この本と一緒なんだよなぁと改めて実感。ものすごく現実的なのだと思う。でも、世の中には「子どもかわいそう論」が渦巻いている。野口義宏先生の言葉を借りれば「底の浅い愛がダメにしている」のかもしれない、とも感じている。


『学び合い』では、子どもたちの色々な姿をまざまざと「見せつけられる」が、やはりそれでいいのだとも感じた。





読書ノートにメモすることがたっぷりある。

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09読書015 坂の上の雲

昨夜、『坂の上の雲 一』(司馬遼太郎、文春文庫)を読了した。長男が布団に入ってきて一緒に寝ようとしたがなかなか寝付けず、懐中電灯を持ち込んで読み切ってしまった。


さて、初めて読んだ司馬作品。最初はなかなかペースがつかめずまどろっこしい感じがあったけれども、読み切った今、早く続きを読みたいと思うようになった。好古、真之、そして子規の三人という設定もおもしろい。


ところで、今回この本を読み進めるにつれて、あらためて自分の教養が浅はかなものだと思い知らされた。明治以降の知識が乏しいことに加え、廃藩置県から版籍奉還などの用語を知ってはいてもその内実を知らない。知っていれば『坂の上の雲』がもっと楽しめるのだろうにと感じることが多々あった。自分の浅学さを知り、学び直しの一冊になった。

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09読書014 「教えて考えさせる授業」を創る

『「教えて考えさせる授業」を創る』(市川伸一、図書文化)を読んだ。


「読んだ」のは1週間ほど前だったか、ブログにアップするのを忘れていた。昨日の昼下がり、家族が校庭に遊びに行っているさなか、一人家にこもって読書記録をつけていたら、この本をアップしていないことに気づいた。仕事も遊びも何でもそうだが、「今すぐやる」ことを自分に厳しく命じていないと、必ず何かし損なっていることがあるものだ。改めて反省。


さてさて、「ゆとり教育」転換からくる教育界の揺り戻しは、きっとこの本書で書かれていることだろう。どういうことかというと、“教師が「きちんと」教えて、考えさせる”授業である。


正直なところ、この本に書かれているのは“ハウ・トゥー”であって、方法論である。なんのための方法論か?もちろん『「教えて考えさせる授業」を創る』ための方法論である。だからこそ、このタイトルと書かれている内容は整合性がとれていて、間違っていない。でも、今の自分には物足りない。


理由①
あくまでも教師側から書かれている点。子どもは変わってきている、という考え方は含まれていない。もちろん、筆者の考える子どもたちの学びの問題点も本書に含まれている(152-153頁)が、やはり子どもが能動的に取り組まなければ教師側が「教えた」としても「学び」には至らない。その点では、当たり前だが、集団づくりが先に論じられるべきである。


理由②
「教える」というのは、-略-要するに、「教師から情報を伝える」という比較的限定された意味で使っていることに注意してください。と本書に書かれている。(90頁)教師しかその情報を持ち得ていないのだろうか、という疑問がある。
『学び合い』のブログでどなたかが書かれていたが、やはり「教師」と「子どもたち」が情報を伝えることができる、という考え方ができないものだろうか。そしてそれ自体が理由①にも書いた集団づくりの一つのプロセスとして重要な要素にならないだろうかと思う。




     ◆



こんな偉そうなことを書いておきながらではあるが、以前、職員会でこの本が紹介されたとき、自分のクラスに時折入ってくださる同僚が、
「これって、先生のやってる授業と同じじゃんなぁ。」
と声をかけてくれた。


たしかに、完全なる『学び合い』からシフトを移しつつある今(ある方の言葉を借りれば「潜水艦生活」だな)、言われたようにこの「教えて考えさせる授業」なのかもしれない。


しかししかし、自分の考え方の根底には、「自分だけが教えられるわけではない」という理念のようなものがある。したがって、声をかけていただいたときは、正直うれしさよりも複雑な想いの方が大きかった。

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090215 停滞

最近、『坂の上の雲』(司馬遼太郎、文春文庫)を読んでいる。


司馬氏の作品を恥ずかしながら一つも読んだことがなく、読まなくてはと思い購入。まとまった時間をとれてはいないが、一日の中で少しずつ読んでいる。文体がやはり慣れていないため時間はかかるかもしれない。


     ◆


あまり冊数自体は進んでいない。これは同時進行で数作品を読んでいきたい。ということで、ブックオフオンラインにて注文。7冊で1550円也。これに送料315円を加えて1800円あまりの出費。1冊あたりよりも送料の方が高いというのは癪に障るが、まあ、送料が利益を生み出す大きなシステムになっているのだろう。


『坂の上の雲』自体はまだまだこれからという展開。こちらもぼちぼち読んでいきたい。

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09読書013 「学び」から逃走する子どもたち

『「学び」から逃走する子どもたち』(佐藤学、岩波ブックレット)を読んだ。


「学びの共同体」についての本ではなかった。がっかり。
「学び」からの逃走について、これまでの教育界の変遷などについて書かれていたが、これといって新たな学びがあったとは思えない。


それよりも、「勉強」と「学び」の違いについて、市民講座で出された意見が載っていて、これが実に奥深い。これは参考になった。

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09読書012 やすらぎの住居学

日曜から火曜日にかけて『やすらぎの住居学』(清家清、情報センター出版局)を読んだ。「しつけ」についておもしろい考察を見つけた他にも、本筋である住居学についても自分が持っていなかった視点からの話題が多く、おもしろかった。


     ◆


読んでいて、昔の文学作品などの表現が多用されていると感じた。それだけ住居学以外に教養のある方なのだろうと推察した。自分が今憧れているのがそのような教養のある大人でなのだろう。


もう30なのだから少しぐらい教養があってもいいものなのに・・・。日々精進するしかない。

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09読書011 熱球

『熱球』(重松清、新潮文庫)を読んだ。


昨夜の20時から読み始めて、残りは今朝一気に。なんだろう、重松作品は自分の中の懐かしいモノとリンクする。しかも今回はタイトルが“熱球”、高校野球OBの話でもある。


自分も高校野球OB。しかも県大会は同じく準優勝。さらにさらに、やはり応援団長のような長老がいた学校だった。なんだか心を見透かされている感じがして、すこし恐ろしいぐらいだった。


そんな自分は“再出発”できているのだろうか?

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09読書010 9坪の家

『9坪の家』(萩原修、廣済堂出版)を読んだ。昨年10月頃に読んだ日経アソシエで紹介されていた本の一つ。ちなみに一緒に紹介されていた『やすらぎの住居学』(清家清、情報センター出版局)も一緒に購入した。それだけ最近、家づくりに興味がある。別に建てる予定があるわけではないが・・・。


「9坪」と聞いてもぴんとこないが、約18畳と考えるとなんとなく想像がつく。建坪9坪、延べ床面積15坪だから、かなり狭い。それでも、家は広さがすべてではないことを教えてくれた。土地購入などのやりとりもかなりリアルでおもしろい。


この「9坪の家」が「たてもの探訪」でも放映されたことも知った。見てみたい。

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090201 やっちまった・・・

昨日、ブックオフオンラインで注文した本が届いた。すぐに開封。そして、
「ありゃぁぁぁぁ、ついにやっちまったぁぁぁぁぁ!」
と雄叫びをあげた。


今回は重松作品を2つ注文したのだが、うち一作品は以前読んだものだった。ネットで本を注文すると過去に読んだモノを再び買ってしまうことがあると聞いたことがある。まさに自分が同じことをしてしまった。クールポコばりに叫びたくなった。顔は笑っていたが・・・。


中古本だったからよかった。値段は200円ぐらいだったか。

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09読書009 格差社会と教育改革

『格差社会と教育改革』(苅谷剛彦・山口二郎、岩波ブックレット)を読んだ。苅谷氏と言えば、自分の中では『欲ばりすぎるニッポンの教育』である。あれは未だに印象に残っている。


今回の本はある講演会をもとにしており、そんなに中身が充実しているというイメージはなかったが、読み終わってみれば付箋がたくさんついているから、やはり何かしらインスパイアされるところはあったのだろう。


     ◆


格差、これは実は不平等の問題なんだということですね。


冒頭に出てくる言葉である。「不平等」と置き換えると、イラッとするのはなぜだろう?「経済格差」「文化格差」「地域格差」・・・、いろんな「格差」はあるけれども、これらを「不平等」に置き換えたら・・・。


教育においてできることは、「不平等」から「不利益」を被ることがないようにすること。そして、いろんな子どもたちがいて、いろんな関わりがあるからこそ成長するのだろうし、均質な集団における関わりしかなかったら、懐が狭い人間にしかなれないだろうな。


「格差」を「不平等」であることを受け止め、それをどう克服していくか。なぜ「不平等」が生じるのか、などと後ろを振り向いてあぁだこぅだと評論家になっては前進できない。

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09読書008 公立学校の底力

昨日(26日)現在での読書冊数が8。月10冊ペースで考えると、やや遅いかなぁと思うが、年始の8日ぐらいまで全く読んでいなかったことを思えば、まぁいいほうか・・・。そんな妥協をしながら読み進めたのが『公立学校の底力』(志水宏吉、ちくま新書)。


昨年の暮れに著者の『学力を育てる』(岩波新書)を再読して、初めて読んだ頃の身が引き締まる想いを再体験し、いろいろと考えさせられた。そして、今回もたくさん考えるきっかけを与えてもらった。


本県では私立学校、とくに小・中段階におけるそれはかなり少ない。これからどんどん増えていくのではないかと思ってはいるが、都市部に比べればそれでも遙かに少ないだろう。だからこそ、<私立と公立>と比較して考えられることも少ない。果たしてそれでいいのか?


