仕事

091107 交通安全教室

連休明けの4日(水)に交通安全教室があった。


実は10月の台風で休校になった日にやることになっていたのであるが、この「10月」ということで、実際の準備は9月の運動会特別時間割期間中に進めていた。


     ◆


今年は1時間目の全体講習で歩行について、そして2時間目以降は連学年ごとに自転車講習と考えていた。ただし、雨天時は2時間目に雨中の歩行訓練(「訓練」という表現が妥当とは思わないが)と職員会で決定した。


交通安全教室の企画者は安全主任である自分。つまり、講習自体を創り上げていかなくてはならない。


今回考えたのは、

①保育園保護者アンケート
②下校状況のビデオ撮影

である。


     ◆


①保育園保護者アンケート


本校の5時間日課の下校時刻は15時20分。保育園の降園時刻が15時30分。つまり、お迎えのために車を進める横を児童が歩いているのだ。


今回、歩行について講習をするにあたって、「地域の声」を子どもたちに届けさせたいと思った。「地域の方」って誰だろう、と考えたときに、この保護者の方々が毎日下校状況を目の当たりにしていることに着目したのだ。


幸い、今年は保育園の保護者会長を仰せつかっており、園長先生をはじめとする園の先生方と話すことも多く、簡単にお願いすることができた。(もちろん、本校の教頭から園長先生に連絡を入れていただいた)あとは自分がアンケートを作るだけだった。


     ◆


②下校状況のビデオ撮影


アンケートをとって、それだけを基に進めることもできた。しかしながら、それでは「弱いなぁ」という想いもあった。そこで、子どもたちに自分たちの姿を見せることで、まさしくメタ認知ができると考えた。


ここで問題は2つ。

A・・・どうやって撮影するか
B・・・いつ撮影するか

である。子どもたちの側で撮影すれば、騒がれるかよそ行きの歩行状況になるかどちらかである。では、車から撮るしかない。さすがに自分が運転しながら撮ることはできない。しかも運動会前の忙しい中である。仕方がないから嫁さんに協力してもらった。


そして、「いつ」である。


できれば全校集団下校の日がいいが、本校で該当するのが水曜日。水曜日は職員会の日でもある。あぁどうしようと思案していたら、運動会当週は職員会がなかった。なんてラッキー!


こうしてビデオ撮影にこぎつけ、子どもたちが縦横無尽に(大げさな表現だが)歩いている姿を収めることができた。

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091030 忘己利他

以前、「忘己利他」(「もうこりた」と読むらしい)という言葉のある絵はがきをいただいた。そして、以下は昨日、子どもたちに話した言葉である。


「利益」はそれ自体に価値があるのではなくて、「利益」をどう使うかによって価値が生まれるのです。
<『リストラなしの年輪経営』(塚越寛 光文社)45ページより引用>


「利益」を「知識」や「成績」、もっと具体的に「テスト点」などに置き換えて考えさせたいと本を読んだときに思った言葉である。


「学力向上」と声高に叫ばれている昨今であり、それ「も」学校教育には欠かせないものであるけれど、そうして得た「学力」をどう生かすのか。他人のために、社会のためにそれを生かせる人を育てていきたい。そういう自戒も含めて話をした。


もっともっと自分が人間性を高めなくては。

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090919 運動会

本日は運動会なり。


昨夜も21時に寝たおかげで、1時には目を覚ました。いつもなら目を開けても目覚めることはないのだが、今日は特別。さすがに寝過ごすわけにはいかないのだ。


体育主任が5時30分ごろ出勤するというのだ。職住接近な自分が7時頃にのこのこと顔を出すわけにはいかぬ。


おかげで久しぶりにブログもアップできたというものだ。運動会サマサマ。

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090826 教育県

今日は珍しく起きている(^^)
月・火と子どもに読み聞かせをして、添い寝をして、zzz。。。結局そのまま朝まで眠ってしまった。さすがに今夜は眠れなかった。


     ◆


今日は4時間目から自習にして社会見学の下見に行ってきた。夏休み中に計画を立てていて気づいたが、休み前の職員会で計画案を出して、休み中にいくべきものである。これは反省かつ、来年度への申し送り事項にしなくては。


そんなんで下見へ行ったのだが、若干時間ができたので、下見場所の道すがらにあった旧開智学校へ立ち寄ってきた。


いつも近くを通っていたのだが、今日は一人で出かけてきている。息子たちも一緒ではない。よし、このチャンスを逃してはいけない!一念発起しての入場だった。







よかった。


一時間くらいかけて、全部の部屋のパネルまで目を通して、じっくり見て回った。見れば見るほど、本県の教育の歴史が頭の中に響いてくるようだった。


本県は「教育県」と言われる。寺子屋の数が多かったからだと言われているが、実際に多かったのだと思う。ただ、今日、旧開智学校に行って、


建築費1万1千円の7割が寄付で賄われた
寄付の最高額は22円であった
当時の権令の月給が20円の時代である



という説明があったとき、「教育県」という言葉が頭の中に浮かんできた。たしかに当時の学校を建てるには公費が出されることは少ないだろう。でも、総建築費の7割が地域からの寄付であったことは、地域の教育にかける熱意が如実に表れているしるしだろう。


     ◆


下見は下見で無事に済ませられた。しかし、今回は「立ち寄り」が自分にとっては有意義であった。小学6年ぐらいの担任だったら、旧開智学校へ連れて行きたい。

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090823 思わぬ長き一日

この日は朝から組合の会議。ありがたい(?)ことに、ここのところ組合の会議が地元で行われる。おかげで前日の結婚式で妻の実家に帰ったのが午前様でも、気楽に出席することができた。


さて、この会議。全体会は13時までの予定だった。しかし、終わってみれば帰宅したのは18時30分。


全体会が終わって、県執行部が残って行われた会合が長引いたのだ。まぁ雑談もありながらで、話すだけで気楽になるのだが。


ここのところ、週末が週末でないのが気にかかるが、がんばって凌ごう。

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090821 無事に終えた一日

昨日は始業式。転入生を迎えての初日でもあった。


毎年、年度途中に転入生を迎えている。新しい仲間が加わることはうれしいことだが、年度途中というのは何かと準備に忙しい。今回も日常に忙殺されて、昨日一日どうなることかと内心ドキドキものだった。


無事に終えたことが何より。夜、転入生の家に電話をしたときも、家で元気に話している声が電話の向こう側で聞こえてきた。よかったよかった。

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090820 2学期開始!

教員にとって夏休みとはいえない夏休みが終わった。
今年もあっという間の22日間だった。


本県はどうして夏休みが短いのだろう。
年間登校日数は210日前後で全国的に見ても多い方だと思う。
かつては寺子屋が最も多くて、教育県なんていう風にも言われていた。


それなのに、どうして小学校の不登校の割合が全国ワースト1なのだろう?


・・・と、いつにも増してネガティブなことをたくさん考えるきっかけが多い平成21年度の夏休みが終わる。今日が始業式。子どもたちがやってくる。


昨日の学校勤務は、今までの自分が自分でなかったかのように、あれやこれやと考えて動けていた。やっぱり、子どもたちが学校に来る、ということが目前に迫ると、頭の中が学校モードに切り替わるのだな。「そんなに仕事が好きだったっけ、オレ。」と思うほどだったのだ。


さぁて、がんばるか。

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090710 簡単に読めるんだ

つい先ほどのこと。


珍しく早く起きてきた長男。ゴロンと転がって、時計を見るなり、
「お父さん、今日は早いね。まだ5時?」


と言ってきた。学級通信とつくりながら聞いていたので、かんたんな相づちを打っていたら、
「5時41分?」
と再び聞いてきた。


冷蔵庫にデジタルの時計表示があるが、長男の目は明らかにアナログの掛け時計に向いている。そうか、いつの間にか時計が読めるようになってきているのか。そんなことを思っていたら、長男が一言。
「時計ってこんなに簡単に読めるんだね」


算数の授業で時計を学習する、というと構えてしまうけれども、こうやって普段の生活の中で身に付けられるものがあれば自然な学習だよなぁ、とキーボードをたたく手を止めて、ぼんやり考え込んでしまった。

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09読書043 学ぶ意欲の心理学

『学ぶ意欲の心理学』(市川伸一、PHP新書)を読んだ。夏休みに再読することにした。それぐらいの本である。


何が「それぐらい」に値するのか。


自分の知らなかったことが書かれている、あるいは、ぼんやりしていたことがはっきりと書かれている、という点で「おもしれーなー」と思いながら読んだのである。


なれる自己を広げておくことは、結局自分の自由度を広げることになる


これなんかは、「何で勉強する必要があるの?」ととかく思いがちな人に伝えたい言葉である。また、


「自律ということは、イコール独立ということではないんだ」


というデシの言葉を引用してもいた。ここから続く文章は『学び合い』に通じるところがある。例えば、はじめから子どもたち同士が立ち歩いていい、相談してもいい、という授業になったときに、「そんなのまずは自分で考える必要がある」という人もいる。しかしながら、本書の言葉を借りれば


「こういうふうな援助をしてほしい」と思って頼んでやってもらうという時には、自律心は損なわれないわけですね。


なーるほど。自分の意志で人に頼るのであれば、それも「自律」なのだ。確かにそうだ。自分の判断で動くのだから。それをしないで、自分で考えろ、というのは指示を出して否応なしに一人で考えさせるのだから自分の意志で動こうとする力は育たない。



などなど、いろんなことを考えながら読書を愉しんだ。やはり、夏に再読する一冊だ。

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090624 あと6クラスかな?

昨夜、添い寝をしながらふと考えた。


今年で31歳。もし自分が管理職になるとしたら・・・。


あと20年あまりが学級担任としての期間か。本県は3年間担任持ち上がりということも往々にしてあるから、20年÷3年≒6となり、あと6クラスしか担任を持てないことになる。


管理職にならなかったとしても残り最長29年だから、あと10クラス・・・。そう考えると急に切なくなった。

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090620 再会

ひょんなところで、小学3年時の担任と再会。初任研の指導教官であったので、8年ぶりの再会となる。


8年前にお会いしたときは、名前がはっきりわかっていたので、あぁ変わっていないなと感じた。今回はお会いできるとは思っていなかったのだが、一見したときに「あぁ○○先生だ」とすぐにわかった。


恩師に会えるというのは頻繁にあるものではない。それだけに昨日は素晴らしい一日だった。

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090611 「交流する」とは?

昨日、校内研が行われた。秋の教育課程本番を控えて特別活動の授業。自分は授業者ではない。


その授業研究会の最後の最後。校長から指導主事へのお礼の言葉の中で、校長からも一言あった。その内容がスッキリまとまって、かつ、とてもわかりやすかった。


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本時は1年生との交流会のことを考える時間であった。
「交流する」と一口で言っても、そこには段階がある。

①何をすればいいかわからない
②相手と同じ行動をとろうとする
③相手の望む行動をとろうとする
④相手の良さを認めることができるようになる
==========================



これを「交流会」で考えても非常にわかりやすいが、「学級内の人間関係」に置き換えてみてもいいのではないかと考えた。


『学び合い』において、相手が何を望んでいるのか慮って、あるいは尋ねて、その望みに応えてあげようとすることはわりと出来る。そこで留まるのではなく、一緒に活動することで相手の良さを見つけ、認めることができたらどんなにいいだろう。あるいは、相手に何かをしたつもりでいて、逆に何かをしてもらっていると思えたら(例えば、教えたつもりが「教わった」と思えたら)、どんなに素晴らしいだろう。


さっそく、今日子どもたちに伝えよう。

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090610 道徳の内容

先週の道徳の授業で、3・4年の道徳の内容について扱った。実は昨年度も中学年の内容について資料をつくっておいたのだが、今年、新指導要領を見て作り直したら、細かい点が結構変わっていることに気づいた。


たとえば、


<1 主として自分自身に関すること>には、
(5)自分の特徴に気付き、よい所を伸ばす
という新しい文言がある。



また、


<3 主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること>では、
旧指導要領では、
(1)自然のすばらしさや不思議さに感動し、自然や動植物を大切にする
(2)生命の尊さを感じ取り、生命あるものを大切にする
となっていたものが、新指導要領では、
(1)生命の尊さを感じ取り、生命あるものを大切にする
(2)自然のすばらしさや不思議さに感動し、自然や動植物を大切にする

と入れ替わっている。



自分が考えるに、前者の新しい文言は、自己肯定感を意識したものであると思われるし、後者の順序の変更は、いわゆる「心の教育」から命を大切にする必要性を訴えたいためと思われる。


他にも、「郷土(我が国)の文化と伝統」だったものが「郷土(我が国)の伝統と文化」となっていたりするのだが、このあたりも何か意図があるから変更が加えられているのだろうなと考えた。


指導要領は恥ずかしながらこれまでじっくり読み込めていなかったけれども、このような変更を考えると、その時代の教育課題などが随所に盛り込まれているのだと思った。そして、もっともっとしっかり読んでいかなくてはならないとも思った。・・・もっとも、遅すぎるくらいである。また、他の先生方のブログで新旧指導要領の相違点を挙げられている理由がようやくわかったのでもある。ホント、恥ずかしながら今頃、である。

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090606 言葉の豊かさとは

(つづき)


「言葉の豊かさを養う」という保育所保育指針を見たときに最初に思い出したのは、「言語力の育成」である。おそらくこの「言語力の育成」を掲げる新指導要領を意識して、この指針にも盛られているのではないかと考えたのである。


では、「言葉の豊かさ」=「言語力の育成」なのか???


