昨日は大そうじパート2をやっつけて、すぐに雪遊びへに移行。
長男は近所の女の子とミニかまくら作りに興じる。
そんなこんなで昼食後は子どもたちの寝かしつけ。
と思ったら、自分が寝かしつけてもらった。
2時間ぐっすり。
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さて、昨日読んだ本は『いま私たちが考えるべきこと』(橋本治、新潮文庫)。一言で感想を述べると・・・、
※☆+◆…△-÷●◎な、なんとなく、わかるような気が…。
になる。
はじめはよくわからなかったけれども、なんとなくわかった気がしてくる作品。そうはいっても自分がこの本を選んだのは<11「個性」とは哀しいものである>を読みたかったため。
教育に携わるものとして、「個性的である」という言葉はできるだけ使わないようにしている。通知票しかり、保護者との懇談しかり。
というのも、「個性的」という言葉には否定イメージがつきまとうと自分では考えてきたからだ。そもそも「個性を伸ばす」という言葉自体、好きではない。「個性を伸ばす」ことは、学校の目指す方向ではないと考えてきた。
前置きが長くなったけれども、『いま私たちが~』を読んで、胸につかえてきたものがすっきりとれた気がする。
筆者は「個性的」と言われること久しいらしいが、やはりマイナスイメージで受け止めている。文中では「差別になる手前で踏み止まった、侮蔑を曖昧にする止揚表現」と著している。
最後に、とても考えさせられた言葉の紹介。
「だがしかし、学校教育というものは、そもそも『一般性』を目指すもので、個性とは別である。<中略>『学校教育は一般性の担当に終始すればいい』と言えるのは、学校の外に『個性を伸ばせる場』があってのことである。<中略>学校の『個性を伸ばす教育』を目指さざるをえないのは、つまるところ、もう学校の外に『個性を伸ばす教育』が起こらなくなってしまったからである。」
どこまで学校は、その受け持つ仕事を増やさなければいけないのだろう・・・。
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