公立学校という存在がもつ長所・特徴を、三つのわかりやすい言葉で表現しておくことにしたい。「地域性」「平等性」「多様性」が、それである。(本書24ページより引用)


「地域性」というものを最近強く感じている。著者の言葉を借りれば、教員は「風の人」であり、地域住民の多くは「土の人」である。「公立学校の主役はあくまでもその地に住む人々であり、教師はその人たちの奉仕する脇役にすぎないとみることもできる。」確かにその通りである。しかしながら、それならば教師の存在意義とはなんだろう。自分の地元から離れた土地で子育てをしながら「奉仕」するのはなぜだろう。


自分が今もっとも考えていることでもある。


その土地の文化を吸収することを求められているのか。
共に学校を「つくる」ことに「奉仕」していけばいいのか。


そうであるならば、自分は早く地元に帰って、「土の人」の一人として、地域の学校に貢献したい。帰りたくても帰れない、教員になってからずっとそう思い続けている。そして最近は、どうせ帰れないなら・・・、という想いすらある。

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09読書007 文章は接続詞で決まる

『文章は接続詞で決まる』(石黒圭、光文社新書)を読んだ。専門的な内容だったけれども、毎日学級通信を出したり、子どもたちに言葉を指導したりする立場の者として、非常に興味深い一冊だった。


周囲の人がどのような接続詞を好んで使うかを観察することで、その人の性格を占うことも不可能ではありません。その人のよく使う接続詞がわかれば、その人の隠れた性格もわかるのです。
(本書188ページより引用)



自分は「とりわけ」を使うことが多い。

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09読書006 ブラックジャックによろしく

『ブラックジャックによろしく』(佐藤秀峰、講談社)の1~10巻を読んだ。マンガを読書記録に入れていいものか一考するべきではあるが、この『ブラックジャックによろしく』は価値あるマンガだと思う。


そもそも、冬休み中の深夜番組で妻夫木主演のドラマを再放送していて、初めて見たのがマンガ購入のきっかけ。ドラマは結局最後、夜明けまで見入ってしまった。医者(正確には研修医)がかっこよく手術で病気を治すわけでもなく、信頼できる仲間と病院をよくしていくわけでもない。まさに「はいずり回る」ドラマである。


以前、池田先生もこの本(ドラマだったかも?)のことをブログに書かれていた。すんごくわかった。教員の世界にも通ずるものがある。


自分も教員に成り立ての頃と今では考え方がずいぶん違うだろう。染まっている部分が多々あるだろう。そういうものに無意識でいるのか、抗いつつも染まってきているのか、両者には大きな違いがある。自分は前者かもしれない。

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09読書005 わかったつもり

『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』(西林克彦、光文社新書)を読んだ。


読むには読んだ。読んだが・・・。


「スキーマ」という言葉とその意味を理解することができたが、ほとんどは読み飛ばして終わってしまった。しばらく「積ん読」状態にしておこう。

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09読書004 「言語技術」が日本のサッカーを変える

『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田島幸三、光文社新書)を読んだ。


もともと子どもたちの「ことばの力」に関心があり、サッカー界で若手育成に手腕を発揮している著者も同様のことを考えているのではないかと、この本には興味があった。読んでみたら、確かに自分と同様の「危惧」を抱いていることがわかった。


そもそも「ことばの力」とか「言語技術」の定義が自分なりのものであるので一般的ではないが、ことばで自分の感情を表すだとか、人にやってほしいことをお願いするだとか、コミュニケーションツールとしての「ことば」をもっと大事にしていくことが必要であると思う。


ドイツと日本の練習風景を比べてみたとき、まずはっきりとした違いとして私の目に映ったのは、「自分の考えをことばにする表現力」でした。(本書13ページ)


内田樹氏の考え方にも若者が「うざい」「キモい」の単語でいろいろな感情を表現する背景があったが、それに近いものが本書にもある。本書は単語で会話を成立させるのではなく、周りにいる大人が辛抱強く訊いたり、待ってあげたりすることとして、具体的な言語技術のトレーニングがある。そして、内田氏は前掲のような表現に終始するのは、社会の流れに対して、若者が「忠実に」その大人社会のメッセージを受け止め表現するからだと述べている。


著者と内田氏に共通すること。それは日本を客観的に見ていること。海外に出て、俯瞰的に日本の現状を眺めていることだ。

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09読書003 街場の教育論 その2

昨日に引き続き、『街場の教育論』から。


「どうしていいかわからないとき」に適切にふるまうことができるかどうか、それがその人の本源的な力がいちばんはっきり現れる瞬間です。生き死ににかかわる局面というのはすべて「そういうもの」です。(49ページ)


日本の教育プログラムにいちばん欠けているのは、この「他者とコラボレーション」する能力の涵養だと思います。今の日本の教育の問題というのはもしかすると、ぜんぶがこの一つの点に集約されるのかもしれません。(105ページ)


そのための訓練を日本の学校教育は構造的に怠ってきた、というのが私の年来の主張であります。「どうふるまってよいのかわからないときに、適切にふるまう」能力の涵養こそが教養教育の眼目である、と。
前にも申し上げましたが、別にそれほどむずかしい話ではないんです。それが「学び」の基本なんですから。
わからないことがあれば、わかっていそうな人に訊く。
それだけです。
(120ページ)



そう、まさにその通り。自分も弱い部分かもしれないと思う、この「他者とのコラボレーション」。そして、また、自分が『学び合い』に共感し、実践を積み重ねているのも内田氏の主張の通りでもある。


学校現場では、少人数指導をするとか、困っている子たちを助けるために職員を加配するだとか、子どもたちが「困らないようにするための手立て」をたくさん講じている。それって、内田氏の言葉を借りれば、「わからないことがあれば、わかっていそうな人に訊く」機会を奪っていることに他ならない。だって、「わからないこと」がないようにしているのだから。


だから、わからないことがあれば教員が支援する、指導する。何を支援・指導するかと言えば、学習であれば解法のヒントを与えたり、再度説明したりする。少なくとも、「わからないときには誰かに訊いてみればいいんだよ」と言う教職員はあまりいない。


目の前の問題をクリアすることだけを目指す教育では、「本源的な力」は育たない。この「本源的な力」を育ててこそ、教育の目標である“人格の完成”は達成させられないのではないか。


二宮尊徳の言葉を思い出す。


遠くをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す

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09読書003 街場の教育論

『街場の教育論』(内田樹、ミシマ社)を読んだ。さすがの内田樹、視点が違う。


同じ立場にいる人間が30人もいるのに、彼がその中の一人の「仲間」も見出すことができなかったことに驚いたのです。(本書223ページ)


いわゆるネットカフェ難民についての記述なのだが、1つの店に何人も同じ境遇の人がいれば、1泊1500円として、ひと月45000円。それならば4人あつまれば18万円のアパートが借りられるはず。そういう論を展開している。


確かにその通り。


自分は報道を見たり聞いたりして、「大変だなぁ」とか「へぇ」とだけしか感じていなかったのだなぁと痛感。そして、「実質識字率」がまだまだ自分は低いことも同じく痛感した。

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09読書002 壊れる日本人

『壊れる日本人 ケータイ・ネット依存症への告別』(柳田邦男、新潮文庫)を読んだ。年末から読んでいたので、今年の読書数に入れていいのかわからないけれども、読みごたえのある本だった。


冒頭はなんだかスッキリしない内容だったけれども、後半一気に読み進めた。


最後にある河合隼雄氏の解説が本書の主張を短くまとめている。


柳田邦男は(私も同感だが)、テレビやケータイを否定しているのではない。その便利さを認めた上で、それに溺れる恐ろしさを指摘しているのである。


「テレビやケータイがいけない」のではなく、「上手に付き合わないと目に見えない悪影響を及ぼすことがある」と認識していることがそれらを使用する者の大前提なのだと思う。

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09読書001 父親のすすめ

今年の目標は120冊。(もちろん、読書の目的は数ではないが)
それなのに、休み中は全然読まず・・・。それはそれとして、これからの日常生活には意図的に読書する時間をつくって、インプットを増やしていかなくては、日々のアウトプットもできなくなる。


さて、新年最初に読了したのが、『父親のすすめ』(日垣隆、文春新書)。父親業の楽しさを伝えると言うよりも、子育て論満載の一冊。ついでに小論文の書き方まで知を深めることができた。


我々教員には「イターイ」箇所もたっぷりあって、苦笑いしながら読み進めた。


究極は「この親をクリアできたらどこでも通用する」
                      (p.17 小見出しより)


教員として置きかえてみたら、
「この担任をクリアできたら、どこでも通用する」
だろうか。自分の考えているところに近い。


家では、このような厳しい想いを抱いていただろうか。考えさせられる言葉だった。

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45 孤母社会

『孤母社会 母よ、あなたは悪くない!』(高濱正伸、講談社+α新書)を読んだ。


これ、かなりおもしろい。題名からすると世の中の母親を擁護するような内容に思えるけれども、もっと幅広いテーマで書かれている。簡単に言うなれば「子育て」がテーマである。そのうえで現代社会の問題点を洗い出して、具体的な解決策も書かれている。


兄の矜持


初めて知った言葉「矜持」。こういう言葉が日本語にはあったんだなぁ。そしてまた、「兄の矜持」である。自分の子育てにも参考になるし、保護者会などでも話題にできる。



とりあえず、再読必至の一冊。

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44 学力は家庭で伸びる

『学力は家庭で伸びる』(隂山英男、小学館)を読んだ。もう先月末のことになるが。


職業柄、家庭のもつ役割に着目しすぎて、家庭の責任を大きくしすぎるところもあるが、それでもやはり家庭でできることは多々ある。


壁にぶつかっても手をかさない


という小見出しには納得。結局のところ、手を出しすぎるきらいがる。

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43 仕事の80%は月曜日に終わらせる!

『仕事の80%は月曜日に終わらせる!』(中島孝志、プレジデント社)を再読した。


今回は文中にあったグラフもコピーして読書ノートにスクラップ。読書ノートが徐々に自分のデータベースとなっていくことをますます実感して、ひとりニンマリ。この自己満足感からさらに抜け出して、新しい発想のための読書となるようさらに高めていきたい。


それにしても、著者の本は読みやすい。そして、面白い。


今回は再読ということもあったが、すぐに読めて、かつ“会議術”のところは今後の仕事に必ず生かしたい内容だった。

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42 イチローを育てた鈴木家の謎 その2

育児指南書として、付箋をいくつか貼った。


家族哲学の面からいえば、親は、とくに父親は「態度で見せよ」ということに徹すればいい。ただ、子どもが、ともかくも怠けないで一所懸命やっている親の姿を見てくれればそれでいいのだ。
(p.66)


     ◆


長子であり長男である子どもの側から見ると、子どもは甘やかされ、かまわれ、要求を全部通してくれるという環境に慣れている。そうあるのが当たり前であるという気持ちが定着している。したがって、わがまま、消極的、受け身、抵抗力のなさが生まれてくる。それゆえに、次にくる衝撃(引用者注:次子の誕生)への反応はことのほか強い。
(pp.91~92)


     ◆


子どもの前で無理に大人の話題を避けたり、「子どもにはむずかしい」と勝手に判断して子ども向けの読み物しか与えないと、子どもをレベルダウンさせる結果になりかねない。また大人の俗世間のみにくさもある程度なら見せておいたほうが子どももたくましく育つだろう。
(p.149)


     ◆


いまの日本の親に不足しているものは、子どもを産み、育て大きくすることもさることながら、子どもをいかに社会的に「独立」させるかだ。
(p.196)


     ◆


「私の毎日の朝は、神棚に手を合わせることから始まる。何かいいことがあっても、それは自分がやったことだと勘違いすることのないように、そしてそれはまわりの人たちのおかげであるという感謝の気持ちをこめて、手を合わせている。(略)」
(p.199)

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42 イチローを育てた鈴木家の謎

『イチローを育てた鈴木家の謎』(斎藤茂太、集英社文庫)を再読した。以前読んだのはいつだっただろう。3年ほど前になるか。最近の金欠状態により、本棚からなんとなく選んだ一冊だ。某FMラジオ番組の“棚からひとつかみ”のようだ。


この本を買うときには、当時気に入っていた斎藤茂太さんの本であること、そして自分が好きな野球、とりわけ素晴らしい成績を残しているイチローのお父さんにクローズアップしているという点から、即購入という状況だった。


さてさて、以前読んだときにはスルーしていた子育ての考えというか、知識というか、そのようなことに目がいった。当時は中学生相手、今は小学生相手という環境の違いというところが大きい気がする。