ざっと調べたところ、自分としては同義のものとして考えるようになった。ただし、あくまでも自分なりの解釈であるので、ここでその解釈をつづることは避けたい。まぁ、自信がないというのが正直なところである。


で、文科省のHPから見つけたこの資料。「言語力の育成」をまずしっかり調べることが必要であると思わされた。これらが新指導要領に反映されているのだろう。そして、各教科・領域でできる「言語力育成」がもっと見えてくるはずだ。

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090605 文字に興味を持つ

幼稚園では文字を読めるようになると思うのだが、では保育園ではどうなのか、という疑問を抱いた。


本県のように田舎町がたくさんある場合、保育園しか選択肢にないことが多い。文科省と厚労省という管轄が違えば、子どもたちの育ちは違っていいのかというとそうではない。厚労省の管轄である保育園でも、子どもたちが言葉に興味を持つ方策を考えているのではないか、そういう期待にも近い想いで以前、ネット検索してみた。


案の定、保育所保育指針というものを見つけた。これは今年の4月1日から適用されはじめたものである。「hoiku-shishin.pdf」をダウンロード


そういえば、保育園からも指導要録のようなものが送られてくる、という話を聞いたことがあるが、その根拠となるのがこれなのだろう。


     ◆


これを読んでみると、
3保育の原理 (一)保育の目標のア(オ)に、
生活の中で、言葉への興味や関心を育て、話したり、聞いたり、相手の話を理解しようとするなど、言葉の豊かさを養うこと
とあった。


「読む」とは入っていないから、文字を読めるようになることを目標としてはいないのだろう。ただし、「など」が入ってボヤけたものになっており、文末は「言葉の豊かさを養うこと」とある。つまり、保育の目標の一つに「言葉の豊かさを養うこと」が含まれているのである。


     ◆


では、「言葉の豊かさ」とは何なのだろう。


(つづく)

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090604 文字の習得はいつからか

受け持ちの子どもたちは、小学校入学時にひらがなを全く、あるいは、ほとんど読めないという子が約半数だった。これはこれで「衝撃」だった。それ以前に1年生を受け持ったとき、読めない子が1・2人だったことを思えば(児童数20)、かなりの違いであった。(現在のクラスの入学時の児童数は17)


そして、今。入学時に文字をあまり読めなかった子たちは、教科書を読んで理解するということに若干の難があるように見受けられる。ただし、わからないことは席を立って聞きに行けばいいので、担任として困ってはいない。


     ◆


長男は10日ほど前に6歳になった。ひらがなは全て読めるし、カタカナもほとんど読める。シンケンジャーのおかげで漢字にも興味を持ち始めた。


クラスの子たちとの違いは何なのだろう、と思う。


自分が教員だから?
いや、妻は幼稚園教諭だったとはいえ、成績は中の下であった。そういう人が母親である。父親としての関わりなんてたかがしれている。


     ◆


以前、こちらで紹介されていたことが強く印象に残っていたことも影響している思う。残念ながらリンク先が削除されているので、小見出しからしか内容を推察できないが、やはり入学前に「読む」ということはできるようになるものとして考えてよいと思う。


また、こちらでも同じ方が記事を寄せている。


     ◆


何かの記事で、子どもが文字に興味を示すのは5歳ごろだと読んだことがある。自分の長男の場合、確かにその通りだった。しかしながら、ネット検索してみると、親の関わりしだいでは1歳や2歳で文字に興味を示し、3歳になれば書き始めるということもあるのだと知った。


(つづく)

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090602 日刊から週刊へ

毎日学級通信を発行している。もう4年になる。


昨日の通信で、日刊から週刊にすることを載せた。学校からの連絡もあるので、最低週1回は発行する必要は感じる。


発行は週刊になるが、あくまでも学級通信をつづっていくのは自分の「趣味」であるから、毎日の朝の日課としてパソコンとにらめっこする日々は変わらないだろう。それを発行するかしないかだけの違いである。


金曜日の発行だけであれば、それまでにつづっておいた内容をいくつかピックアップしたダイジェスト版となる。まぁ、それでよい。


大事なのは、自分の「趣味」を紙媒体で毎日配付するかどうかなのである。通信を読んでいただいて、感想を寄せてもらいたいとか、保護者の自己啓発に使っていただきたいという想いは今まで皆無だった。あくまでも自分の「趣味」なのである。


己のためにつくりつづけよう。

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090521 ご縁に感謝

昨日、帰宅してしばらくしてからだったが、自分宛の厚みのある郵便物に気づいた。差出人は横浜の(勝手に)懇意にさせていただいている方からだった。


もう、感謝の言葉しかない。


いそいで年始にいただいた年賀状を探して、そこに書かれていた電話番号にお礼の連絡を入れた。時間も21時に差し迫ったころであり、なんとも不躾なものである。


それなのに快く対応してくださり、またもや感謝である。


ほんの少しの縁を相手方の好意のおかげでちょっぴり太くしていただき、今の自分を支える力を与えてもらっている。この縁の力を、今度は自分が誰かに送っていけるといい。それが「恩送り」だろう。もちろん「恩返し」もしなくてはならない。

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090507 下駄箱

連休明けの昨日、7日はもう一回の“スタート”である。
子どもたちの教室に入ってくるときの挨拶は声が出ているか、表情は暗くないか、一つ一つの支度は滞りなく行われているか・・・、いろいろなことが気になった。


気になったことで、全体に話をしたのは下駄箱の様子である。4時間目の道徳の前に時間をとって、昇降口に出向いて話をした。


     ◆


学校や学級の様子は下駄箱の様子を見れば分かると思う。その点で言えば、昨日の下駄箱の様子は「乱れていた」。もちろん、靴がそろえられているところもあったが、それには気づいていないのだろうか、とも思った。


もう一度、ひとつひとつのこと、細かいことから見ていきたい。

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090501 4月が終わった…

今日から5月。ようやく4月が終わったという感じ。あぁ、長かった。それだけ忙しくあり、充実もしていたのだろう。


新年度という得体の知れない慌ただしさ
初体験の校務分掌
組合の仕事
親としての仕事


どれも今の自分に必要な肥やしとなっていると思える。


忙しいことを言い訳にして、いろいろなことをおざなりにしているところがあるので、今夜から連休中の見通しを持ち、連休明けにはある程度余裕をもって再スタートをきれるようにしよう。

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090424 新任者歓迎会

昨日は組合青年部の新任者歓迎会。郡に新しく見えた方を歓迎しようという企画だが、現任地のような小さな支部で20数名もの方が集まったのは心強い。


全然お互いを知らない人たちと語り合い、飲み、そして、二次会へ。実に楽しい夜だった。

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090422 「見本」と「手本」

ここのところ、折に触れて気になる言葉が「見本」と「手本」であった。どうも混同して使われている気がしてならない。そもそもこのように思うようになったのは、子どもたちに「見本を示す」と自分が言ったのがきっかけである。それから「手本を示す」というような使い回しを心がけてきた。


最近、自分ではなく職場で子どもたちに向けられた「見本を示してください」という言葉を耳にした。やはり「?」と感じて、その日の放課後に学校にあった広辞苑で意味を調べた。


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「見本」
ある商品・製作品の品質・意匠・効用などを知らせるために、その中から少量を取り出して示すもの。


「手本」
①文字や絵をならうための、模範とする文字や絵を書いた本。臨本。
②ならいのっとるべきもの。のり。模範。
③ならって造るべきもと。かた。様式。



===========================


やはり「見本を示す」「見本を見せる」という言い回しで、「下級生によい姿を示す」という意を表現するのは間違いである。きちんと調べたからこそ、使い分けができるようにしていこう。

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090420 もう月曜日

月曜日になってしまった。この週末はいちどもPCを開かなかったから、なんかあっという間の週末だったような、でもネットにつないだら未読のメールがいっぱいあって、あぁやっぱり土日は長かったのね、とも思ったり。


簡単に土日を振り返ると、その前の金曜の夜から昨日日曜にかけて3日とも松本へ行った。3回とも種類はバラバラ。それなのにどれも自分にとっては大事な時間だった。


今日からの一週間は学校で落ち着いた生活を送りたい。ゴールデンウィークまでの辛抱でもある。がんばろう。

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0900416 語尾

「語尾」と言っていいのかどうかわからないが、最近、頓に人が話している言葉の端々が気になる。


これ~、こちらに持ってくる~、Aが邪魔になるの~、・・・



といった話し方である。なんとも耳障りな話し方だと思うのだが、子どもたちはどう感じるのだろうか?子どもたちは何にも感じていないのかな。それがふつうだと思っているかもしれない。だとしたら恐ろしい。


     ◆


語尾が強くなってしまうというのは自分が子どもの頃から耳にしてきた。その都度、子どもながら変な話し方だと思った。「子どもだまし」だとすら感じていた。でも、今や子供に向けてだけではなく、大人同士の会議の中でもこのような話し方を耳にすることがある。


我々は子どもを相手に仕事をしている。「言葉」というものは大事にしないといけない。心から発しないと上滑りするものだし、一度口にしたことは取り消すことが容易ではない。そして、話し方にはリズムがないと子どもたちの心には響かない。


冒頭に示したような話し方で子どもたちの前に立ったとき、どんな子どもが育つのか。もっと凛とした姿を示していきたい。

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090411 生意気、そして、謙虚であれ

かつて、とある方のブログで勉強させていただいた言葉である。


“若者は生意気であれ。そして、謙虚であれ”


このように並列だったか、それとも「生意気だけど謙虚であれ」だったか、正確に思い出せないのだが、最近、この言葉をよく思い出す。自分は若者ではないと思う。でも、実際のところ職場では下から数えた方が断然早いし、地域の保護者としても下の方だと思う。


生意気すぎてもいけないし、素直すぎてもいけないと思う。そして、生意気なことを言ってもそれを受け止めてくれる人がいることも忘れてはいけない。


自戒。

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090409 「笑っちゃえ」

いやぁ、忙しくなってきた。思わず笑ってしまうほどだ。


前任校の生徒指導主任から教わったこと、それは生徒の問題行動があったときは「楽しめ」ということ。不謹慎な言葉のようにも思われるが、何か起きたときに心に余裕がないと、生徒の本当の想いに心を寄せることはできないし、こういったことがあるから学校は忙しくもあり、かつ、教員の仕事はやめられないのだと感じる。そりゃぁ、毎日毎日のことになったら笑っていられないかもしれないが。


今回は別に子どもたちのことで忙しくなってきたわけではない。それが切ないことでもあるのだが、これだけ大変になってくると「ワッハッハ」と笑って「すげぇ仕事量だぁ!」と開き直ってみたくなる。


そもそも「忙」という字は、「心」を「亡」くすと書きあらわすのだから、笑って取り組めることの方が幸せだろう。

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090408 子どもたちがいてこそ

昨日は3年生にとっては初の6時間授業。自分にとっては2年ぶりの6時間授業。子どもたちの方ががんばっていたような・・・。夜もすぐに寝てしまったほどだ。


6時間授業ということで子どもたちが下校してからすぐに17時を迎える。そこから自分の仕事をしてもあまり時間はない。それなのに気持ちが充実している。あの春休みの忙しさとは違うのだ。