     ◆


きょうだい関係や家庭環境によって、それぞれ違ってくるのは当然であるが、ここではあくまでも一般的な育児の注意事項を述べておく。(略)

  1. 適度の欲求不満、適度のストレスを与える
  2. 適度の放任を味わわせ、のびのびと少し時間をかけて自らの才能、能力を発見させる
  3. 母乳で育てる
  4. 子どもが遠くへ遊びに行くこと、一人で留守をさせることをおそれるな
  5. 期待過剰は不可
  6. オネショで騒ぐのは愚の骨頂
  7. 偏愛をするな
       平等に愛せなくとも、それを絶対に表面には出さない
  8. 子どもを叱るときは理由を明らかにすること
  9. 体罰はおシリを叩くこと
  10. 子どもの前での夫婦ゲンカは、子どもが見ていることを承知の上で
  11. 長所をほめる
  12. 子どもに負けてばかりやるな
  13. きょうだいやよその子と比較するな
  14. 子どもの前で大人の話題を出してもかまわない
  15. 親の謙遜から子どもをけなしつけていると子どもは本当にダメになる
  16. モノやお金を与えすぎるな
  17. 先手をうつな
  18. 甘やかすな、きびしすぎるな
  19. 友だちをつくることを制限するな
  20. 親は子どもの世界に介入するな
  21. 個人プレイよりもチームプレイを
       チームワークを必要とするゲームをさせると責任感も
       強くなり、社会性が育まれる
  22. 一家の中に育児方針の統一がなければならない
       母親の教育と父親のそれが、ちぐはぐでは子どもは
       迷うばかりである
    (pp.30~35より、一部項目後の記述は略)

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41 授業入門

『授業入門』(斎藤喜博、国土社)を読んだ。ご高名だけは存じていたが、氏の著書を読むのは初めてだった。


イメージとしては本県の教育に近いものがあるのだろうか。ちょっと違うのだろうか。今ひとつピンとこなかった。


     ◆


授業を抜きにしての教育活動は所詮底の浅いものにならざるをえない。そしてせっかく授業を改善したいと願う場合にもどうしても技術的な要素を重視したり、教具とか掲示物での工夫とかに走りがちである。ここらへんが授業というものがもつアポリア(難問)である。
(p.7 まえがき(宮城教育大名誉教授の言葉)より)


     ◆


ゲーテのことばに「最も恵まれた天才とは、すべてを吸収し、すべてを取り入れながら、絶えず自己を革新し、自己のあらゆる可能性を発展させる者のことだ」とある。
私は豊かな吸収力と、順応性とをもって、どん欲に、自分やみんなを育て上げ、変革していけるような子どもにすることこそ、教育であり、それがまた、「学力」の基本にもなるものだと考えている。

(p.52より)


     ◆


教室という土俵で、教師は子どもと、どういう勝負をするのであろうか。それはいうまでもなく、子どもたちが、将来おとなになって、しあわせなゆたかな創造的な生活をいとなむのに役だつような、知識や能力を発達させることである。
(p.58より)

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40 カリスマ体育教師の常勝教育 その2 母性指導

昨日に続き『カリスマ体育教師の常勝教育』から。


結局、最近の親御さんの考える「優しさ」とは、甘えを助長することを優しいといわれているような気がしてなりません。(略)子どもに継続や忍耐を教える最高の機会を大人が逃し、つぶしてしまうのです。子どもが壁にぶつかったときに、「よし。もういいからやめなさい」という人を「優しい人」といいます。


その対極にあるのは、私のような子どもをしつける人です。(略)人間の力を高めるには、専門技術の習得・態度の向上・価値観の向上が必要ですが、まずは態度を教えて、子どもの心の器を上向きにし、素直な子をつくっておかないと指導者のいうことが心に届きません。

   (略)

ところが母性だけの甘やかし教育は、途中で挫折します。子どもがいうことをきかなくなり、わがままをいい続けるので、ときには家庭内暴力に発展します。
子どもの教育には、父性的な厳しさと母性的な優しさが、バランスよく発揮される必要があります。

(pp.176~178より)


ここまで言い切れるというのは、著者が真剣に、時にはすべてを賭して生徒たちに向き合ったからこそである。


かつての自分なら上記の文章に大賛成だった。今は少し違う。
「素直な子をつくっておかないと」
ではない。


「子どもたちは本来素直である」のだ。


それが集団の中の人間関係であったり、力関係によって歪曲されて「見える」のだと思う。


      ◆


もう一つ。


上記のように引用すると、「母性指導」という言葉によって母親の存在意義が問われそうな気がする。しかしながら、かといって著者の言うような「母性指導」の存在は「父性欠如」によるところが大きいのであり、母親がどうのこうのというよりも、むしろ父親のことをもっと論じなければならないと思う。

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40 カリスマ体育教師の常勝教育

『カリスマ体育教師の常勝教育』(原田隆史、日経BP)を読んだ。


3年ぐらい前に読んで以来となる再読。当時は同僚(体育科)と一緒に本について語り、“目標設定用紙”をお互いに作って、それぞれの部活で使わせたりしたものだ。


それ以来、“態度教育”は自分の中でも主要なテーマとなり、『凡事徹底』しかり『いい会社をつくりましょう』しかり、「あいさつ・返事・整理整頓」しかり、「時を守り、場を清め、礼を尽くす」などなど、枚挙にいとまがないほど数多くのエッセンスが自分を作り上げてきている。


     ◆


成功者に共通するふたつの大きな特徴が見えてきたのです。それは強い勝利意識と高い目標設定でした。
スポーツは「心・技・体」のバランスが大切であるといいますが、強い選手ほど「心」を大切にしていたのです。

(p.36)


今更言うまでもなく、「心」の重要性を語っている部分。


     ◆


不思議なもので、指導を重ねるうちに、書く量が「強さ」と比例するようになってきました。よく書けるほど強いのです。目標設定用紙の文字量、日誌の文字量、しっかりした文章を書けるということが競技力の向上につながってきたのです。
(p.61)


態度教育から一転、これまた自分の中の主要テーマ、「言語力」につながりそうな記述を見つけた。以前読んだ時は気づかなかったが、今なら大きく頷きながら読み砕いた箇所である。


これは子どもたちの日記を見ていても共感できる。中学生でも小学生でも「書ける」というのは大きな力であると感じる。語彙力、文章構成力・・・、いろいろな要素はあるのだろうが、「書く」ことを継続していくことで力が伸びるのだろう。そして、それはまた自分を客観的に見る力が育つということでもあろう。

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39 覚悟のすすめ

『覚悟のすすめ』(金本知憲、角川oneテーマ21)を読んだ。月曜日に松本で買って、電車の中で読み終えた一冊。


本来、「楽しむ」とは、向上心を持ち続け、努力し続けた結果、できなかったことができるようになる、もっと上達する。これが「楽しい」という言葉のほんとうの意味なのだと思う。


28ページからの引用である。40歳になってもまだなお、現役どころかトップクラスの成績を残しているプロ野球選手の言葉である。重みがある。


引用の言葉は、「最近の若いスポーツ選手の発言やインタビューを聞いていると、ふたことめには『楽しみたい』と口にする人が多い。」という記述に続けて書かれているものだ。要するに、若い選手たちに対する苦言である。


     ◆


自分も「楽しい」という言葉に疑問をずぅっと抱き続けている一人。「楽しい」を目ざすことで多くのことから「逃げている」気がしているのである。


こんなことを考えていると煙たがられるのは必至だが、もっともっと努力して、本当の「楽しさ」を見つけられる子を育てたいし、自分も見つけたい。

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38 あなたの子どもが学校生活で必ず成功する法

『あなたの子どもが学校生活で必ず成功する法』(ウィリアム・グラッサー、柿谷正期 訳、アチーブメント出版)を読んだ。


グラッサースクールは『学び合い』に共通している部分も多く、読んでいて共感する部分も多かった。外的コントロールとしての「七つの致命的習慣」、関係を確立する「七つの選択理論的習慣」は特に大勢に共感されるだろう。


<七つの致命的習慣>
①批判する
②責める
③文句を言う
④ガミガミ言う
⑤脅す
⑥罰する
⑦相手をコントロールしようとして褒美でつる



<七つの選択理論的習慣>
①思いやりを示す
②傾聴する
③支援する
④貢献する
⑤勇気づける
⑥信頼する
⑦友好的にかかわる


     ◆


他にも多くのことを読書ノートにメモをしたけれども、いかんせん、原著と訳本では意味が違うんじゃないかと思われる部分が多々あり、読んでいて疲れてしまった。かといって原著を読む気にもなれないし・・・。(早速「批判」している)


このように考えると、ハリポタシリーズは日本語でも生き生きと言葉が綴られていて、訳者を本業としている方の力を感じずにはいられない。

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37 “荒れ”への「予防」と「治療」のコツ

『“荒れ”への「予防」と「治療」のコツ ~学級づくりの基礎・基本~』(赤坂真二、日本標準)を読んだ。夏のフォーラムで開かれた分科会に参加した初めてお会いした赤坂先生はすごくエネルギッシュで、パワフルだった。そういう姿が多くの共感と反応を集めるのだと感じた。


2学期にはクラス会議を自分のクラスでもやろうと思いつつ10月へ。ようやく著書を拝読したことできちんと計画を立てていこうと思う。


さて、本著は一冊丸ごと学級経営について書かれているので、印象に残った点がどこそこで…と野暮な記述はできない。教育関係の一冊として大事に取っておきたいものだ。

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36 発達障害の子どもたち  その3「自尊感情」について

またまた『発達障害の子どもたち』(杉山登志郎、講談社現代新書)より。それだけ学びが多かったということだ。


すべての子どもにとって、健康なそだちに普遍的に必要なものは何かということを考えてみると、愛着者から与えられる肯定感と、自己自身が育む自尊感情の二つではないかと思う。この自尊感情とは空想的な万能感の対極にあるものである。自分の万能感を乗り越え、しかしその上でなお、自分もそこそこにやれているという実感である。筆者はこの二つがすべての子どもたちに保障されることを願うものである。
(本書pp.212~213より引用)


「自尊感情」は大事だと思う。ただ巷で言われている自尊感情というものに合点がいかないでいた。子どもたちをあるがままに受け止めて(そのままで良いと受け止めて)、それでいいんだよというニュアンスを感じていたからだ。自分勝手な解釈だったのかもしれないが、引用部分にある、
>この自尊感情とは空想的な万能感の対極にあるものである。
という表現が今回読んでみて自分にフィットしたのだ。


>自分の万能感を乗り越え、しかしその上でなお、自分もそこそこにやれている
という感情が自尊感情なのだとすると、「あるがままを受け止める」のではなく、苦手なもの嫌いなものがある自分でも、その苦手なもの、嫌いなものを克服するために努力をすれば「自分もやれる」という実感が自尊感情ではないか。


その「努力」や「頑張り」を放棄してしまわないように、ハードルが低いうちにそのハードルを越えられる体験を積ませてやりたいと思うのだが・・・。


「いいんだよ、それで」と言われて育った子が、高学年や中学校で挫折する姿を見たくないものだ。

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36 発達障害の子どもたち  その2「自閉症」について

『発達障害の子どもたち』(杉山登志郎、講談社現代新書)の続きである。


自閉症(本書では「自閉症グループ」と呼んでおり、高機能自閉症も含んでいる)について知っているようで知っていなかったかもしれないことが書かれていた。


先に自閉症の認知特徴を三つに絞って述べた。第一に、情報の中の雑音の除去ができないこと。第二に、一般化や概念化という作業ができないこと。第三に、認知対象との間に、事物、表象を問わず、認知における心理的距離が持てないことである。このそれぞれに対して工夫をすることが治療教育のコツとなる。
(本書p91)


つまり、

   ≪自閉症の認知特徴≫
①情報の中の雑音の除去ができない
②一般化や概念化という作業ができない
③認知における心理的距離が持てない


とまとめられる。



本書ではそれぞれの問題への対応が述べられていた。


①同時に二つの情報を出さないことであり、とりわけ知的障害を伴った自閉症の場合、雑多な情報があふれるところでは、立ち往生してしまう。例えば、手を握りながら話しかければ、握られた手の知覚入力だけであふれてしまい、言われたことはまったく入らなくなる。そのため、言うときは言うだけ、見せるときは見せるだけ、触れるときは触れるだけ、とするとよい。
ただし、重度の自閉症の子どもにはみだりに触らない方が無難である。また、高機能者グランディンによれば、印刷物にしても白紙に黒いインクではコントラストが強すぎて、著しく読みにくいのであるという。これが紙に薄い青なりピンクなり色がのっている場合にははるかに読みやすくなるという。


②自閉症児の場合、何度も体験したからといって徐々に慣れてくるということが期待できないところがある。また、一般化ができないこともあって、変化に対しては常に強い抵抗が生じる。要するに混乱してしまうのである。予定を変更せず、どうしても変更が必要なときには必ず予告を行うようにする。


③第三の問題は、見通しを立てることの困難につながる。知的に高いグループにおいてもきわめて苦手な予測に基づく行動修正や予定の変更などの困難を克服する方法がある。現在広く用いられるようになったのは、スケジュールカードなどによって、見通しの立てにくさをカバーし、行うことを直線上に並べるという対応方法である。

(pp.92~93より抜粋)


「一時に一事の法則」など当たり前のことでもあり、自閉症児にかかわらず、教育活動では大事なことばかりであった。

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36 発達障害の子どもたち  その1「自立」について

『発達障害の子どもたち』(杉山登志郎、講談社現代新書)を読んだ。地元の書店で衝動買いした一冊。ただ、ずっと「積ん読」状態だった。


読書ノートに4ページもメモをするほど、学びが沢山あった。
まずは「自立」という点について。


     ◆


大人になるということを意識しているからか、目についた所。


そだちの終着点とはどこにあるのだろうか。自立にあることは疑いないだろう。では自立とはどのような状態であろうか。古来、自立についてさまざまなことが言われてきた。(略)


筆者としてはここは単純に、次の三つを自立の目標にしたい。


①自分で生活できる。
②人に迷惑をかけない。
③人の役に立つ。


こうして単純化させてみると、仕事を得てタックスペイヤーになり、さらに社会的なルールを守ることができていれば、自立という課題は達成できたということになる。


(本書pp.32~33より引用。ただし、箇条書き部分は引用者による変更あり)


「大人になること」と「自立すること」は同義ではないと思うが、「自立」という観点からの学びがあった。この筆者の観点からすると、大学生の多くは自活という点では「自立」できていない。

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古本屋にて

ブックオフへ行き、新書数冊、文庫4冊、単行本16冊を買い取ってもらった。


総額2190円なり。


1600円で買った本が100円あまりで買い取られるというのは悲しいが、逆に言えば古本屋を上手に活用すれば、安く、多くの本を読めることを改めて実感した。


     ◆


嫁さんが運転免許更新中にブックオフへ行ったので、息子たちを連れての来店。買い取りの審査(?)の間、児童書コーナーに直行。なんとも目ざとく自分たちの本を見つけるものだ。


過去の仮面ライダー系の本が一冊100円で売られていた。普段、絵本を買ってやることは多いが、ヒーロー物の本や雑誌を買い与えることは自分はしない。(それはお母さんがよくやる)今回は「100円」という値段にもつられて容易に交渉成立。長男はファイズの、次男は龍騎の本を選んだ。


息子たちは大満足だったらしく、「別の店で絵本を買おう」という話をしていたら、長男が、
「ぼく、今日はいい。買ってもらったから。
 お父さんとお母さんの行きたい店に行って。」
と言い出した。


ちょっぴり、長男が頼もしく思えた。


     ◆


ちなみに、古本屋では他に、
『エルマーの冒険』(R.スタイルス G.、R.クリスマン G.、渡辺茂男訳、福音館書店)を250円で、
『ごんぎつね』(新美南吉 文、箕田源二郎 絵、ポプラ社)を400円で、
『おふろやさん』(西村繁男、≪こどものとも≫傑作集)を200円でゲット!


名作を元値より安く手に入れられるというのはうれしい。


そういえば、以前もブックオフで『泣いた赤おに』を手に入れた。(今でも長男が「読んで」と寝る前の読み聞かせに選ぶことがある。)



     ◆


古本屋では20分ほどだったか。



でも、プライスレスな時間だった。

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35 仕事道楽

『仕事道楽』(鈴木敏夫、岩波新書)を読んだ。


インタビューをおこした文体なので、とっても読みやすかった。岩波新書ってこんなに薄かったけ?とも思った。


さてさて、本書の副題は「スタジオジブリの現場」。そう、著者はスタジオジブリのプロデューサー。顔も見たことがある。


ジブリのこともよくわかる一冊だけれど、著者の周りにいる宮崎駿、高畑勲、徳間書店社長など、個性あふれる人々が面白かった。もっと自分もわがままに生きてもいいのかなぁとさえ思えた。


     ◆


カメラのファインダーを通しちゃうと記憶に残らないから、自分の目で見て残る物を大事にしたほうがいいのかなと。
(本書62~63ページ)


陰山先生の本で「運動会ではカメラでわが子を追いかけない」という言葉で書かれていたことを思い出した。


記憶は得てして曖昧なものだ。曖昧なものだけに、時が経てば経つほど薄れていく。薄れていくけれど、その中でも鮮明に残る記憶もある。そういう記憶が自分の人生を豊かにしてくれるような気がする。

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34 佐藤可士和の超整理術

『佐藤可士和の超整理術』(佐藤可士和、日本経済新聞出版社)を読んだ。この人がデザインしたケータイを使っている自分。ケータイを買うまで知らなかったけれども、知れば知るほどいろんなデザインを手がけていることに驚き続けている。そして、オフィスがスッキリしていることも雑誌で見た。

夏休みに本屋で手にしたときも買おうか悩んだあげく買わなかった。結局amazonで購入することになるとは・・・。

読後の感想。
「整理術と言うよりは、物事の本質をとらえるための本だ」
と思って、表紙を眺めたら、

“KASHIWA SATO'S Ultimate Method for Reaching the Essentials.”

とあった。「なあんだ、やっぱりそうか。」である。

もう一つ、読みながら思ったこと。それは、「この人が学校教育をデザインしたらどうなるだろう」という想い。このこんがらがった現在の学校教育を、もっと突き詰めてシンプルにしていったら、我々学校現場で働く者の課題もはっきりするのではないかと感じたのである。基礎・基本も、表現力も、コミュニケーション能力も、そして食育も・・・。こんなに色々お上から言われても対応しきれない。こんなに沢山あったとしても、やはり根源にある願いはもっとシンプルだと思う。

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33 ニッポンには対話がない

『ニッポンには対話がない』(平田オリザ、北川達夫、三省堂)を読んだ。電車の中で読みながら、揺れながら、付箋紙をつけた。そして、付箋紙の数が尋常ではなく多くなった。


表現教育の劇作家の平田氏、フィンランド教育に詳しい北川氏、どちらも京都の「明日の教室」で講師をされたことのある方々。本を読んで「明日の教室」に参加しなかったことを悔やんだ。


とかく表現力だとか、PISA学力の向上にむけてフィンランドメソッドなどが注目を浴びているけれども、お二人に共通しているのは目の前のことに対して何かを行おうとする対処療法ではなく、もっと長いスパンで日本を変えていくしかないだろうと根治療法を目指している姿だった。


最終章の<移民社会への秒読み>は実に興味深い。でも、よくよく考えてみれば自分が小中学生の頃は日系ブラジル人の友人はいなかったのに、今では本県のような地方都市にでさえ日系ブラジル人の子どもなど外国籍児童生徒は当たり前にいる。そして、少子高齢化社会に突き進む今の日本からすると、もう、すぐ、近い将来に多国籍学校が当たり前になると思うのは不思議なことではない。そんなことを著者のお二人はすでに考えていて最後の最後に北川氏が述べた言葉が重く感じた。


ただ、どのような選択肢をとるにせよ、そういった未来における世界の変化、日本社会の変化に対応していかなければならないのは、わたしたち大人ではなく、わたしたちが育むべき子どもたちであることを忘れてはいけない。これから子どもたちは、わたしたち大人が経験したことのない世界を生きていくことになります。それにもかかわらず、そういった変化に対応できるような準備をさせることなく、そのまま子どもたちを世界へ放り出すのは、大人としてあまりにも無責任だと思います。
                          (本書198ページより引用)



そして、子どもたちが社会に放り出される前に通るのは「学校」である。

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32 こころ

『こころ』(夏目漱石、新潮文庫)を読み終えた。中学だったか、高校だったか、かつて読もうとして、途中、挫折した一冊。夏休みに実家へ帰り、本屋でふと目にしたときに買った。


おもしろかった。


まさに「こころ」だった。


私、先生、私の父など、登場人物の心情を慮れるようになった自分にも気づいた。だからこそ読み通せたのかもしれない。昔に読んでおけば、昔気づかなかったことに気づくという自分の成長を実感できたかもしれないと思うと、きちんと読まなかったことを後悔する。


     ◆


「K」と「お嬢さん」への想いを綴った先生。そして、「先生」と「父」への想いの違いに気づきつつ、「先生」に会おうと駅に疾走した私。似たもの同士だったのかなぁという感想を抱いた。


     ◆


しかし、この年になってようやく『こころ』がおもしろい感じる自分って幼いと思う。そして、このような小説が新聞に掲載され、国民的な作家として漱石が存在していた明治・大正初期の日本はなんて教養のある国だったのだろうと思う。

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31 夏の庭

『夏の庭』(湯本香樹実、新潮文庫)を読んだ。TSUTAYAのPOPには“スタンド・バイ・ミーの日本版”とのような文句があったけれども、まさにそんな感じの内容だった。

2日間にまたがって読み進めたため、なんだか読後感がよくなかったけれども、思春期を迎えた男の子の大人への成長がわかる作品。

そういえば、ズッコケ3人組のようでもあると想いながら読み進めた。

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30 エースの品格

またも本屋で衝動買いをしてしまい、購入から2時間後には読み終えてしまった。


『エースの品格』(野村克也、小学館)


野村監督の本はこれまで2冊読んでいて、本書は内容が異なっていたので思わず買ってしまった。1000円と単行本の割に安価なのも一因。


言葉の重要性、「教える」ことの意味、「個性」の意味が歪曲されて広まっていること、などなど普段自分が考えていることに答えてもらっているような本だった。


そして、野村監督の言葉に知性が満ちあふれているのはやはり読書によるところが大きいと感じた。解説者時代にかなりの本を読んだらしい。


このことを知っただけでも価値ある一冊。

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29 ラクをしないと成果は出ない

初めて日垣隆氏の本を読んだ。『ラクをしないと成果は出ない』(大和書房)。

仕事術として、生き方の指南書として、自己啓発書として(生き方の指南書と同じか?)読めた。


第9章82項の「好き」についての記述には、違う色の付箋紙をつけた。PCが使える環境になったらメモしたい。

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28 スタディハック!