これはやはり子どもたちが登校しているか否かの違いだろう。目の前に子どもたちがいることで、頭にくることもあるし、ついつい口を出したくなることはあれけれども、それらを差し引いてもやはり彼らのおかげで自分の心の安定があるのだと感じる。昨日なんかはいつにも増して彼らの頼もしく、思いやりのある姿がいくつも見られた。


自分は教員である。

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090407 「なぜ?」を大事に

小学校3年生の担任になって、理科や社会を教えることに不安を抱えている。小学校6年を担任して以来だから、7年ぶりということになる。


そんな中、昨日は社会と理科の「学級開き」。子どもたちは始業前から教科書をぺらぺらめくって眺めては友だち同士でしゃべっている。指導要領の内容をかみ砕いて話したりしようかと考えていたけれども、楽しそうに未知の教科について思いを巡らす子どもたちを見たら、そんな難しい話はやめようと思った。そして、社会は「何を学ぶ教科か?」問うて、子どもたちに答えてもらった。


子どもたちはたいしたものである。教科書を数分見ただけで、どんなことをやるのかがわかっているのだ。


     ◆


そして迎えた理科の時間。社会同様にどんなことを学ぶのか聞いたところで、パフォーマンスを行った。(社会で同じことをやっているのだから、二番煎じでは子どもたちだって飽きてしまう。)


それは初任の指導教官が見せてくれた理科の「学級開き」だった。手を触れずに風船を割るというもの。種明かしをしてしまえば、風船をセットするときに、指に灯油をつけておいて、その灯油によってしばらくすると風船が割れるのだ。割れるときは手が風船に触れていないので、あたかも「念力」(?)によって割れたかのように見える。


子どもたちは予想通り(??)、
「なんで割れたの?」
と食いついてきた。そう、その「なんで?」が大事なのだ。そこから「きっと~だろう」という仮説があり、実験があり、考察があって、同じ実験を繰り返したり、新たな疑問が湧いたりと続いていくのが理科だと思っている。<理科=実験>ではないのだ。


     ◆


このパフォーマンスでは1つ大きな誤算が。


これは子どもたちが席について見たり話を聞いたりするという前提の下にある。しかしながら、我がクラス。疑問に思うことがあったら即座に行動を始める。そりゃあ、
「あっ、ここに何かある!」
と、灯油の入れ物を発見するってモンだ。これはゼッタイに『学び合い』の成果である。子どもだましは通じないのである。

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090406 入園式&学級開き

今日は次男の入園式である。学校では始業式後の最初の登校日である。どちらも大事な一日である。自分が保育園の保護者会の仕事がなければ、入園式には出席しない。両親がそろって出席する必要などないとすら思ってもいる。今年ばかりは仕方がないので、年休をいただいて保育園の方に向かうつもりでいる。


学校の方はしばらく自習体制を組むことになるが、多少落ち着かないことはあっても、きちんと取り組める子どもたちであると思う。そこは信頼関係であり、「きちんとできるかなぁ」と心配してしまうのは彼らにとって失礼なことであるし、担任として心配する気持ちは当然持ち得てもいいと思うが、信頼することで子どもたちも伸びると思う。


自分が職員室で校長不在のときに、校長から「私がいないけど大丈夫ですかねぇ」などと心配されるより、「大丈夫ですよね。では、お願いします」と言われた方が責任感を持つというか、頑張るような気がするのである。


そして戻ったときに、きちんとねぎらいの言葉をかけたり、感謝の言葉をかけたりできる教師でありたい。

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090405 時間がほしい

4月5日 怒濤のような1日


朝は寝坊。前の晩、保護者会の総会資料を作成していて結局日付が変わってしまった。最近、日曜の朝が起きられない。


朝食後、すぐに学校へ。
 連絡ノートの作成
 保育園保護者会資料の確認
 教材選定のため見本を全て自宅に持ち帰る
 教室の片づけ
などなど。


13時頃帰宅。昼食後は息子たちと外で遊ぶ。初めは断ったのだが、あまりにもショックだったらしく泣いてしまい、申し訳ないほどだった。キャッチボールをしたり、バッティングピッチャーをつとめたり。まぁ、ホントに我が家の子たちは家の中にいる時間が短い。


しばらくすると1つ学年が上のお友達が近くを通りかかり、一緒に遊んだ。そうこうしているうちに時間は15時。家の中に入って教材選定を行う。外の子どもたちの様子を気にかけながらの2時間で教材を選ぶ。


18時前後に短時間寝て、風呂に入って、夕飯食べて、19時30分には布団の中へ。


もう一日休みがほしい。

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090404 ささくれだった心

なんだろう?昨日は学校を出るときに心がささくれ立っているように感じた。


「このまま帰ったら家族に八つ当たりをするかもしれない。」


そう判断して、家に電話。しばらくコンビニや書店を回って、本を読んで眺めているうちにようやく鎮まり、落ち着いて家に帰ることができた。


     ◆


学校全体に関わる業務に追われ、自分のための仕事がほとんどできていないことが大きな原因と思われる。それだけ自分の仕事が遅いということなのだが。


勤務校3年目。自分より赴任年数(?)が長い方も少なくなってきているために、何かと自分が仕事を引き受ける、というか勝手にやってしまっているのかもしれない。


もっとワガママに自分の仕事をやってしまおうか…、そんな考えも頭をよぎったが、コンビニ巡りをしたおかげで、芽を出し始めたそんな独り善がりな考えもしっかり摘み取ることができた。


     ◆


そして、今日。RSS登録しているサイトで「Giveの五乗」という言葉を知った。そうだ、そうなのだ。そして、「情けは人のためならず」という諺だってあるではないか。


金曜日はもう少しで人としての品位を下げるところだった。

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090403 滅私奉公

この「滅私奉公」という言葉はいい意味なのかどうなのかよくわからないが、今日の自分の頭に思い浮かんだ言葉がこれだった。


自分の仕事は後回しなのである。そりゃあ、帰宅が22時にもなるというものだ。


ついつい「~のに」という想いも頭の中を駆け回るがすぐに相田みつをの詩を思い出す。そうだ。「のに」がついたら愚痴になるのだ。後回しにしているのは自分。そうすると決めて行動しているのも自分。これでいいのだ。


子どもたちも含めて、いろいろな人に気持ちよく過ごしてもらえば、それでいいのだ。まずは明日の、というか今日の入学式。人生の大きな節目を飾るお手伝いに少しでも関われるといいい。

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090402 しっぽり飲みたい

4月1日は教員にとっての元旦。新任の先生方との顔合わせの日でもある。しかも今年は校長先生も新たに迎え、着任の会があったりすると例年とは違った心持ちになる。


それにしても、この日の忙しさは毎年変わらない。


     ◆


夜は歓迎会。あっという間に終わった一日を振り返りながら飲む酒はうまいのか、苦いのか、色々な味があったように思うが、楽しいひとときであったことは確かである。
「これで210分の1が終わりましたね。」
と言ったら、
「今日は210には入っていないよ。」
とすかさずツッコまれてしまった。そうだった、出席日数には入らない一日だった。でも、重みのある一日であった。


歓迎会の二次会はいつものお店に。そこはカラオケもできるのだが、本校の先生方はあんまり歌わない。自分も歌いたいとはあんまり思わない。歌うのならば、あぁだこぅだと深イィ話をしたいのだ。


・・・と、他の学校の先生が歌う賑やかな店内で思いを巡らせた。

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090401 離れてわかる有難み

昨日、3月31日は年度末。勤務校では新年度準備ということで朝から夕方まで大わらわ。自分の仕事をする時間はほとんどなく、落ち着かない一日だった。


多くの人が退庁した後、自分のクラスの仕事や残った学校の仕事を始めた。その中には貼り付ける氏名入りシールを準備したり、紙のリサイクルのために一度使った紙の裏にリサイクルマークを印刷したりした。


勤務校に異動してきて驚いたことが、この「リサイクルマーク印刷用紙」だった。


前任校でも一度使った紙でも裏が白く残っていれば再利用していた。これはほとんどの学校でも行われていることだと思う。その学校では自分が印刷した面はともかく、裏面は自分の印刷物とは全く関係がないのだから手持ちのボールペンや蛍光ペンで「裏面ですよ~」とわかるように印を入れるのだが、これが意外と大変な仕事だった。なにせ職員会資料でも30枚は必要なのだから。


それが異動してきたら、親切にも「リサイクルマーク」が印刷されていて、しかもこのマーク(多数あるのだが)には背景に灰色が設定されているので、自分の印刷物に関係のないものは見えづらくなっている。細かなことではあるが、仕事の能率面、先に印刷された内容が見えづらくなるという面双方に配慮されていて、すごくうれしかった。


     ◆


年度末の異動に伴って、この「リサイクルマーク」を印刷しておく役目を自然と自分が担うことになった。情報・視聴覚という係だから、という気もするが、よくよく考えてみれば事務の先生にお願いしてもいいことではある。じゃあなんで自分が…、と考えてみると、この3月に異動する先生がそれを自主的にやってくれていたからだ。その方は中学の情報・視聴覚係。本校の目立たないところで文字通り「骨折って」働いていらした方だ。


自分が勝手に仕事を引き継いでわかる。この「マーク」の印刷は結構面倒である。リサイクルであるから、用紙に多かれ少なかれシワがある。完全に折れ曲がっている紙まである。そのため、「マーク」を印刷しようとすると機械がその都度ストップしてしまうのである。


年度末休業は毎日のようにリサイクル紙が出てくるので、2~3日に1回は作業しておかないと大変なことになる。こういった作業をこの異動まで数年も続けてこられたのだからそれだけでも頭が下がる。


「それだけでも」というのは、その方が他にも数え切れないほど日に陰に尽力していたからだ。今になってようやくその仕事量の多さに気づく。


     ◆


今日からの新年度、自分がどれだけ大きな穴を埋められるかわからないが、異動してきた自分が感じた働きやすさを、今日から加わる同僚にも感じてもらえたら幸いだ。そういう意味では今年の自分には職場の潤滑油になることがテーマかもしれない。

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090327 教え子とメール

昨夜、というか真夜中の0時に最初に担任したクラスの子からメールが届いた。そもそも彼がなぜ自分のメアドを知っているのかが不思議だが、大学合格の知らせだっただけに、一気に自分の頭の中にもサクラサク。年度末休業中をいいことに酒を飲みながらテレビを見て浮かれていた頭がヒートアップしてしまった。


それからしばらくメールのやりとり。いやぁ、おめでとう。4月から遠く離れた地で過ごす彼はもちろんのこと、お家の方はさぞやもっと寂しいことだろう。


驚いたことに、彼は大学入学を控える今から大学院のことを見据えていた。今の高校生はこんなに見通しを持っているものだろうか、と感嘆した。なんでも物理を学習したいのだそうな。すごいなぁ。文系人間の自分にとっては未知の領域である。


今夜は地元で飲み会。なんだかうれしい気分で酒が飲めそう。

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090324 ようやく一段落

今朝、4時に目が覚めた。ようやく本来の生活リズムに戻りつつある。


先週水曜日の卒業式が無事に挙行され、6年生を送り出すことができた。(と言っても担任ではないが。)転退任される先生方との束の間の宴、寂しさと毎年の経験であるが故の「慣れ」も感じ、正直、怖いと思った。


そんなこんなで突入した3連休も組合・組合・家庭と終わり、何もできずに終わってしまう。昨日でようやく転退任される方々への色紙の目処が立った。これで自分の仕事が始められる。そうだ、昨日は昨日で保育園の環境整備と保護者会臨時総会があったんだ。組合の会場使用御礼で隣の中学にも行ったんだった。あぁ、結構動き回ったのだなぁ。


今日からバッチリ始められるぞ! ・・・今日が仕事の締め切り日なんだけど。

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090317 思い出す過去

勤務校は明日が卒業式。県内の小中学校の中ではおそらく最後だろう。明後日が高校の合格発表だからだ。本校は小中併設校なので、明日が卒業式だが、併設でなければほとんどの小学校は今日が卒業式である。


今日の式練習を見ていて思い出した。初任校で担任した1年生が、今日の卒業式を迎えていることを。そう考えたら、本校の6年生の歌を聞いていると涙がこみ上げてきた。まともに見られなかったし、聞いていられなかった。


この場を借りて、おめでとう。


もちろん、今の自分には明日の卒業式が全てである。最高の式になるよう、自分の役割を果たそう。

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090309 本質

数日、更新が滞ってしまった。頭の中を組合関係のことがグルグル回っていて、久しぶりに脳内爆発状態。考えれば考えるほど、わけがわからなくなっている。


とにかく原点に戻るしかないのだ。しかし、その原点がわからないのだ。


事の本質がわかっていないためだ。何が本質なのか、何が後付のものなのか、それがよくわかっていない。聞いてみるしかない。

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090306 ドッジボール

昨日は書き込みをしていなかった。それに気づいたのが今朝。なんともはや・・・。自分にムチを入れつつやっていこう。


     ◆


さて、昨日は体育のある日。最近はドッジボールやらサッカーやらボールをつかったことをやっている。校庭がぬかるんでつかえる状況ではないので、今はもっぱら体育館。


入学したての頃はボールがなかなか手につかず、投げることすらままならなかった子どもたちだったが、今では男子だけでなく女子も投げたり、捕球したりすることができるようになってきた。自分は「野球投げ」と呼んでいるが、右投げなら左足を踏み出して5~6メートル先の相手に正確に投げることができている。


準備練習もそこそこにドッジボールは始まった。昨日は三番勝負。すべて紅組が勝った。最初は白組が全勝していたが、ここにきて紅組がコツをつかみ始めた。自軍ボールをいとも簡単に相手の外野に転がらせてしまっていた紅組だったのだが、どの角度で投げれば自分たちで長い間ボールを保持していられるかが体験的につかめてきたようである。


一方で白組は以前と同じようにただボールをがむしゃらに相手に投げているのである。それはそれでいい。しかし、勝てなくなってきたときにどうするかはこれからの課題だろう。


     ◆


男子も女子もボールをよけ、捕り、追いかける。一生懸命である。そんな姿を見て、担任バカな自分は、うれしくなった。

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090303 感動のお裾分け

今日は6年生を送る会があった。送る会終了後、用事があって職員室に戻ると机上に自分宛のファクスが。送り主は初任校につとめる方だった。


「声がでました!」


というタイトルだった。


     ◆


初任校で持った2つ目のクラス、たった1年間だけの担任だった。しかも入学したばかりの1年生。そのクラスに、なかなか「声」を出せない女の子がいた。「息の声」でなら話せたのである。それができた時でさえ、クラス中が大騒ぎになるほどだった。


その彼女が「声」を出せたという知らせだった。


彼女たちは6年生。小学校最後の授業参観日の折、小学校生活で初めて「声」が出せたというのだ。その様子が載った学級通信まで送っていただいた。読ませてもらう自分まで目頭が熱くなった。


昼休みになってしまったが、すぐにファクスを返信した。


     ◆


正直、6年生のこの時期まで声が出せないままでいるとは思わなかったが、それでも一つの大きな成長であることには変わりない。彼女自身に向けても、筆を執りたいと思う。

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090220 ネットワーク

組合の用事が日曜日にある。そこで少し話をしなければならない。しかしながら、テーマがあまりにも漠然としているため、どんな話をしたらいいのかがよくわからない。そこで、実際に参加する人たちにメールを送って、自分のその「わからない」という気持ちを伝えた。


うれしいことに、送信してから24時間以内に4件もの返信があった。みんな自分より若いのにすごいなぁ。若い「から」すごいのかもしれないなぁ。


返信を拝読して、自分の想いを正直に伝えてよかったと思った。そして、ネットワークのありがたさを実感した。

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090218 未熟さ

とある資料に目を通す。


まだまだ自分のやっていることでは到底行き着くことのできない境地だと感じた。自分は小学校1年からの担任。0からのスタートではない、子どもたちが希望に満ちて入学してきたから大きなプラスからのスタートだっただろう。しかし、その資料に書かれていたことは、かなり大きなマイナスからのスタート。逆境を大きな前進につなげるのは、結果論からすれば美談となるのだろうが、その渦中にいた人々にしてみれば毎日が勝負だったのだろうと推察する。


精進しよう。


一言ではあるが、そう強く思った。

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090210 教員としてうれしいこと

昨日、九九の確認をした。先週の初めまで二の段・三の段ぐらいしか言えなかった子が、すべての段を一気呵成にまくし立てるかのごとくスラスラと言えるようになっていた。


5時間目の終わりに全員の前でも発表してもらい、拍手喝采。そして、自信のあること競争したが、見事に勝利した。


     ◆


2月9日の月曜までにまだ九九を覚えていない子は覚えておくんだよ、と言ったのが先週月曜日。それから一週間足らずでのことだ。完全に私の予想をはるかに超えている。自分は「覚えておくんだよ」と言ったに過ぎないのであって、彼女は「覚えて早口で言えるようになっていた」のだった。


こういう瞬間は教員としてうれしいものだ。


自分の言うことをその子が聞いたからうれしいのではない。自分の予想・期待を越える姿を子どもが見せてくれたのがうれしくて仕方がない。だから子どもたちも「見くびっていました。すみませんでした。」と頭を下げることがある。


     ◆


教える側の力量しか教わる側をのばすことができない。


そういう言葉を目にしたり耳にしたりすることがある。それも確かに一理ある。しかし、その前提は、教える側の言うことを忠実に守り、自分で考えることをせずにいたならば、というものだろう。自分としては、子どもたちが担任を超えていく姿を見るのが教師冥利に尽きる一瞬である。(「守破離」とはこのことか?)だからこそ、「先生の言うことだけでは先生を超えられないぞ」とハッパをかける。昨日はまさに今まで言ってきたことが体現された日だった。

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090203 「しつけ」

今読んでいる『やすらぎの住居学』(清家清、情報センター出版局)で、納得する言葉があった。住居学に関する本なのに、なぜか「しつけ」のことである。


しつけという言葉は、行きつけのバーとか、かかりつけの医者とか、というつけのことである。(引用者注:「つけ」全てに傍点)しつづけることがしつけなのだ。いつも日常的にやっていることがしつけである。
(103ページ)



親のしつけが悪い、などという言葉もあるが、しつけというのは面倒なモノだと思っている。「面倒」イコール「しなくていいもの」という考えではなくて、「面倒」イコール「手間のかかるモノ」である。この自分の考えに最もフィットする言葉であった。


時折何か注意したり、やらせたりすることが「しつけ」ではないのだ。日常生活のあらゆる場面においてやりつづけることが「しつけ」なのだ。そう考えれば、「手間がかかる」のは当然と言える。

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090129 学級通信がいきる

今日は夜の更新。今朝は時間をつくれなかったし、ネタもなかった。


     ◆


仕事をしていて、
「地区花壇コンクールの審査結果ってどこかにありましたっけ?」
という声が聞こえてきた。中学の先生方の会話だったことと自分の仕事をしていたこともあって、自分は耳だけその会話に参加していた。なかなかお目当てのモノが見つからないらしく、仕事をほんのちょっぴりだけ中断して、学級通信のデータから審査結果が載っている号をプリントアウトして渡した。<日付・・・通し番号・・・主な内容>という保存の仕方をしているので、だいたいの時期さえ思い出せればフォルダを開くとすぐに見つけられる。


     ◆


今朝の早朝仕事は郡の同好会の実践紹介資料作り。締め切りギリギリとなってしまったが、テーマだけ決めたらあとは、そのテーマに関する学級通信から記事を転載して、残りはチョコチョコっと付け足して完成。


「テーマに関する学級通信」を探す際には、アナログの方法が効果大。毎号綴じてある分厚いファイルをぺらぺらめくり、見出しや小見出しだけを見ていく。これだけでだいたい「ブツ」が見つかる。後は見つけた号をデジタルデータですぐに開いてコピー・ペースト。はい、できあがり。


この手のやり方で今年は何度も資料を作ってきた。教研集会と同学年会、そして今回の同好会。


     ◆


自分の“趣味”として作り続けている学級通信。3年続けてきた。最近は他にやりたいことがたくさんあって、正直なところ金曜日発行といういわゆる一般的な発行頻度にしようかどうか迷っている。けれども、こうやっていろいろな場面で使える財産であることも確かである。


さて、どうしたものか。

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090126 多忙と多忙感

こちらのブログを拝読して考えた。確かに多忙と多忙感は異なる。


世間で「先生たちは忙しい」と言われ、教育界でも「我々は多忙な毎日を送っている」という感覚が流布している。果たして本当に忙しいのか?


自分は組合もやっていて、多忙な毎日をいかに解消していくかにも取り組んでいるが、まったくもって個人的な感想を申し上げれば、教師は多忙ではないと思う。しかしながら、多忙感に覆われていることは否定しない。


世間からの要望(社会一般からの教育界に対する期待・施策・バッシング)、保護者からの要望などなど、我々と取り巻く現状は十数年前とは異なると思う。故に多忙ではないのだが、感覚としての多忙感がこの世界に蔓延しているのだろう。『学び合い』のように、“期待しているよ”と信頼されている方がよっぽどマシである。


自分はというと、「忙しい」とは思っていないから、18時には学校を出るし、自分の子どもたちと過ごす時間もある。裏を返せば、18時には学校をでるように「心がけている」し、自分の子どもたちと過ごす時間をとろうと「心がけている」。


まあ、研究指定校で様々な制約の中で校務をしなければならないのならいざ知らず、自分のように所謂ふつうの学校に勤めているのであればこそ言えることでもある。あとは『学び合い』の考え方があることも大きな要因であるとも思う。

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090116 非常時において平時に感謝する

昨日は久しぶりに前任校の生徒指導風景を思い出した。別に生徒指導的な問題があったわけではないけれども、全ての仕事をさしおいてでも対応すべき事態があった。今の学校に異動してきて、そんなに頻繁にあることではないので、ある意味では(不謹慎な言い方だが)新鮮だった。


昨年からの目標にしている18時帰宅は、昨日のような状況では可能ではないし、可能にしてはいけない。ということは、18時帰宅という目標をかなえられると言うことは、かなり有り難いことであるのだ。昨日はそのことを強く感じた。


子どもたちに感謝である。

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090109 今年の目標 仕事編

目標シリーズ最終は仕事編。仕事を頑張るのは当然のことであるので、仕事を取り巻く環境面での目標といったところか。


1 教室に植物を増やす
昨年も立てた目標ではあるが、今年はもっと増やしたい。昨年はプランター3つ増やして、今はビオラ2鉢、寄せ植え(アイビー、ミニシクラメン、ビオラ)1鉢となっている。年末に校長室でオリヅルランの株をもらってきたので、今年はそれを土に植える。もっともっと花や緑のある教室にして、少しでも落ち着ける空間作りをしよう。


2 英語の学習を始める
平成23年度から英語活動が必修化される。それを見越したわけではないけれども、自分が学習して、多くの人とコミュニケーションをとることを楽しみたい。そのための学習である。


3 18時には帰る
こちらも昨年同じように立てた目標。とにかく「帰る」ことを決めてとりかからないと達成できないことを痛感した。10月頃から今まで早く帰るようにして、帰宅後、家族そろって夕飯をとることが出来ている。仕事と家庭は表裏一体、かつ、自分の家庭のことをしっかり出来ていない者が教育に携わるのは自信を持って指導にあたれない。それに、家庭に重きを置きたいという願いもある。そのためにも見通しを持って取り組み、18時には退庁する。

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目標を振り返る その2

年始に立てた目標の振り返り第2弾。今日は仕事編の振り返り。


     ◆


今年の目標は・・・、

①『学び合い』の発展(深化?)
②臨床教育の勉強
③校務分掌の活性化
④研究授業をする
⑤花壇作り・植物のある学級作り


というものだった。


     ◆


①は達成できつつあると思われる。保護者の方の大きな協力に感謝、感謝、感謝。


②は「どちらともいえない」か。結局、学会での発表をしなかった。それは「したいと思う」という願望での目標だったことが一因。「発表する」と断定的な目標にしなかったことと、自分の弱さに依るところが大きい。


③校務分掌はまあまあできたか。図工の工夫ができなかったことは悔やまれる。


④研究授業はできた。来年度に向けての課題は大きい。


⑤教室に植物を増やせた。今もビオラのプランターが2つ、ビオラ・ミニシクラメン・アイビーの寄せ植えのプランターもある。植物を大事にしているクラスであると自慢できる。