『スタディハック!』(小山龍介、東洋経済新報社)を読んだ。以前、日経アソシエだったかと思うけれど、「ハック」特集を読んだので衝動買いに近い。


はじめはハックいろいろ。だんだんハック応用編のごとくビジネス書として読める一冊。


強化学習と教師あり学習のページは教師として一読の価値あり。


STUDYの語源も興味深かった。これは、はてなの方にアップしよう。

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27 仕事は5年でやめなさい。

実家にいる間にツタヤに行った。図書館にも行ったし、自宅では本に関してストレスがたまる一方で、昨日はたっぷりガス抜きができた。そして気軽に読める本を3冊購入。


・・・ということで、『仕事は5年でやめなさい。』(松田公太、サンマーク出版)を読んだ。


題名買いをしそうになり、落ち着いてパラパラ読んで買った一冊。


最近気になっていた目的と目標がわかりやすく書かれていた。ケータイからのアップでなければ、備忘録としてメモ必死。


また、サービスとホスピタビリティの記述も興味深かった。


少し前までの日本ならマニュアルのあるサービスでよかったのかもしれない。でも今は、臨機応変に対応する力が求められている時代だと思う。


こう考えるからこそホスピタビリティという考え方にひかれたのだと思う。

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26 ケータイ世界の子どもたち

『ケータイ世界の子どもたち』(藤川大祐、講談社現代新書)を読んだ。これも多くの方がブログで取り上げて紹介されていたので、「ようやく読めた」という感想だった。


実はまだ最終章が残っているので、これまでの所で気になったことを。


「同調圧力」
社会心理学に、「同調圧力」という考え方があります。集団の中で、多くの人の意見や行動に同調するようにさせる社会的な圧力のことです。日本には「郷に入っては郷に従え」という言葉があるように、地域共同体の中に強い同調圧力がありました。また、学校でも多数派の意見や行動に合わせなければいじめられるとか、「浮く」といった形で、同調圧力が見られます。
(本書98ページ)



「集団の中で」とあるように、どこにおいてもこの圧力はあるのだと思う。それは教師集団も同様だろう。本書で取り上げられているのは子ども集団のことだけれども、これを大人社会の職場、地域に置きかえて考えたら、ゾッとする。


     ◆


対等な議論は、互いが費やすことのできるエネルギーが同等でなくては成り立ちません。忙しい有名人一人と時間に余裕がある人も含めた大人数とでは、費やすことのできるエネルギーに差がありすぎます。そのような悪条件の議論を避けるのは、一つの見識です。
(本書82ページ)



「スルー力」に関わる記述。なんでもかんでも、いろいろな情報に反応していては精神がもたない。それを感じつつ前述の言葉を読むと「対等な議論」というものが妙に納得できた。「悪条件の議論」というのも面白い考え方だ。


     ◆


自分の子どもたちもいずれはケータイを持つだろう。そのときに「お父さんは~だった」と自分の経験知からしか語れなかったらマズイと思う。子どもが「ケータイほしい」と言ってくるときは、親子で真剣に語り合うチャンスであり、そのチャンスを生かすか生かし切れないかは親である自分にかかっている。


これはケータイだけでなく、ゲームについても同様だろう。


買うか買わないか、子どもを突き放すことも必要かもしれないが、少なくともマジメに話し合って、できるだけ納得したかたちで結論を出せるといい。

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24・25 ハリー・ポッターと死の秘宝

夜通し読んでしまった・・・。

そして、10年間の物語が終わった・・・。

満足感と、虚脱感と、失望感と、充実感。
いろんな想いが胸にこみあげてきた。

終わっちゃったなぁ・・・。

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23 効果10倍の<学び>の技法

『効果10倍の<学び>の技法 ~シンプルな方法で学校が変わる!~』(吉田新一郎、岩瀬直樹、PHP新書)を読んだ。「ようやく」読んだ、という表現がいいかもしれない。それだけ本を知っていて、今まで読まずにいた。


いろいろな方のブログで紹介されてきたので、それを確認するように読み進めた。自分でも備忘録として綴っておきたいのは以下の3点。



1 どんなときによく学べるか、学んだことをどれだけ記憶にとどめられるか
聞いたとき   10%
見たとき     15%
聞いてみたとき 20%
話し合ったとき 40%
体験したとき  80%
教えたとき    90%


→→→陰山先生の本にあった鳩山家(政治家)のエピソードを思い出した。子どもたちは学校から帰ると自宅にある黒板に学校で学んだことを書いて家の人に説明していたらしい。


2 逆さまデザイン
①目標・ねらいの明確化
②評価方法、評価規準の明確化
③展開・流れの計画
④評価や振り返りの並行実施


→→→①から③はまさに『学び合い』と同じ。


3 目標と目的の混同
「目標」・・・ある一定期間中に達成すること
「目的」・・・自分たちが存在する意義


→→→学校教育の「目標」は“人格の完成”。「目的」は・・・?

→→→ちなみにこの間見た浦和学院野球部の「目標」は全国制覇。「目的」は人間形成だった。・・・、納得。




学校教育の「目的」はなんだろうか?

人格の完成のための活動の場、だろうか。そう考えると子どもたちがもっと主役になるような教育活動を考えなくてはならない。

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22 なぜ日本人は学ばなくなったのか

休みに入ってようやく1冊読み終わった。
キャンプでもちょこっと読めたが、ペースを速めよう。


     ◆


『なぜ日本人は学ばなくなったのか』(齋藤孝、講談社現代新書)を読んだ。齋藤氏の本はついつい買ってしまう。今回もamazonでいろんな本をねらい打ちで買っていたときにネットで紹介されていて、やはり衝動買いしてしまった。そして休みに入って最初の本に選んだのだった。


今回は付箋紙も付けず、娯楽読書のように進めてしまったことを後悔。しっかり咀嚼できるよう、もう一回読もうと思う。


さて、本著では齋藤氏本人の生い立ちのようなエピソードもあり、今までよりも著者に親近感を抱いて読めるのでおもしろかった。そして、そんな中でも、あとがきが絶品。特に若い人たちへのメッセージが送られていることに齋藤氏のスタンスを感じた。


現実問題への鋭い問題提起があるにせよ、基本的には前向きな見通しを抱かせてくれるのが齋藤氏の本。やはり背景には若者への「信頼感」「期待感」があるのだと思う。


自分がその「若者」たり得るとは思わないが、年少者の一人として「よし、がんばろう」と思う。「もっともっと本を読まなくては」とも思わせてくれる。


読書、という枠からすでに「教育」について語られている本著。教員として読んでおいて良かった。

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21 気になる子の指導に悩むあなたへ

『気になる子の指導に悩むあなたへ』(西川純、東洋館出版社)を読み終えた。一気に読んだ。・・・というのも、『学び合い』とは何かを自問自答している自分にとって、<第Ⅲ章『学び合い』とは?>があり、新鮮な学びをすることができたからだ。また、納得・共感できる部分も多かったために、どんどん読み進められたのだと思う。



さて、副題である「学び合う特別支援教育」という言葉だが、『学び合い』を実践してみて、特別支援が必要と思われる子に悩まなくなった自分がおり、特別支援教育にこそ『学び合い』を!と声高に言いたい。



以下、個人的に思ってきたこと。



「特別支援教育」というのは、障がいがあったり、発達に遅れがあったりする子たちへの「教育」ではなくて、その子たちの周りにいる児童生徒への「教育」だと思ってきた。そうすることでバリアフリーが実現できるのであり、障がい・発達の遅れがある子たちだけへの「教育」では何も変わらないと思ってきた。これは『学び合い』を実践する以前からずっと思ってきた。



本書はその想いに応えてくれる一冊。そして前述の通り、『学び合い』とは何かの問いにも自分なりの考えが持てる一冊。



読んで良かった!

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20 凡事徹底

『凡事徹底』(鍵山秀三郎、致知出版社)を再読した。


前回の付箋紙の他に、今回も・・・。


『いい会社をつくりましょう』(塚越寛、文屋)でも二宮尊徳の言葉があったけれども、『凡事徹底』にも尊徳のエピソードがあった。これは気づかなかった、というか読み飛ばしていた。


     ◆


自分が前任校で出していた通信“おかげさまで”。自戒をこめてその名をつけていた。


本書を読んだことで、この“おかげさまで”を思い出した。
誰かのためではない、自分のために些細なことを続けていこうと思う。

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19 「座りなさい!」を言わない授業

「『座りなさい!』を言わない授業」(西川純、東洋館出版社)を読んだ。


書かれていることは西川先生がこれまでに出されている本と変わらない。それだけ軸がぶれていないのだと思う。


今回、ピアジェの発達理論についての部分(第11章 オッカムの剃刀)が非常に興味深かった。今までピアジェの理論に疑問符を抱き続けていたので、胸のつかえがなくなったかんじでもある。



「○○だから△△は無理だ」と「無理だ」に集約させてしまって、あきらめていることに「?」だった。ならば、なぜ□□くんはできるんだ?「段階」が違うからか?同じ年齢なのに?と憤ってしまっていた。



“教育関係者のピアジェ理論の使い方に問題があった”
                       (本書143ページ)



腑に落ちた。

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18 静かに!を言わない授業

『静かに!を言わない授業』(西川純、東洋館出版社)を読んだ。

自分の中で『学び合い』への飢えがある。昨年の10月に長野セミナーで大きな刺激を受け、12月の上越の学会で新しい世界に足を踏み入れ、2月の群馬のセミナーでさらなる刺激を受けた。

読書という形でのインプットが少し足りない。

群馬で発表されたS先生の、
「西川先生の本を、それこそむさぼるように読んだ」
という言葉を思い出した。

だからこそ【全員満点】が現実のものになったのだろう。


     ◆


教師は、自分自身を「教え手」と考えている。しかし、実際の課題に立ち向かうとき、子どもたちは同級生を「教え手」ととらえていた。それでは子どもたちは教師をどのような存在と考えていたのであろうか?実は、教師は「教え手」ではなく「評価者」としてとらえていた。
(中略)
学び合う教室の「授業」における教師とは、喜びや驚きを共感する相手(すなわち「共感者」)である。学び合う教室においても「教え手」は同級生であった。しかし、その教え手のネットワークは大きく広がっていった。そのようなクラスにおける教師の姿が、「じゃれあう教師」となっていった。
(本書60ページ [3 じゃれあいの輪に入ろう]より)