     ◆


こうしてみると、年始に立てた目標は結構自分の意識に刷り込まれている。来年の目標も大きく立てよう。

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目標を振り返る その1

2008年も残すはあと3日。年始に立てた目標を振り返ろう。


     ◆

【2008年 今年の目標 ~総合編~】

①家族とともに健康に過ごし、仕事を続ける
②夕方6時に帰宅する
③読書100冊


     ◆


上記が今年の目標だった。


①はこの目標を立てた直後、次男が熱性けいれんで入院。連絡があったときには何がなにやらわけもわからず、次男の死を覚悟した。病院に着いて、次男の名を大きく叫んで急患室に入るや否や彼が目を開けた姿を今も思い出す。


今となっては「熱性けいれんなんて・・・」と軽く思われるが、当時はなんとも切ない1週間を過ごした。おかげで、家族のあり方、ともに過ごせる有り難さを改めて考えることができた年になった。


②はかなり達成できている。それも「帰る!」と決めて仕事に取りかかっているからだと思う。学校に残ろうと思えばいくらでも残って仕事はできる。でも、自分の心の中に「もっと家族と一緒にいたい」と思う気持ちが強くなったことが大きな要因となって、早く帰宅できているのだと思う。


③が今年唯一達成できていない目標。来年は100冊どころか120冊という目標にする。そして達成する。

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納め

昨日は大掃除&青年部忘年会。とはいっても前日の職場忘年会の酒もやや残り、朝はゆっくりのスタートだった。のんびり起きて、蛍光灯の掃除から大掃除を開始。小さな虫の死骸がたまっているところもドライバーで分解して細かいところまできれいにした。


     ◆


昼ご飯は、妻手作りのバターロールにて空腹を満たし、贅沢気分を満喫。そのまま夢の世界へ・・・。冬休み早々、休日気分を味わう。


     ◆


夜は支部青年部の忘年会。


なんだかんだ言って、仲良くなってきた仲間。男性陣はみな既婚者、女性陣はみな独身、という組み合わせではあるが、いろいろな話題に花が咲く。それぞれの世代でそれぞれの悩みや考えがあるものだなぁ。


     ◆


とにもかくにも、昨夜にて飲み会は全て終了。家の大掃除もひと山超えた。あとは2009年に向けての準備を整えること。その意味では、様々な「納め」のできた1日だった。

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終業式が今年イチバンの寒さ

昨日は終業式。それなのに今年イチバンの寒気団襲来。ただでさえ小学校の体育館はすきま風が吹き込んで寒いのに・・・。


気象庁のHPで調べると、昨日は真冬日。同じ町内の標高が高いところでは、最高気温がマイナス7℃だった。「最低気温」ではなく、「最高気温」がマイナス7℃である。笑っちゃうしかないだろう。


     ◆


慰労会兼忘年会は1次会で失礼する。家に早く帰らなくては・・・。今日も飲み会なのだから。

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思考力?

昨日は2学期のおさらいとして、算数の筆算を扱った。


計算を正しくする力がついている一方で、どうしても言葉を介する問題(文章題など)では改善の余地が大きい。そこで、昨日は、

①145-32
②145-27
③145-59

と3つ提示して、それぞれがどんな式なのかを言葉で説明できるようにする活動をした。もちろん、この問題をやる意図を説明した上で。


案の定というか、なんというか、計算が得意な子はすぐに言葉で説明できた。一方で、計算ミスが多い子は言葉での説明がすぐにはできないうえに、言葉足りずな文章が多かった。


     ◆


もう一つの問題は、

A 133-26
B 133-37
C 133-23

の別の3題が、先に提示した①~③のどの式と同じパターンの問題かを見つけるもの。これが意外と難しい。


授業をしながら思ったのは、最初にこの同じパターンを見つける問題をやっておいて、その後にそれぞれの違いを言葉で説明させるというのもアリ、だということ。いずれにしても、言葉で説明できるようにすることで、「式を解く」以外のアウトプットも必要になってくる。このような問題の方が、ただ式を解いて答えを出すよりも人間らしい気がした。

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師走も半ばを過ぎれば

今日で保護者懇談会も終了。ブログの更新も久しぶりだ。


勤務校は懇談会の折に通知票もお渡しするので、懇談会中は忙しいけれども、懇談会が終わってしまえば年末を迎える準備となる。具体的には、会計処理、冬休み帳の準備、私的なものでは年賀状の準備である。


厳かな年の瀬となるといい。

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教育はサービス業か

かつての同僚が「所詮、われわれはサービス業だから」と事あるごとに言っていた記憶がある。言われれば、なるほどそうだと思う反面、腑に落ちない自分もいた。


今、再び自分に問う。教育はサービス業か。


ざっとネット検索してみると、教育はサービス業であることがわかった。第3次産業に含まれているのであった。で、あるならば、「教育はサービス業である」。


では、今ひとつ自分の腑に落ちない理由は何か?


「サービス」という言葉の使われ方に慣れてしまっているからかもしれない。手持ちの電子辞書で調べてみると、



「サービス」
 ①奉仕
 ②給仕。接待。「―のいい店」「―料」
 ③商店で値引きしたり、客の便宜を図ったりすること。
    「付属品を―する」「アフター・―」
 ④物質的生産過程以外で機能する労働。用役。用務。
    「―産業」
 ⑤(競技用語)→サーブ




とあった。ネット検索したときに、「形のない財のことをサービスと言う」との記述があったけれども、それは④によるものだろう。


①は当然である。我々は教員は「育公務」全体の奉仕者である。自分が引っかかっているのは、「サービス」に②③の意味がある点だ。


不便の内容に始終付き添っている印象のある「給仕」、客をもてなしたり何かをふるまったりする「接待」という言葉や、「値引きしたり、便宜を図ったりする」という文言は「サービス」=「迎合」という印象を与える。


そして、「教育はサービス業である」と声高に叫ばれれば、相手に迎合せざるを得なくなる。それで果たして「人格の完成」が目指せるのか?

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学級集団を学習集団にする

よく聞く言葉だ。だが、具体的にどういうこと?と聞かれると答えられない気がする。一昨日の電話でも相手の方が言っていた。


「ただの集団」である学級集団を、学習へと向かう集団にするという意味で捉えるならば、それは並大抵のことではうまくいかない。まずは集団としての意識を持つことも必要になるし、“学習へと向かう”ためには目標の共有化をして、気持ちがある程度そろってこないと、ただ闇雲に(無理矢理)教師が児童生徒の顔をそちらに向けるという無理が生じる。


外発的動機づけから内発的動機付けに、
他律から自律に、


いろいろあげればキリがない。


また1つ、自分の視野が広がることになった。感謝である。

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会議術を意識する

昨日は会議2本。1つは町の情報教育担当者会、もう1つは組合青年部の常任委員会。16時から19時過ぎまで会議漬けだったということか。


最近読んで読書メモにも記録してある「会議術」。昨日は否応なしに意識せざるを得なかった。


1本目の町の会。これはすでに結論がでているところにどうやって進んでいくか、を話し合う感じの会議。なぜに自分は出席しているの?という印象はぬぐえない。昨日は幸いながら後の会があったので17時すぎに退出。


2本目の組合。これは昨日はサクサク進めていった。協議内容も少なかった、ということもあって、18時から約1時間で終了。いったん決まったことを蒸し返さずに、進めていったことがよかったのだろうと思う。


     ◆


今日は職員会(合同)。どうなるかな?

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英語活動

放課後、一本の電話が。
同じ町内のとある先生から。


来年度、少しずつ英語活動を進めていこうと思うのだけど、どんな教材を買ってみたらいいのか思案していた、とのことだった。


そんな恐れ多いことを自分に聞いてくるのか・・・、といささか恐縮してしまったが、世間話をしつつ、具体的な教材名も教えられず電話を切る。


     ◆


基本的にはどの授業においても「教科書を教える」「教科書で教える」というスタンスでいるので(『学び合い』では「教える」ことは極端に少ないが、基本は指導要領と教科書だと常々思っている)、来年度から配付される英語ノートに準じて教材を活用するのが無難だと思った。


あとは指導する先生の立場でハロウィンだとか、ラマダンだとか、真夏のクリスマスだとか、国際理解につなげられる資料や教材が用意できればいいと思う。自分が楽しいと思える物がイチバンだ。


     ◆


はじめに戻るが、この英語活動を自分の今後の柱としていければいいが、そのためにはまだまだ修行が必要であるなぁと痛切に感じる一本の電話だった。

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調理

昨日、栽培・収穫したサツマイモを大学いも・スイートポテトに調理した。「調理した」のは子どもたち、自分はサポート。


どちらも自分は作り方を知らない。子どもたちが子どもたちで計画を立てて、準備をして、昨日は実際に子どもたちが調理した。そうは言っても、正直なところ不安なこともたくさんあったので、ネットで調べたり、職員室や帰宅してから聞いたりして自分なりの準備をした。ネットでレシピを印刷して調理室にも運んでいた。


結局、自分の出番は
「先生、これ切れない~。」
と言われたときの包丁仕事に、オーブンレンジの操作、そして、
「包丁の使い方に気をつけろよ~。
「慣れてきたときがケガをしやすいぞ~。」
「おお~上手だねぇ。」
「工夫したねぇ。」
と全体に声をかけることだった。


大学いもの油で揚げたり、たれをからめたりという作業は栄養士の先生がお手伝いに来てくださって、子どもたちをサポートしてくださった。これも子どもたちが前日のうちにお願いしてあったことだ。


出来上がったそれぞれの献立は、最高の出来。おいしそうに頬張る子どもたちを見て、なんとも幸せな気分になった1日だった。

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落ち葉掃き

昨日は天気はよかったが寒風吹きすさぶ、まさに冬間近な11月。学校の周りにたくさん植えられているいちょうの木から、数え切れないほどの葉が落ちる。


3時間目は急きょ落ち葉掃きの時間に。


「先生、この『落ち葉台風』はもうヤダ。」


子どもたちの感受性にビックリ。たしかに止めどなく落ちる葉っぱはまさに台風のようだった。

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脳が活性化した?

今日は中学生の授業を見た。これは小中併設校ならではの特権だろう。
今月は人権月間であり、人権学習の授業だった。


     ◆


授業について語れるほど偉くはないし、視点も多くない。ただし、授業研究会には参加した。東京の杉渕先生のMLでも、「授業参観するならば研究会に参加し、授業感想をきちんと送ってもらいたい」ということが常々書かれていた。それを思い出したからだ。
(その割には『学び合い』を参観して、その後は・・・。猛省。)


     ◆


授業研究会で様々な意見を聞いて、自分も生徒の言動の記録をお伝えしているうちに、様々なアイデアが浮かんできた。たとえば、今日の参観授業は人権学習としても有効であり、また、ケータイメールでコミュニケーションをとることが多い中高生に警鐘を鳴らすための学習としても有効であろうということ。また、小学生に向きに今日の授業を構成するならば、ワークショップで使用した絵ではなく、文字(漢字でもひらがなでも)を活用していくことができそうだ。


これらは研究会に参加したからこそ、周りの先生方に刺激を受けて、自分の脳が活性化したからだろう。新しいアイデアをいただいたことに感謝!

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「格差」その2

(昨日のつづき)


「意欲格差」に大きな差がある、というのは興味深い観点だった。「意欲」を持たせれば子どもは変わる、と言われるが、ではどう意欲を持たせるのか。


イチバンは「モデルの存在」だと思う。自分もこうなりたい、できるようになりたい、そう思えるような人が身近にいるといい。自分自身も教職に就いてから今までがそうだった。


「あこがれ」という言葉で語った方もいた。「夢」と置きかえてもいいだろう。


     ◆


突然だが、学習面において、教科が「好き」と「分かる」、そして「正答数」の相関関係を示した調査結果がある。(H20長野県学力実態調査 生活・学習意識調査の実態と分析)


小学生は「好き」と「正答数」の相関よりも、「分かる」と「正答数」の相関の方が高いが、中学生においては逆になる。つまり、「好き」と「正答数」の相関の方が高くなる。


「正答数」を「できる」と置きかえるとどうなるか。


<小学生は「分かる」と「できる」の相関の方が高い>ということは、好きであってもできるわけではない、と言えないか。突っ込んだ言い方をすれば、「できなくても好き」と言えないか。


一方、<中学生は「好き」と「できる」の相関の方が高い>ということは、「好きだからできる」と言えないか。同じく突っ込んだ言い方をすれば「できるから好き」なのではないか。


小学生は出来なくても教科が好きである子が多いが、中学生になると「できる教科は好き」であり、「できない教科は好きではない」に変化していくのだと思う。このように考えると、意欲を持たせる授業、楽しい授業とか美辞麗句に踊らされずに、子どもたちができるようになる授業を提供することこそが、子どもたちにとって意欲を持たせる授業になるのではないか。


     ◆


「意欲格差」とは、「こうなりたい」というあこがれや夢を抱いているか、学習ができるかどうか、この2点に依るところが大きいのではないかと思う。そして、あこがれや将来なりたい自分の姿がはっきりと持てていないのであれば、とにかく目の前の学習に全力を傾けさせることが将来の意欲を持てるか持てないかのターニングポイントにおける重要な要素になるのではないかと思う。

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「格差」

高校の先生方との懇談で出た話題である。「学力格差」もさることながら、別の格差の方が気になる、ということだ。まったくの同感。


「経済格差」、もっと言えば「文化格差」。また「意欲格差」にも大きな差があるということだ。


     ◆


「文化」は自分の指導上のキーワードでもある。


“○○すること”が当たり前の集団においては、“○○すること”は特別なことではない。例えば読書。前任校では私が赴任した当初、職員室で最近読んだ本の雑談をした。本を読むことが当たり前の職員集団だった。本について語るという文化があったのだ。


地域を、子どもたちを育てる、伸ばすために必要な文化とは何だろうか。子どもたちが育つ空間に必要な文化とは何だろうか。


そして文化は一朝一夕で築き上げられるものではない。しかし、いったん出来てしまえば、そう簡単に消えていくものでもない。この町にも、学校にも「文化」をつくりあげたい。そういう野望だけは抱いている。花を育てる文化、皆が高まっていこうと切磋琢磨する文化などなどである。


(つづく)

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高校の先生と語る

今週は高校の先生をお迎えして懇談する機会があった。事前配付されたものによると、「中学校までにやっておいてほしいこと」であったので、興味深かった。


     ◆


高校1年生へのアンケート結果から見る高校生の実態、そして先生方の目から見た様子などから出されたもの、それは・・・


①基礎学力が身について入学してきているか疑問。つまり、入学までに基礎学力を身につけてきてほしい。
②生活のリズムを整えてほしい。


というものだった。


①については、アンケートで「授業が速い」「難しい」という学習面への悩みが多くあり、果たして学習に対する心構え、および必要な力をつけているか疑問があるらしい。


②は、普通科生徒の平日学習時間が1時間以下がほとんどであり、“家庭学習の習慣”という観点からの生活リズムに対する言及である。


     ◆


どうしても学力面についての話し合いになってしまったが、高校は義務教育ではないうえに、卒業後は社会に出ていける状態に生徒を育てないといけない。しかも社会は「即戦力」を期待している。切迫した課題が高校に突きつけられているのかもしれない。


ひるがえって小中学校。


各学年で身につけるべき学習内容を果たしてどれだけ身につけた上で進級・進学させているだろうか。また「マジメだなぁ」とか言われるかもしれないが、小中学校で課題を先延ばし先延ばしにしているツケが高校側にたまっているのだと思う。それがどういう形で現れるか?大量の中途退学者と、困難校(こういう記述が正しいか不明だが)ではないか。


見通しをもった指導が必要だと切に感じるが、指導の柱を共有し、職員の意識が統一化されないと何も変わらないだろうな。生徒指導で苦労する学校を変えるのとやり方は同じだが、「共有」と「意思統一」はかなり難しい。


     ◆


自分は常に危機感を抱いている反面、楽観的でもあるので、なんとかなるさぁと構えているが、本当になんとかなるのだろうか?

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考えながら聴く

(つづき)


参観者の方の意見にも刺激を受けた。



①子どもたちに印象づけるためにも、1時間内で少しずつ練習している。「東」なら「東日本」「東北」「東海道新幹線」などが出てきて、雑談に逸れてしまう。そうすることで、“東はどっち?”など、日常生活と関連づけて考える。こうやって覚えていけるのではないか?


→自分も「なるほどなぁ」と思うのだが、果たして全員が教師の願うように学習するのか疑問を抱いた。これで楽しくなると子もいるだろうし、そうでない子もいるはず。ましてや新出次にそのような学習をすると、漢字の書き方を覚えるのか、漢字について「話を聞く」のか授業のねらいがぼやけてこないか?そのぼやけたことをやりのけられるのは(焦点化されていない授業を終えて力をつけるのは)、能力的に高いと思われる子に限られないか?


→漢字を覚える授業、いろいろな使い方を知って書けるようにする授業、とねらいをはっきりさせた授業にするほうがいいと思うのだが。



②1・2年生で基本を教えていくのが大事ではないのか?高学年になればなるほど、我流の書き順をしてしまう。低学年で培った基本が「我流」になってほしい。


→そもそも「基本」とはこの文脈で何を指すのか?こう疑問に思うのは『学び合い』の学生さんや院生さんの研究を拝見しているせいかも。話はさておき、高学年になればなるほど我流になると、誤解は強くなる。そして誤解が強ければ強いほど、自分の間違いを修正する力も大きいのは実証されている。そもそも書き順の重要性を自分はもっと学習しないといけない。


→漢字を覚えるために、どんなことに気をつけなければいけないか、子どもたちが考えられるようにすることが「基本」であり、全員が既習の字を読めて書けるようにすることも「基本」であると思う。


③“私は漢字を教える時間が楽しくて好きだった”


→教師が楽しめば、それが子どもに伝わる。それは納得する。では、子どもたちが力をつけていたか?その力は定着したのか?


→“教師も子どもも楽しむ”は自分も体験してきた(させてきた、つもり)。でも、結局子どもたちが力をつけたか、というと自信を持っていいきることができない。だからこそ、「子どもが力をつけたか」を最重要視するようになった。





いろいろな会に出れば出るほど、自分の考えが変わってきたことを感じ、積極的に発言することがほとんどないなぁとも感じる。本来であれば、異なる意見が出れば出るほど、考えも練られ、より高まっていくのだと思う。


が、しかし、


時間に限りがあり、かつ、建設的な話し合いにしたいという願いをひしひしと感じるので、自重してしまう。


サークルを発足すると変わるかな・・・。

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「唱える」こと

昨日は郡の同学年会があった。某小学校の2年生の授業を参観した。


いきなり想うのだが、果たして授業提供が必要かどうか?なくてもいいと想う。ただ、今回のように、新しい教材を知るチャンスになるのであれば、悪くはない。(相変わらず良いとは想わない)それならば、“国語・算数でどんな教材を使っているか”という情報交換会を持てばいいだけの話になる。


     ◆


さて、今回の会では「新しい教材」、厳密に言うと、「自分が知らなかったために、自分にとって新しい教材」を知った。“下村式”という漢字練習教材らしい。


「唱える」ことを重視しているのか、漢字を唱えながら練習していくようである。なるほど、こういう教材もあるのか。そして、これを授業でこのように扱っているのか、等々、いろいろと考えながら授業を参観した。


授業で扱ったのは3字。単純計算にすると2年生の配当漢字を終わらせるには50時間以上が必要になる。そして、これはあくまでも新出次における時数であり、習熟にかける時間はどれぐらいになるか・・・。そんなことも考えていた。


     ◆


参観者の方の意見にも刺激を受けた。


(つづく)

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悩まず考える

ある方のブログでのコメントのやりとりで学ばせてもらった。


     ◆


悩まず考える。悩んでいたらその場にいるだけ。
考えたら答えが出る。そしたらその答えに従って行動に移す。
そうすると結果が出る。良ければその方向で続ける。
悪ければ、その結果を分析して(考え直して)、また答えを出す。
行動する。



     ◆


そうだ、悩んでいても仕方がない。「悩む」ということは、後ろ向きな思考であることが多い。もちろんこれからのことに悩むこともあるが。


それよりも、これからどうすればいいか、具体策を考えると何らかの答えが出るはずだ。そうして、少しずつ少しずつ前に進めればいい。間違った答えだったら、元に戻ってやり直せばいい。なぜ間違った答えだったかを考えれば、それは自分の肥やしになるはずだ。


言葉に勇気をもらった。感謝。


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想いを寄せる

昨日は国語で「想いを寄せる」という考え方を子どもたちに伝えた。『お手紙』の学習の中で、がまがえるくん、かえるくんに想いを寄せた記述をした子が増えてきた。


     ◆


かわって午後の授業。とあることをテーマに子どもたちの考えをプリントに書いてもらった。


「先生、理由も教えてください」
「理由も自分たちで考えてみてください」


あまり詳しいことを言わずに子どもたちに考えてもらったが、すぐに彼らは自分の想いを見抜いた。見抜いたどころか、私なんかよりもっと深いことを考えているようにさえ思えた。


涙があふれてきた。子どもたちは相談し合ったり、プリントに書き込んだりしていて気づかなかったかもしれないが、見れば見るほど目の奥が熱くなってきてしまった。


いつにも増して、子どもたちを愛おしく思えた。

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夢を託す

一昨日、子どもたちの宿題の取り組み方が今ひとつだったので、宿題を作らせた。時間は20分間。当然、子どもたちが満足のいくプリントは出来上がらない。そこで、自分が宿題を出すにあたって考えていることを子どもたちに語った。


     ◆


なぜ今まで手作り(というかPCで作成)にこだわっているか?


子どもたちに力をつけてほしいからだ。


「子どもたちに力をつける」などとおこがましいことは考えていない。自分が作るプリントを子どもたちが使ってくれることで、子どもたちが彼らの持つ力を自分たちで伸ばして欲しいし、自分の得意・不得意に気づいてもらえたらうれしく思う。


     ◆


こんな話をしていて、ついつい「夢」についても語ってしまった。


先生としての夢は、自分がこうなるとか、子どもたちを~する、というものではない。子どもたちが成長したときに~なってほしい、ただし、その時先生は近くにいないのだ。


そんな内容だった。


     ◆


前も書いた内容だなぁ。


教師の仕事は「恩送り」のように、未来への投資のようなものだ。そして、教師としての夢は自分が関わった子たちが将来「かなえてくれる」ものである。それを教師が見届けることはほとんどない。言わば、知らない土地で種をまいて、花が咲いて実ることを祈っていることしかできない。


しかしながら、幸せな仕事でもある。自分の夢を大勢に託すことができるのだから。


前任校でも33人を送り出した。彼らにも自分の夢を語った。覚えているかわからないが、彼らが大人になったときに、子をもち、どこかの学校の保護者となったら、子どもたちをまっすぐに育ててほしい。そして、すばらしい学校を自分の子や学校職員とつくりあげて欲しいと伝えた。つまり、彼らが「将来の保護者」であると見てずっと接してきた。


そして今受け持っている子どもたちである。彼らも当然「将来の保護者」ではある。それにしては幼すぎる。まずは小学校高学年、中学生になったときにこうなっていてほしいという夢を語った。


夢を語り、その夢が叶うのを信じていられるというのは、やはり幸せな職業だ。

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伝統の息吹を

昨日は小中合同音楽集会があり、郡の音楽の集いで発表する曲を5・6年生、中学生がそれぞれ歌ってくれた。


小学校高学年と中学生の合唱を一度に聴けるというのは、小中併設校ならではの利点である。小学生の澄んだ歌声が、中学生となると男声の響きが増して、歌に厚みが増すということが一目(一聴?)瞭然である。


この機会をどうつなげていくか?それが聴かせてもらった者たちの課題だろう。


     ◆


歌と清掃は各学校で伝統があるといい。


歌声が響く学校は理想であるし、清掃をできる学校というのもあまり多くの先生方は意識していないのかな、個人的には理想の1つである。


昨日のような機会は、歌声が響く学校を目指すために貴重な場だったのだと思う。

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調べ学習

昨日、初めてかもしれないが図書館での調べ学習の時間になった。国語で「知りたいこと」がいくつか出てきたためだ。


子どもたちは図書館でいろいろな図鑑・辞書にあたっていた。あたると、また未知の言葉が現れる。それを気にせずワークシートに書き込む子もいれば、「『藻類』ってなんだ?」とさらに調べようとする子もいる。見ていておもしろかった。

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英語活動とびこみ授業

昨日は5年生にとびこみ授業をした。英語活動の授業だ。先週は6年生にも英語活動の授業をしていて、2週連続での授業となる。


夏休みに中核教員研修があり、その実技伝達講習の意味合いがあってのものだった。自分にとっては初めてのとびこみ授業。けっこう緊張するものだなぁと実感。『学び合い』の出前授業を数多くされている先生の気持ちが数十分の一はわかったつもり。


さて、授業の方は子どもたちがしっかりやってくれたおかげで、なんとか授業としての体裁がとれた。1回きりというのはお互いにとってはなんとも刺激があるのだろう。これが担任の授業となるとどうなるか、という不安はある。ただ、そうはいっても来年からは基本的に担任の先生が英語活動を行い始める。そのためのサポートをしなくてはならない。

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そうなのだ!