     ◆


上記の部分を読んで思い出した言葉。

「ぼくはねえ、“遊んじゃう教師”を目指したんだよ。」

初任校の校長先生の言葉だった。
先生曰く、「子どもと遊ぶ」というときに「遊んであげる」のではなく、「ついつい遊んじゃう」という感覚が必要じゃないかな、ということだった。

自分も初任校では、夏休み中の日直当番の日に、
「先生、サッカーやろう」
と言ってきた子と1時間ほど遊んで、後に職員室へ戻って怒られたことがあった。

学び合う教室において、教師は共感者になるべく、ついつい一緒にじゃれ合っちゃう存在になれたら最高なのだと思う。

じゃれ合うことが目的ではなく、じゃれ合える文化を創り上げることが目的だろう。


     ◆


また、本書では「私語」の研究が重点的に取り上げられている。
実におもしろいし、示唆に富んでいる。

一斉授業であっても、
「静かにしなさい」
ではなく、
「どうかした?」
と聞ける教師であれば、本書を読んだらきっと内容を理解して、『学び合い』の考え方に共感してもらえると思う。

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17 いい会社をつくりましょう

ようやくブログ更新・・・。いかんなぁ・・・。

さて、最近『いい会社をつくりましょう』(塚越寛、文屋)を再読している。過日行われた教育会総集会で講演された塚越氏(伊那食品工業会長)の本。前任校時代に平安堂で見つけて即購入したものだ。

講演で塚越氏は、「哲学を持っている先生方が少ない!」とおっしゃっていたことが印象に残っている。そして、氏は本に書かれていることと同じ内容の講演をされた。きっと氏にとって会社経営の心髄が『いい会社をつくりましょう』という一冊の本なのだと思う。

ちなみに“いい会社をつくりましょう”は社是でもある。

     ◆

さて、本の冒頭に二宮尊徳の言葉がある。そのまま引用する。

遠くをはかる者は富み
近くをはかる者は貧す
それ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う。
まして春まきて秋実る物においてをや。
故に富有なり。
近くをはかる者は
春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず
唯眼前の利に迷うてまかずして取り
植えずして刈り取る事のみ眼につく
故に貧窮す。


遠くをはかる者でありたい。

     ◆

塚越氏の講演、そして著書の再読から、自分にとっての哲学は『学び合い』ではないかと感じた。自分なんかはほとんど学び合おうとせず、真似事でやっているようなものなのかもしれないが、実践者の方々には太い芯が通っている。まさに『学び合い』の考えがそのまま教育者としての哲学になっているのだと思う。

氏に『学び合い』のことを知っていただけたら、教育への考えも変わるのではないだろうか。

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16 たった3年で学校が変わる!

『たった3年で学校が変わる! ~神崎高校 再生の軌跡~』(神戸新聞総合出版センター編)を読んだ。

荒れた高校が“ディスカバリー・ハイスクール”になるまでの軌跡、示唆に富むことが多くあった。例えば、「第4章 心にふれる『生徒指導』」の冒頭に「ぶれない教師の結束」という小見出しがあり、そこには具体的な事柄(約束事)が箇条書きになっている。

①始業前の遅刻を昇降口前でとる。
②通学指導教員は4人体制。下校指導は3段階。
③遅刻届などの手続きは生徒指導室で一括受付、個々に指導。
 保健室利用者も同様。利用したい生徒が入れない異常な状態
 を打開する。
④校内巡回指導(業間の特棟トイレの立番は全教員で当たる。
⑤トラブルが発生したときは、一人でも多くの教師が現場に出向く。
⑥問題行動を起こす生徒集団には、教師も集団で対応。
⑦声がけ(挨拶)を積極的に、人間関係づくり。
 「そんなこと常識やろ」は禁句。
⑧無断欠席・遅刻をなくす。寝坊は理由ある欠席にならない。
 厳しく指導する。朝の欠席・遅刻連絡は保護者、または家族から
 させるようにする。
⑨生徒会活動の活性化と部活動の強化。
               (本書63~64ページ、一部省略や改)

校長の強いリーダーシップのもと、3年どころか2年ぐらいで学校が変わる様子が書かれているが、生徒云々ではなく、まずは教師の結束ややる気を子どもたちに見せる・示すのが先決であることが書かれている。

また、「ゼロトレランス」という言葉も出てきており、昨今耳にするのはひょっとしたら神崎高校の実践が背景にあるのかもしれないと感じた。しかしながら「ゼロトレランス」という言葉だけが一人歩きしているが、神崎高校はそれよりも生徒とのつながりを大事にしており、“ダメなものはダメ”と厳しく指導するための考え方の一つとして「ゼロトレランス」を挙げているように感じた。

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15 学び合いの仕組みと不思議

おくればせながら『学び合いの仕組みと不思議 ~ちょっとのことでクラスは変わる~』(西川純、東洋館出版社)を読んだ。


我々の研究室に所属し、「学び合い」を研究された現職院生のみなさんが、等しく驚かれるのは学び合うクラスが形成されると、実に多様な誤解が子どもたちの口から出てくることである。(本書82ページより)

(略)しかし、一切教えるべきではないと言っているのではない。教える必要のないところまで、教えるべきではないと主張しているのである。となると、教えるべき部分と、教えるべきではない部分との境目が問題となる。もし、教えるべき部分も教えなければ、それは放任に他ならない。(本書83ページより)

「教えない」と言ってしまうと「放任」に誤解されてしまう。どうしようもないことだ。でも、目標設定を教師が行うこと(その詳細も84ページに記述アリ)で、ゴールが明確になり、そこにクラス集団が到達することを求める。

ゴールがなく、目指す方向がなければ子どもたちだって(当然、大人だって)何をやるべきかわからずに右往左往するだろう。

ゴールさえはっきりすれば、どうやってそこに辿り着くかは子どもたち次第。全員が同じ方法で到着してもいいし、全員が違ってもいい。


他の『学び合い』関連の図書もまとめて読まなくては。
シャワーのように刺激に包まれよう。

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14 インテリジェンス読書術

『インテリジェンス読書術 ~年3000冊読破する私の方法~』
                    (中島孝志、講談社+α新書)
を読んだ。


 読書でいえば、その本が教養高く文化的なものであれば、読んでいる間、その人からは文化的な匂いがぷんぷん香ってくることでしょう。
(中略)
本のどのような要素に心惹かれるかによって、フェロモンのように、どことなくそうした匂いを発散するようになってしまうのです。
 その意味では、詩やいいコピーを味わうことは、人格形成上とても効果があるといえると思います。小・中学校で、読み聞かせや朝の読書会を展開している学校が増えましたが、そこで本当の良書に出会い、子どもにとってのキラーフレーズに出会うことがあれば、彼らの人格形成にきっといい影響を与え、いい結果を生むと思います。そのときには気づかなくても、読書はボディーブローのようにじわりじわりと効いてくるものですから。
(136ページより)



学校で働く者として、なんとも示唆に富んだ文章だ。

毎日図書館へ行くように話してはいるが、良書を紹介しているとは言えない。自分が読んでいる本も紹介していない。もっと本が身近にあるような環境をつくらなくては。

そして、自分から「文化的な匂いがぷんぷん香ってくる」ように、本を読む習慣を定着させなくては。まだ今年に入って14冊目。目標の100冊までの道のりははるか遠く・・・。

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13 ソロモンの指環

まだ今年13冊目の読書。2月に入ってからは1~2冊目だ。
意図的に読んでいかないと、年間100冊はかなり難しい。
う~ん、何とかして、まずは量を確保しよう。

     ◆

さて、今回読んだ『ソロモンの指環』(コンラート・ローレンツ、日高敏隆 訳、ハヤカワ文庫)は、別の本で紹介されていて興味を持ち、「積ん読」状態になっていたもの。ようやく日の目を見た。

読んだところは動物の抑制機能の話。

猛獣とも思われるオオカミが同属のものを攻撃する際に、死に至らしめるまでの攻撃をせずに抑制するのに対して、大人しく平和的な「イメージ」のあるハトやシカは同属のものを完膚無きまで攻撃する。

まさに人間の持っている「イメージ」とは対照的な行動である。

著者は動物行動学者であり、単なる思いつきで書かれているわけではない。そして、最後には人間の抑制機能についても書かれている。人間の抑制機能がもっとも未発達であると述べている。

     ◆

なぜ、この本に興味を持ったか。

上記の抑制機能が人間に当てはまると思ったからである。

最近報道される悲しいニュースは、「なぜあの人が」「いつもは大人しく目立たない子が」と周囲で評される人が事件の当事者になっていることが多い。しかも、残忍きわまりなかったり、突発的だったりする。

動物に置き換えればハトやシカのような大人しくて平和的な「イメージ」な人であろう。しかしながら、そういう動物(人)ほど、相手を完膚無きまでに攻撃するということは本著では明らかだ。

自分がやってきた教育はどうだろう?

大人しく平和的な人間を育ててきてはいないだろうか?
エネルギーを爆発させる機会を設けてきただろうか?

そんなことを考えてしまうのであった。

現在は小1担任。せめて子ども同士のケンカは、道具を使ったり、無勢に多勢だったり卑怯でない限り、思う存分やらせたい。

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12 『奇跡と呼ばれた学校』

風邪で臥せっているとき一気に読んだ、
『奇跡と呼ばれた学校 ~国公立大合格者30倍のひみつ~』(荒瀬克己、朝日新書)。

amazonの書評を見ると、それぞれの評価があるけれども、それらを織り込み済みで書かれていると思った。

確かに、高校受験制度が変わって、京都府全域から生徒が集まるようになったとはいえ、ここまで劇的な変化を遂げることは難しいだろう。生徒本来の力を引き出した学校関係者、そして、生徒たち自身の努力の賜と言える。

ただ、ここでいう「努力」とは受験勉強のためのものではなく、学校カリキュラムを構成し、それを実践していく「努力」と思う。

筆者も述べているように、学びたいことがあるから“探究”する。もっと学びたいと欲したときに、それが実現可能な学校はどこか生徒が調べ、そこに入学するためには受験を突破しないといけないから受験勉強をする、というサイクルが、筆者が校長を務める堀川高校にはある。

なんと自然な「努力」のサイクルだろうと思った。

自分は子どもたちにこのように感じさせる実践をしてきたか。
多分、答えはNoだ。

今からでも遅くはない。

今までは「力をつける」ことを第一義としてやってきた。
心に「火をつける」ことを目指して、自分の役割を考えていきたい。

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11 『学び合う教室』

風邪で仕事を休んでいる間に、少しは本が読めた。
まずは、
『学び合う教室~教師としての学習者、プロデューサーとしての教師の学習臨床学的分析』(西川純、東洋館出版社)

冬休み中にたっぷり本を読んだけれども、仕事には直接関係のない本ばかり。ようやく頭の中が仕事モードになってきた現れでもあるのだろう。

      ◆

さて、読んでみての感想。

「働きバチの理論」というのを『ドラゴン桜』で読んだが、今回の本では「ハチ」ではなく「アリ」の話が出ている。

どちらでもいいのだが、その集団の中で20%が懸命に働き、他は怠けている。しかし、「怠けている」のではなく、20%が働くがために、働かなくとも何とかなるのであって、「怠けている」モノで集団を構成すると、やはり20%がよく働き、怠けるモノが出てくる。