池田修先生のブログを拝見して深く納得した。まさにそうなのだ。


自分もなんて難しいことを子どもたちに言うのだろう、と振り返るときがある。全員がわかるとは思っていない。ひょっとしたら一人もわからないかもしれない。そう思っている。


けれども、


話さなければならぬ、と思うのだ。それを難しいから、言ってもきっと理解できないから、分かるときが来れば話せばいい、と考えるのはちと違うと思ってきた。


赤ん坊だけのことではなく、多少の年を重ねても同じことが言えるだろう。


ある時、ふと、
「あぁ、あの人が言っていたのはこういうことか。」
「あぁ、これか!」
とピンとくることがある。これこそ教育の賜ではないか。読み書き計算だけではない、「教育」である。


難しいから、言ってもわからないから、ではない。教育とは気が遠くなるような未来に向かっての営みなのだ。

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教育実習その2

昨日の続き。今度は母校実習でのこと。8日間という劇的に短い間だったのに、やはり挙げればきりがないほどのエピソードがある。


実習前の打ち合わせで、教頭先生から
「『校友会室の天井に▲▲参上!』ってあるけど、あれお前のか?」
と聞かれて、顔から火が出るほど恥ずかしかった。自分でなければ兄貴が書いたものだろう。


また、女の子同士のトラブルで、一人の子が特別教室の片隅で2時間も小さく座り込んでしまったときには、近くにあぐらをかいて2人で話をした。


きわめつけは実習最終日。男子がケンカをして窓ガラスを割った。しかも当事者の子の一人がそのまま帰宅してしまった。(2年くらい経って、コンビニでバイトしていた子が、その帰宅した子だった。「先生!」と声をかけてくれたのがうれしかった。)


あと、野球部の練習を見に行って、スパイクのかかとをつぶして練習していたのを見つけて怒鳴り散らしたりもしたなぁ。


付属とは違い、「普通」の中学校で体験できたというのは今にして思えば貴重な経験だった。自分の中学時代に比べれば泣かされることもなかったから、実にやりやすい実習だったのだと思う。


これも思い出が尽きない。

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教育実習

上越で授業参観をした折、大学院生の方と沢山お話しすることができた。院生さんは先週、教育実習を終えたばかりで、当日は休みだったにもかかわらず快く応対してくださった。年はかなり下なのに、なんとも人間的に大きな方だと思った。


参観した学校はその院生さんが実習をしていた学校。子どもたちも「あれ?また来たの?」「あっ○○先生!!」と彼に気づいてうれしい声をあげていた。帰り際には「○○先生、また来てね。」と名残惜しそうに声をかける小学生もいた。


     ◆


自分が教師になって8年目。それまでに実習を3回行った。大学付属の中学校、小学校、そして母校である地元の中学校。


どれもいろいろな思い出がある。


     ◆


付属小学校の実習では3年生に入らせていただいた。


実習初日に担任の先生から、だれか一人の子をこの実習中に追って見ていってみようか、と指導していただいた。今にして思えば、短く、それでいて含蓄のある「御指導」だったと思う。その頃から「子ども(たち)を見る」ということを刷り込まれていったに違いない。


実習中、子どもたちとはたくさん遊び、学習して過ごした。学年行事の川遊びにも一緒に出かけた。音楽の授業では“世界中の子どもたちが”を手話付きで歌っていたな。図工の専科の先生の授業も参観させてもらった。図工で専科がいるというのはカルチャーショックだった。


最終日、最後の挨拶。晴れ晴れとした笑顔で子どもたちに向かって話をした。そして、子どもたちからは歌のプレゼント。こらえきれない涙が後から後から頬をつたってこぼれおちていった。たった2週間だけなのに、こんなに切ない想いになるのはどうしてだろうか・・・?不思議で不思議でしょうがなかった。


     ◆


上越での授業参観で、院生さんと子どもたちとのやりとりを見て、自分の涙があふれ出てきたのが何となくわかった気がした。

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悩むということ

内田樹氏のブログを見て、今の自分でいいのかもしれないと思った。
むしろ、かつての自分のように『学び合い』まっしぐらすぎて他をよせつけない自分の方は危険だとも感じた。

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モデル

昨日の「人格の完成」に関わって。


「あの人は人格者だ」という表現がある。何をもって“人格者”と評しているのか、それを考えれば「人格がある」ということが具体的にわかるような気がする。そういえば、以前読んだ本にも「人格者」という表現があったような・・・。探してみよう。


     ◆


さて、いろいろ考えていると、結局のところ「目指すべき人間像」というものが必要になってくると思われた。難しいことを言っていても、自分の狭い体験、経験の中から、“あの人のようになりたい”という願望を抱くことがある。その願望こそが「目指すべき姿」なのではないかと思った。


自分が教師としても「目指すべき教師像」というものがある。それを「目指すべき人間像」と置きかえればいいのではないか。では、その「目指すべき人間」として誰かいたか・・・?


両親、・・・「目指すべき」という表現では当てはまらない。
友人、・・・人として器がでかいなぁと思う友人はいる。
先輩、・・・教師としては何人もいるが、人としては考えたことがない
後輩、・・・???


こう考えてみると、一人の人からというよりも、今まで出会った人々から、いろいろな場面での「目指すべき姿」を学び取っているように思う。


それならば、より多くの人と接していくことで、自分の中での「目指すべき人間像」がおぼろげながらつかめるということか。


大人になるというのは、その「目指すべき人間像」を自分で見つけていくことなのだろうか?


しかしながら、このように考えると、幼くしてロールモデルを見つけたならば、もう大人になったということになってしまうか。


う~ん、奥が深い。

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「人格の完成」とは?

旧教基法、現教基法ともに、「教育の目標は人格の完成」とある。では、「人格の完成」とはどのような状態を指すのか・・・?


子どもたちにも「人格の完成」という言葉を言っている。それを“自分なり”に咀嚼して、言い換えて説明している。この“自分なり”というのが1つ間違うと怪しくなる。


最近思うのは、子どもたちに「人格の完成」を考えさせること。自分が悩み、考えていることを子どもたちにも伝え、ともに「人格の完成」とは何か考えをめぐらせながらいくことも1つの方法ではないかと思う。


そうすると、おそらく「大人とは何か?」という問いが新しく生まれるだろう。


池田修先生の著書にもあった言葉だが、こうなると「大人論」というものが必要になる。今読んでいる本には、
・タックスペイヤーになる
・家族を持つ
などが「自立」の条件(?)として書かれているが、「自立」と「大人になること」は少し違うのではないかという気もする。


哲学的なことになってしまうけれども、目先の“楽しさ”を考えがちな現在の学校教育にあって、考えていかなければならないことだと感じる。

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歯みがき

最近、歯みがきをきちんとできる。


不潔なのではない。給食後にそんな時間がとれないからだ。


今は、子どもたちの「食べる」「片付ける」が一連の作業になっていて、全部片付けるのを見届けたとしても、十分な時間があって、教室に戻って歯を磨くことができる。別に全部が終わるまで子どもの仕事にしてもいいのだと思うが、プリントの答え合わせをしたり、些末な仕事の確認をしたりする時間としては給食後が最適である。


それらをやったとしても時間が余るのだから、子どもたちの成長はすごい。あとは「みんな」が時間までに食べて、歯を磨いて、清掃に取りかかれるようにすることだ。

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電話

昨日、前任校の同僚から電話があった。
研究授業が終わったという話、自分が前任地へ行ったという話、短時間でいろんな話をした。
用件は文化祭のPTA展についての質問だった。まだ(?)2年しか経っていないんだ、あれから。


     ◆


中学校は今は文化祭準備に忙しい。現任校の中学生も同じだろう。
自分はたった一期とはいえ、中学校現場を経験できたことは今にして思えば大きな財産だ。いろいろ大変な学校ではあったけれども、肥やしになっていると思う。また、小学校現場も俯瞰的視点から考えることができているとも思う。


中学校は特に文化祭で子どもたちが大きく成長する。
2年前は中3担任だったこともあり、いろいろな姿を見ることができた。


文化祭準備中、実行委員長が不安定になったこと。
自分が出張先から学校に電話を入れたら、学年主任から報告があり、そのまま「彼」とドライブ。夜の11時まで公園で話を聞いた。


そしたら次は副実行委員長が体調を崩して入院。体調というよりも気苦労が多かったのだろう。


今度は、ある子が別の子を殴った、という「事件」。
準備中にちょっとしたはずみで起きたケース。


いずれも自分のクラスの子たち。いやぁ、ざっと思い返しただけでこんなにあるとは。


そういえば、文化祭前々日になって、
「先生、閉祭式のビデオを作ってください。」
とも言われた。


仕方がないから、前日に構成を練って、文化祭1日目の夜は学校で朝を迎えて、2日目の全校レクの編集をして挿入するだけにしあげた。お願いしてきた子も朝6時30分には登校してきた。


いやぁ、尽きない。

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県教育振興基本計画(仮称)≪素案≫

県教育振興基本計画(仮称)≪素案≫を県教委のHPからダウンロードして読んだ。県の教育に対する姿勢を感じつつ、教基法が新しくなって、策定を義務づけられていることも改めて知った。


驚いたのは、本県に外国籍の方が多く住んでいること。はじめ資料を見たときに日本全体に4万人かと思って受け止めてよく見たら、県内だけの数字だった。


『ニッポンには対話がない』で読んだ内容ともリンクして、近い将来、教室が多文化社会になることを痛感。いまのうちから心づもりをしている方がいいと思った。


少なくとも、
「外国籍の子が増えて大変!」
などと愚痴を言う教師にはなりたくないものだ。

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まだできる

今年はプールをまだやっている。
先週は天気が悪かったので、今日ぐらいまでやりたい。


例年、運動会の練習が始まると、太陽が意地悪に思えた。
なんでプールの時にもっと照ってくれなかったのか、と。


今年は<運動会の練習+プール>でいっているから、
そんな想いは相殺されている。


ちなみに昨日の気温、30℃。水温25℃なり。

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レポートを出すことから

昨日は教研集会。
今年は初めてレポートを提出した。特別活動の分科会で『学び合い』のレポートを。

教研集会は“教育研究集会”であるので、研究の成果となるレポにしたいが、やはり主観に基づく内容ダラダラのレポになったことを反省。もっと論文の書き方を勉強して、書き慣れるようにしなくては。

今年度はこのレポをきっかけにして、その他の活動を広げていきたい。

サークルの起ち上げ、研究所への論文提出などなど、今までになかった取り組みをまずは「やってみる」、すなわち「行動を起こす」ことではじめの一歩を踏み出したい。

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たぶん3周年

学級通信を日刊にして、3周年になると思う。


中学2年を担任していた3年前の夏休み、きっかけを覚えていないが「毎日学級通信を書こう」と決心して、休み明けから毎日発行し始めた。


中学は自分のクラスで毎日授業があるわけではなく、ましてや英語という教科の特性上、指導単位が学級ではなく少人数クラスになってしまい、生徒の様子を通信に載せるのが非常に難しかった。そんな中でも毎日続けられたのは、子どもたちが清掃に熱心に取り組んでくれたり、「あゆみ」(日記)をたくさん書いたりしてくれたおかげだ。清掃後の画像を載せたり、日記を転載したりすることができた。


「毎日出したってねぇ、大変なだけだよ。」


という同僚もいたけれども、「そうですか。でも、とりあえず続けてみます。」と返答して、今に至っている。自分なりの結論は、出すことで得るものの方が大きい、である。


たしかに毎日出すことは骨の折れる仕事だけれども、子どもたちのいいところを見つけようと努めるし、中学はネタがきれるから本を読むことにもつながった。そして何より、保護者の方から様々な反響をいただいた。特に中学は通信を日刊で出す職員が少ない(前任校で自分以外に日刊で出している人はゼロだった)ので、子どもや学級の様子を知りたいと願う保護者の方には好意的にとらえていただいた。おもしろかったのは、


「先生、おばあちゃんがね・・・」


と思わぬファンがいたことだった。


今は小学校勤務になり、毎日の様子をじっくり見られるので、写真も撮れるし、子どもたちの記録もとれる。通信を出す苦労は減ったと思う。その一方で子どもたちに向けた文章を書くことができないことに気づいた。要するに、前任校では生徒に向けて通信を書いていた。今は保護者向けの通信になっている。


それでも書き続けることで、文章を書くことを苦にしなくなったし、自分がいろいろなところで書いたり読んだりする文に敏感になった。読書をたくさんこなすことで読解力がつくのではないかと言われることもあるが、書くことでも読解力がかなりつくのではないかと実感している。


ここまで書いてわかった。


通信を発行している一番の理由は「自己満足」にある。あまり読者のことを考えていないのかもしれない。まぁ、だから“通信発行は趣味”と言い切っているのだけれど。


さて、いつまで続けようか・・・。

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祝、再開!