逆も真なりで、働くモノで集団をつくると、やはり同様の結果になる。

これを学校現場にあてはめてみると、本の中で挙げられているように理科の実験場面で、実験を主に進める生徒、何もしない生徒と分かれる。

しかし、実際は「誰もやらないから自分がやる」しかなくて実験を進める生徒もいれば、「誰かがやってくれる」から自分は何もしない生徒もいる。

本書の言葉を借りれば、
『個々のアリが勤勉・怠惰なのではなく、社会的関係の中で決定される』のだ。

      ◆

では、学校ではどうすればいいか。

グルーピングや当番決めの時に、どういう組み合わせにすればいいのか考える、というのがすぐに思い浮かぶ。

それもいいが、『学び合い』で子どもたちに委ねる、という発想もありではないか。いやむしろ、『学び合い』で「みんなが~できるようになる」という目標を立てた方がいいのではないか。

という、考えに至った。

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10 『新しい道徳』

『新しい道徳』(藤原和博、ちくまプリマー新書)を読んだ。

藤原氏の著書は初めて。
とは言っても、その活動や実践の様子は知られている通りで、自分でも多少は知っている「つもり」でいたが、冬休み中、書店でブラブラしているときに、題名にひかれて購入した。

<引用開始>

子どもを取り巻くコミュニケーション世界は、もはや、親や教師が想像できないほど複雑に錯綜している。「時代が変わっても、子どもは所詮子どもであり、何も変わっていない」というベテランの教員にありがちなロマン主義は、むしろ危険ですらある。

<引用終了>

という部分は、野中先生の主張や内田樹氏の著書に通じるものがある。自分も同感の立場であるので、共感を覚える部分だった。

もちろん、そういう「ロマン」を信じたい気持ちは持っているが…。

「正解」ではなく「納得解」を求める態度。
そして、「納得解」を導くために、失敗と試行錯誤をいとわない行動力。その勇気ある態度の継続と行動の蓄積こそ、「大人の条件」なのではないか。


「子ども」を「大人」に育てる教師が、まず「大人」であるために、上記の「大人の条件」をクリアしていなくてはならない。

そして、そのクリアのためには強大な推進力が必要だが、とにかくウジウジクヨクヨせず、自分で考え、行動をおこすことが必要だろう。

やるしかないのだ。

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『流星ワゴン』&『読書力』

今日から3学期が始まる。
3日勤務すれば3連休という、頑張り甲斐のあるスタートだ。


さて、この休みに読んだ本の中でベスト1・2が表題の2冊。

『流星ワゴン』(重松清、講談社文庫)
悩んだときには重松作品と決めている自分。
今回は別に悩みがあったわけでもなく、ブックオフにいったついでに娯楽作品も読みたくなって、「それなら重松作品にしよう」と思って選んだ1冊。
重松作品の主人公は、大抵が40歳になるかならないかの男性。
今回もその王道。
また、やはりテーマである10代の子どもが主人公の背景に大きく存在していて、その描写は細かく、それでいて子どもの本質を突いている。
そして、みんなが幸せになるハリウッド映画的なハッピーエンドではなく、普通に終わっていく今回の作品。まさに日常生活が小説の舞台だと思う。

長いけれども引用する。

<引用開始>

 読書力があるということは、食べるということになぞらえて言えば、強い歯や顎を持っているということにあたる。(中略)読書の歯や顎は、鍛えられるべき成長期に鍛えられておくことで、一生の宝になる。児童文学は、いわば離乳食である。(中略)しかし、ここの段階をいくら繰り返していても、必ずしも歯や顎が強くなるとは限らない。  (pp.36~37)

<引用終了>

著者によれば、
◆離乳食――――児童文学
◆乳歯レベル――推理小説、歴史小説、雑誌、ショートショート
という段階があり、「この次の段階に、永久歯の読書がある。」と述べられている。その具体例として、太宰治や坂口安吾、それに井上靖やヘッセを挙げている。

また、著者は学生は一貫して「読書部」であっていいと主張している。そのための教員の役割にも注文をつけている。

「う~ん」と頭の中で唸りながら読んだ。
おかげで付箋紙が30枚ぐらい貼られている。

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『普通の家庭がいちばん怖い』

多くの方のブログで紹介されている、
『普通の家庭がいちばん怖い 徹底調査!破滅する日本の食卓
                         (岩村暢子、新潮社)

ではあるが、20代の人の感想ってあまり見たことがない。
実際のところ、読者層はどうなんだろう?

さて、そんな20代ギリギリの自分の感想。

一言にすると
「自分もそうかな?」
といったところ。

"和洋折衷”と題してクリスマスにブログに書いたけれども、
我が家もどちらかというと(妻が)クリスマスを待ちこがれている。

自分はクリスマスだろうと、「でも、そんなの関係ねぇ!」だし、
クラスのクリスマス会も開いていない。
(多くのクラスがクリスマス会をやっていてビックリした・・・。)

しかし、しかし、

家庭の雰囲気は「お母さん」によるところが大きいんだよなぁ。
ということは、いかに「父親」が家庭をないがしろにしているってことなんだよなぁ・・・。

amazonの書評では、「主婦に対する攻撃的な本」のようにとらえられているけど、それだけ家庭における父性不在が顕著になったってことじゃないだろうか。

本文にも書かれているけれども、躾をしようとしたり、正月にまつわる謂われを話して聞かせようとしたりする父親は、簡単にまとめてしまうと「ウザい」存在なんだよなぁ。ちなみに子どもにとって「ウザい」のではなく、妻から見ての「ウザい」である。

そりゃぁ、学校で当たり前のことを当たり前にできるようにしている先生が、多くの母親から見ると「ウザい」対象になってしまうのだろう。

子どもが母親と同じ感覚になってしまうのも無理はない。

負けるな、世の男性達よ!!
もっと「ウザく」生きようぜ!!

そして、

負けるな、オレ!!

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活字中毒

明日で年末年始休業も終了。とは言っても今日から終日学校で仕事を始めたので、体のアイドリングは済んでいる。

面白いのは、丸1日勤務しただけで、夕飯―入浴後の体重が1㎏あまり減ったこと。これには自分でもびっくりした。職員室にいることが多く、子どもたちがいるときに比べたら運動量は大差があるのに、この減り具合は何だろう?

           *

さて、この休みは「活字中毒」と言っていいぐらい本を読んだ。
暮れのうちに読んでブログで紹介した3冊の他に、

①『イチロー至上主義』(氏田秀男、実業之日本社)
②『変言自在 サダムフセインは偉かった』(高山正之、新潮社)
③『普通の家庭がいちばん怖い 徹底調査!破滅する日本の食卓
                         (岩村暢子、新潮社)
④『流星ワゴン』(重松清、講談社文庫)
⑤『運に選ばれる人 選ばれない人』(桜井章一、東洋経済)
⑥『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』
                      (武田邦彦、洋泉社)
⑦『心のめばえにほほえみを』(平井信義、企画室)
⑧『読書力』(齋藤孝、岩波新書)
⑨『「天才」の育て方』(五島節、講談社現代新書)

の9冊を読んだ。

また、これらとは別に、

☆日経PC21 2月新春号 (理由:フリーソフト特集に惹かれて)
☆月刊アスキードットPC (USBメモリの活用術に惹かれて)
☆BRUTUS 2008 1/1・15合併号 (「読書」がテーマだった)
☆特選街 2月号 (とにかく「買いだっ!」と思った)
☆ボウズSTYLE '08 (頭髪はセルフカットのため参考までに…)

の雑誌を読んだ。

本の感想は折に触れてブログに綴りたいと思うけれども、
9冊をざっと振り返ってみて特に心に残っているのは、
③『普通の家庭がいちばん怖い 徹底調査!破滅する日本の食卓
                         (岩村暢子、新潮社)
④『流星ワゴン』(重松清、講談社文庫)
⑥『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』
                   (武田邦彦、洋泉社)
⑧『読書力』(齋藤孝、岩波新書)

の4冊。

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『いま私たちが考えるべきこと』

昨日は大そうじパート2をやっつけて、すぐに雪遊びへに移行。
長男は近所の女の子とミニかまくら作りに興じる。

P1000643

そんなこんなで昼食後は子どもたちの寝かしつけ。
と思ったら、自分が寝かしつけてもらった。

2時間ぐっすり。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

さて、昨日読んだ本は『いま私たちが考えるべきこと』(橋本治、新潮文庫)。一言で感想を述べると・・・、

※☆+◆…△-÷●◎な、なんとなく、わかるような気が…。

になる。

はじめはよくわからなかったけれども、なんとなくわかった気がしてくる作品。そうはいっても自分がこの本を選んだのは<11「個性」とは哀しいものである>を読みたかったため。

教育に携わるものとして、「個性的である」という言葉はできるだけ使わないようにしている。通知票しかり、保護者との懇談しかり。

というのも、「個性的」という言葉には否定イメージがつきまとうと自分では考えてきたからだ。そもそも「個性を伸ばす」という言葉自体、好きではない。「個性を伸ばす」ことは、学校の目指す方向ではないと考えてきた。

前置きが長くなったけれども、『いま私たちが~』を読んで、胸につかえてきたものがすっきりとれた気がする。

筆者は「個性的」と言われること久しいらしいが、やはりマイナスイメージで受け止めている。文中では「差別になる手前で踏み止まった、侮蔑を曖昧にする止揚表現」と著している。

最後に、とても考えさせられた言葉の紹介。

「だがしかし、学校教育というものは、そもそも『一般性』を目指すもので、個性とは別である。<中略>『学校教育は一般性の担当に終始すればいい』と言えるのは、学校の外に『個性を伸ばせる場』があってのことである。<中略>学校の『個性を伸ばす教育』を目指さざるをえないのは、つまるところ、もう学校の外に『個性を伸ばす教育』が起こらなくなってしまったからである。」

どこまで学校は、その受け持つ仕事を増やさなければいけないのだろう・・・。

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『仕事の80%は月曜日に終わらせる!』

昨日は午前中に大そうじパート1。
部屋のすす払いのような、ホコリ落としが終了。

昼食をとって、子どもたちを寝かしつけたら一気にやる気が落ちて読書モードへ。

『仕事の80%は月曜日に終わらせる!』(中島孝志、プレジデント社)を読了。『朝4時起きの仕事術』を3年ほど前に読んでから、筆者のブログを見てきた。いつもは同業者のブログしか見ないので、貴重な情報源となっている。

さて、本著は一般企業に勤める人に向けて書かれているけれども、教員にとっても月曜日の過ごし方は大事だと思っている。

教員の場合は月曜日というよりも、前週の金曜日から土日にかけて準備しておくことたくさんあるような気がする。

例えば授業の見通しをたてること。
宿題の見通しも立てること。
研究会や職員会の資料を用意すること。

などなど。

これらを週初めの月曜日に終わっていたら、1週間は余裕で乗り切れるだろう。

ただ筆者は営業職の人は2週間というスパンでアポ取りをするといい、と述べているように、教員の世界でも2週間を見通して予定を立てられれば、もっと効率よく仕事を進められるだろうな、という感想を持った。

さてさて、今日は朝から雪。

子どもたちが大そうじをそこそこに外で雪遊びを熱望しており、パソコンの横でわめいている。一緒に雪遊びを楽しんじゃおうかと思います。

無事に年が越せるかどうか、やや不安・・・。

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『先生はえらい』

昨日は終日の日直当番で仕事がはかどった。
あとは年末年始にどれだけ進められるかだ。

さて、タイトルにある『先生はえらい』(内田樹、ちくまプリマー新書)を3日ほど前に読み終えた。内田樹氏の本は『下流志向』に続いて2冊目。普段からブログは見ているので、なんとなくスタイルはわかっていたつもりだったけれども、歯ごたえのある文章にアゴがつかれてしまった。

別に、学校の先生は多忙で、生徒指導に追われていて大変だ、がんばっているなぁという教師礼賛の本ではないことを確認する必要がある。

コミュニケーション論として、かなり面白い。

かつてのベストセラー『バカの壁』と共通している部分もあるのでは、と感じた。『バカの壁』は、理解しようという意思をストップさせてしまうそれこそが「壁」である、という内容だった気がする。

それに対して『先生はえらい』では、自分が学びたい、「おや?」と思ったとき、相手が誰であろうとその相手が「先生」になる、という内容だった。

理解をストップさせるところに焦点をあてた前者と、理解しようとするところに焦点をあてた後者。

言わんとしていることは同じなんだろうな。

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『子ども家畜論』

色々な方のブログを見ていると、ほとんどの自治体は昨日から“冬休み”のようで、なんともうらやましい限りです。
ウチの自治体はあと3日の登校日が・・・。そして、新年は9日が始業式。それでも遅いような気がする。多分、8日に始業式をする所もあるのでは・・・。
他をうらやんでも仕方がないのだけど、休みがほしいなぁ。

さて、昨日は『子ども家畜論』(小川義男、祥伝社)を読み終えた。

過激なタイトルの通り、自分のような人間が思っていても言えないような考えがふんだんに盛り込まれている。

その一方で、子どもへの深い愛情がひしひしと伝わってくる。そして、教育界を良くしたいという熱い想いも伝わってくる。

まず子どもには「服従する心」を、と提案しているのは、子どもたちに“生徒させる”ことを教えることに似ているなぁと思う。たとえ『学び合い』であろうと、子どもたちが好き勝手なことをしてしまったら、それは学級崩壊へまっしぐらだと思う。『学び合い』だからこそ、“生徒する”ことを、それこそ“植え付ける”ぐらいの気持ちでいないといけないかもしれない。決して「何もしない」ことが『学び合い』ではないよなぁ。

また、著者は最後に、

「『夜明け前がいちばん暗い』と言う。不安でもあろうが、学校を信頼していただきたい。大丈夫だ。教育は、どうか教師に任せていただきたい。そのため、全国の校長、教師たちは本来の教育理念に立ち戻り、この国難に立ち向かおうとしているのである。」(235ページ)

と記している。下線部はなんて心強い言葉であり、身が引き締まる言葉だろう。このページ直前では家庭教育にコメントしているだけに、なんでもかんでも学校が請け負うと言っているのではない。それでも、「大丈夫だ。教育は、どうか教師に任せていただきたい。」と言い切ることで、是が非でも頑張らなくては!と思えてくるのはなぜだろう。

面白い教育書だった。

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『なぜ、理科は難しいと言われるのか?』

『なぜ、理科は難しいと言われるのか?』(西川純、東洋館出版社)を読み終えた。

サブタイトルに「教師が教えていると思っているものと学習者が本当に学んでいるものの認知的研究」とあるが、まさに教師と学習者の間にある「溝」を知らしめる内容だった。

特に第8章「子どもが見ているもの、教師が見せているとおもってるもの」は自分の中にストンと落ちた。実際に子どもたちに教えているからこそ、「あるある」と思わずツッコミをいれたくなることが満載だった。

自分はこれまでの経験上、学力テストが「できる」子は“適当”に考えることができる子で、「できない」子は問題文や問われていることを“適当”に考えられずに“ごく真面目”に捉えてしまう子ではないかと考えてきた。

“要領”と言ってもいいかもしれない。

ただ、人として好感が持てるのは、案外後者だったりする。

本題に戻そう。

本の最後、第12章「今後の展開」に『学び合い』の目指すところがあると感じた。勝手に解釈している“自分”の目指すところかもしれない。

<120ページより引用>
新しい教室文化を育てようとする点である。その大きな特徴は、課題達成のみを目的とするのではなく、その課題達成のためにコミュニケーションを成立させることを目的とする。

「わからない」なら「教えてぇ。」と言えること、そして友だちが理解できるように説明できることが自分の目指す子どもの姿である。

これからは『学びあう教室』(西川純、東洋館出版社)を読む予定。
ちなみに平行して『子ども家畜論』(小川義男、祥伝社)も進行中。

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「みんなで誤解を強めよう!」

『なぜ、理科は難しいと言われるのか?」(西川純、東洋館出版社)を少しずつ読んでいる。僭越ながら、そこから感想を。

昨日、第5章“何が概念獲得の障害となっているのか”を読んだ。
そこで「誤解」が扱われている。

自分も授業をしていて、同感なところがある。

今、算数では繰り下がりのある引き算の全36問のプリントをやらせている。これはもう「やらせている」のであって、子どもたちが自主的に選んだ教材ではない。だからこそ、少しは自分で「がんばるぞ!」と思わせたいと思って、結果をグラフにまとめている。

36問を解くのにかかった時間、誤答数を記録しているので、右肩下がりで計算が速くなっていたり、誤答が0に近づいたりと、1年生でも「下がったぁ!」と喜んでいる。もちろん、使うプリントは毎日同じプリント。それを担任が採点。プリントが終わった子から、周りに迷惑をかけないように教科書を見て、問題を解く、という流れになっている。

さて、そのプリントをやらせてみて、面白いことに気づいた。

一人の子のプリントを6~7回分並べてみると、児童Aは毎回同じ問題に同じ誤答を書いている。例えば、14-6=9のように。それが1つではなく、5・6カ所あったりするから、なお興味深い。

また児童Bは、毎回のように別々の問題を間違えている。今日は(3)、その前は(15)というように。時折、同じ(3)を間違えていたりするけれども、その答えは以前と同じではない。例えば14-6=9だったのが、14-6=7のように。

どちらの子が改善が早いかというと、前者、児童Aの方が早かった。単に間違えて「覚えている」と思われるので、正しい解を「覚え直す」のか、意識するのかわからないけれども、確実に解くのにかかる時間と誤答数は短期間で減る。(減った)

児童Bは、引き算そのものの解法の定着が不十分なのかもしれないと思っている。その証拠に、時折急激に解くのにかかる時間が増えたり、誤答数が2~3倍になることがある。

『なぜ、理科は~』を読んで、“強い”誤解の有無の重要性を納得しながら読んだ。しかも、どうすれば誤解を強められるのかもあり、興味深かった。

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臨時収入

金曜日、職員旅行の残金が戻ってきた。
おかげで、昨日上越教育大に行った折に本を買うことができた。

3冊買ってしまった。

今日から通知票をつけなくてはならないのに・・・。
本を読むためにがんばって仕事しよう。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

大学生協が開いていて、フラッと立ち寄った。
『学び合い』に関する本が並べられていて、うらやましかった。

普通はアマゾンに注文しないと、地方の本屋では買えない。
さすがは上越教育大!

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金欠

突然だが、10月頃から金欠状況が続いている。
原因はまぁ色々あるにしても、どこに響くか。

本が買えないことにつながる。

自分が自由に使えるお金は、半分以上は書籍代。
結局、そこを削ることでしかしのげない。

何がキツイって、読みたい本がすぐに買えないストレス。
これまでの「積ん読」がどんなに贅沢だったか・・・。
おかげ学び合い関係の本もまだ読めていないし、
読みたいと思う本のリストだけが増えていく。
余計にストレスになる。

金欠スパイラルとでも言えばいいのか。

今は仕方がないから「審議のまとめ」を読んでいる。
別に真面目なわけではない。
そんなんでも、何か読んでいたいんだ。

あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

地域に図書館さえあれば好きなだけ無料で読めるのに。

悔しい・・・。

切ない・・・。

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『なぜ、その子は腕のない絵を描いたか』

『なぜ、その子は腕のない絵を描いたか』(藤原智美、祥伝社)を読了。どなたのブログで紹介されていたのかも忘れてしまうほど、購入してから「積ん読」(つんどく)状態になっていて、ほったらかしになっていた。

しかし、しかし。

読み始めたら「読みたい、読みたい」と渇望するようになり、できるだけ時間を見つけて読み終えてしまった。

自分自身、“子どもが変わってきている”と感じている。世の中の流れとして“子どもは昔も今も変わっていない”とする論調が大きいと思う。しかし、時代が変わり、様々な環境が変わる現代において子どもが変わらないほうがおかしいのではないかと思っている。

そして、自分が実際に関わってきている子どもたち。それが何よりの論拠である。

『なぜ、その子は~』では、子どもが変わってきている、そしてその原因は何なのかを一貫して追及しているように思えた。なぜに腕のない絵を描くようになったのか、から始まって現代の子どもたちを取り巻く環境を話題にしていて、単に絵画心理研究というよりも、もっともっと深い内容の一冊だった。

また、著者の主張というよりも、様々な文献にあたるなかで見つけた記述を載せていて、読書欲がますますふくらんでいくことも自分にとっては興味深いものだった。

幸い、自分の受け持った子に腕のない絵を描く子は一人もいない。

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『国家の罠』

『国家の罠 ~外務省のラスプーチンと呼ばれて~』(佐藤優、新潮社)を読了。

夏休みに読んだ、『反省』(鈴木宗男・佐藤優、アスコム)で興味を持って読み始めた本だったが、実に面白かった。

「国策捜査の存在を日本中に知らしめた」という本の帯にある言葉の通り、国策捜査のやり方をこれでもかと記述してあるのはもちろん、筆者と検察官とのやりとりがとても面白かった。言葉はわるいけれども両者の関係は最後には友情関係のように思わせた。

先に『反省』を読んだけれども、『国家の罠』の後に『反省』を読んだ方が、「後日談」として捉えられるから中身がスイスイ頭の中に入っていくだろうな。

それにしても、「実質識字率」(だったかな?)は5%、という言葉が印象的だった。

日本人は文字が読める(識字率は高い)けれども、新聞やワイドショーの報道を鵜呑みにして、事の本質を見極めようとする力(実質識字率)は弱い(低い)という指摘はその通りだと思った。

確かに事件が起きた当時、自分は「鈴木宗男はなんて悪い政治家なんだ。」と思っていた。(田中真紀子さんが良いとは思っていなかったけれども・・・)でも、この本を読むと事の流れがよくわかる。それとともに、ワイドショーや新聞の報道というものは自分の頭で考えて理解しないといけないことを痛感する。

自分の実質識字率は低かったな。

でも、この本のおかげで本当に「わかる力」をつけたいと思うようになった。

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