尊敬する先生がブログを再開した。
月並みな言葉だけど、うれしい。

自分がこうしてブログをやろうと思ったのはいくつかきっかけがあって、多くの先生方のブログを見ていたこと、『学び合い』のセミナーに参加したこと、がそれにあたる。

では、いくつかあるブログサイトのうち、なぜ現在のココログを選んだのか。その理由は一つしかない。尊敬する先生がこのココログでブログを開いていたから。

その先生のブログ再開。楽しみが一つ増えた。

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プール当番

昨日はプール当番2日目。なんとか無事に終えてホッとした。子どもたちはそんなことは露知らず。元気に泳いだり、遊んだりしていた。

それにしても、学校プールで自由時間がしっかり確保されているのは珍しくないだろうか?去年も思ったけれども、「自由」という言葉の意味をはき違えているのがほとんど。その裏にある「責任」なんてものはいっこうに感じている気配がない。

とにかくそんな中、全員が何事もなくよかった。ただ、それだけ。

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鉛筆の持ち方

昨年の今頃は、1年生ということもあって、マメに指導を入れていた「鉛筆の持ち方」。最近はあまり気にしなくなっていたが、1学期も終わりを迎えるにあたって、再度声をかけることが増えてきた。


     ◆


前任校の中学校勤務時代、まぁものの見事に皆さんメチャクチャな持ち方をされており、「小学校の先生は何をやっとんのじゃ!」と内心、はらわた煮えくりかえる想いをしていた。その前の年にやはり小1担任だったということも大きかった。


で、


小学校勤務に舞い戻り、子どもたちの様子を見ると、鉛筆の持ち方はあまりよろしくない。


矯正器具もあるけれど、自分は「正しい持ち方ポスター」とか「矯正器具」はその場しのぎのものだと思っているので、ずーっと声をかけるということで子どもたちに正しい持ち方を促してきた。言うことは簡単。


①親指と人差し指が「こんにちは」
②中指は鉛筆の後ろに「かくれんぼ」
③削ってあるところと、削っていないところの境より少し上を持つ


この3つ。
あとは鉛筆を立てすぎないように、親指と人差し指の付け根にできるシワに鉛筆を当てると、いい感じの角度になるが、まぁそれはさておき、たったの3つである。


     ◆


今の自分は鉛筆の持ち方にあまり拘りはないのだけれど、正しい持ち方を会得させたいと思うならば、ポスターよりも器具よりも、声を「かけ続ける」ことこそ効果があると思う。毎日毎日声をかけ続けるということは疲れることだし、口うるさいと子どもたちから思われるだろうなぁとも感じる。


でも、それをやっていくのが学校だから。


と、前任校の時はずっと心がけてきた。
今はなんとか『学び合い』的なアプローチができないかなぁとも思う。

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最終週!

今週は朝のうちにトレーニングしたり、通知票などの学期末の仕事をしたりと、朝を有効活用しようと思っていたら、今朝は2時50分に目が覚めた。さすがに早すぎる・・・。


本地には珍しく寝苦しい夜だった。
12時頃、窓を少し開けて寝たほどだった。


学生時代に比べれば大したことじゃない。
贅沢にもクーラーを毎晩かけていた。家の前の公園で寝ようか、とも考えるほどだった。


関東の人にしたら、長野の夜なんて涼しいもんだ。



     ◆


さて、登校日数もあと5日。
無事に1学期を終えるまで慢心してはならないけれど、今のところ順調(だと思う)。大きなケガや事故がなかったことが何より。細かなことを挙げればキリがないけれども、それらは2学期への自己課題としよう。


今学期の子どもたちの頑張りを自分たちで考えさせ、そして自分に帰すことで自己肯定感を高めていけたら学期末の理想的な終わりになることだろう。


さぁ、がんばるとするか。

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先日、地元紙に『学び合い』の記事が出た。
それをご覧になった方が、わざわざお葉書を送って下さった。


実の縁の深い方だ。


     ◆


初任地で、自分は小学校、Aさんは中学校勤務。住宅も近かったためよく一緒に飲ませてもらった。(独身時代は気楽だった)


自分の二校目ではAさんが隣の中学校で、自分と同じ剣道部の顧問。剣道ド素人の自分にとってなんとも心強い存在だった。


そして自分は現任校へ。挨拶状も出さず、義理を欠いていたにもかかわらず、今回お葉書を受け取り、なんとも感慨深い。そして心強いメッセージも添えられていた。


     ◆


『凡事徹底』に書いてあった。
“良縁ほど放っておけば薄くなる”
今回はA先生に助けていただいた。お礼を兼ねて急いでお返事を書こう。

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職員会のない水曜日

昨日は行事のある学年があったために、水曜日なのに職員会のない一日だった。ということは子どもたちを下校させて、完全に自分に使える時間。こんな日は年に1・2回しかない。


そして、そんなステキな日に自分がやったこと。それは・・・




中庭の花壇を耕耘機で耕して、
ビーバーでの草刈り





トホホホホホ。(*_*)



以前、妻に言われた言葉を思い出した。
「仕事がなくっても、自分でつくっちゃう性格でしょ。」
まったくもってその通り!


言い訳するならば、普段、中学の先生たちが忙しいのに草刈りしてて、中学より余裕のある(と思われる)小学校の職員が何もしていないなんてマズイんじゃないの、と思っていたからだ。


前任校の尊敬する先生たちから学んだこと。それは、
“即時、行動を起こすこと”
昨日はそれができたから、いいんだ、自己満足で。

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筆順

以前から気になっていた筆順について調べてみた。

昭和33年旧文部省の前身である役所から「筆順指導の手引き」が出され、それをもとに現在の筆順が決まっているようだ。しかしながら、その「手引き」以前の書き順を誤りとするものではないという但し書きもあるようである。つまり、漢字の中にはいくつかの筆順がある文字もあるということだ。そしてどちらが正しいか、ではなく、どちらも正しいのである。


なぜ、こんなことを調べているか。

自分は書き順指導をしていないからだ。でも、子どもが書き順を間違えているようだったら、空書きさせたり、書き直しをさせたりしている。


習字のときには筆順が必要かもしれないけれど、果たして成人して習字をする人が日本人の何%だというのだろう。自分はある面でくそ真面目だから筆順をできるだけ覚えてきたけど、それにこだわりすぎる必要もないのではないかと最近思うようになった。

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子どもたちに力をもらう

先週から今週にかけて、バタバタと過ごす毎日にあって、「子どもたちに力をもらう」とか「助けられる」ということを改めて実感している。



体調が悪くても、出勤すればクラスの子からパワーをもらい、元気になる。だからおバカなことをやってしまう。(最近は気持ち悪がられる)



家に帰れば、息子たちに元気をもらう。
時折、余計に疲れるときもあるけど、「気」を送ってもらうことのほうが多い。



     ◆



ふと初任校時代を思い出した。



校長先生・教頭先生に楯突いて、いや~な感情を抱いていたときに「あ~早く教室行きたい。」と思っていたものだ。

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ウィニーとは何ぞや?

昨日の職員会。
最近(と言ってもここ数年を指していた)の教職員の不祥事に堪忍袋の緒がきれたのか、県から各職場で学習会を行いなさいという通達がきた。だから、職員会の貴重な時間を割いて、簡単な学習会が行われた。


そこで出てきた疑問。
“ファイル交換ソフトウィニー”
とはよく聴く言葉だけど、それって何なの?


自分もよく知らない。


そう言えば、4月頃、自宅パソコンにウィニーがないかどうか確認作業をしたっけ。でも、ウィニーって何なのかよく知らないから、確認のしようがない。


勉強は必要だけど、通達を出すのであれば、最低限の情報も合わせて提供してくれるとありがたいと思った。


それにしても、上意下達というのは大変だ。

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「明日の教室」振り返り④

<質疑>

○「ズバリと言いなさい」

○ノート指導は2種類。
  1 記録のため・・・後で役立たせるため
     (社会や理科などが該当)
  2 発想の基地・・・自分の考えが深まる(向上的変容の)ため
     (模擬授業で見た授業がまさにそれ)

○「読書感想文」と「読後作文」
○授業を振り返る、というちょっとしたことのためではなく、
  しっかり作文の時間をとって、
  授業を通してどのような向上的変容があったのか
  書かせることはある。

○音読について・・・個別指導に限る。
  劣等感を抱かせずに、成功体験(成就体験)を積ませる。
○「めんどり読み」
○「劣等感を持たせないこと」
  ・・・伸びたか伸びていないかわかないのが読解力と鑑賞力
    伸びたか伸びていないかはっきりわかるのが音読と作文
○「健康診断で終わっている。治療がされていない」

○作文指導は多作がイチバン。
 「多作」のため・・・・・・・作文用紙の開発 “作文くん”(新学社)
 「楽作」のため・・・・・・・なりきり作文、もしも作文
 「基礎基本」のため・・・“作文ワーク”、“一文マスターカード”

○イメージと読解
  強いイメージを持っている子には? →→→ 正すのみ!

○「教育は発達のためにある」
 ・・・今はこうして指導する。成長するから変わっていくこともある。
   教師にも向上的変容がある。

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「明日の教室」振り返り③

<第二講>俳句

○読めなきゃダメ。読字力をつける。
  →だから学年別配当漢字なんか無視した方が(?)いい。
  →書くこと(書字力)は別。
○「まだの人?」・・・全員参加。「できた人?」とは聞かない。
○俳句は創作。誰も気づかなかった美的なものを「発見」することができる。
○「だれか?」と聞くと、手を挙げないことで沈滞する。
 そんなときは強制。つまり指名。
○「価値ある強制」を受け入れた者が伸びる。
○選択することは誰でもできる。問題は論拠。

○「書かせるということ」
○テストの点数の付け方
 (通常の)100点なら 0点・・・このテストは君を伸ばすことができなかった。
      70点なら30点・・・30点分君を伸ばせるテストだ。
      0点なら100点・・・おめでとう。このテストは君を無限に伸ばすことのできるテストだ。教えてあげるから一緒にやってみよう。

○「天牛」が読めるか?
  →教育は「わからなさの自覚」が原点
   世田谷区の国語特区で行われている、「日本語」を参考。

○文脈規定制(?)
 ・・・国語の解は全て文の中にある。
   解を見つけるためには何度も読まなければならない。
○「おもねてはいけない」

○「手をしっかり挙げられないから教室が荒れていく」
 ・・・「挙げる」ではなく、「曲げる」がどれだけ多いか。
○「できるだけ簡単に言いなさい」
○解釈が色々でよかったら指導はいらない。導いてやるのが指導。
○「『こう考えるのが、そう考えるよりいい。』というのが解」
○「読解ははっきりするべき(正確さがあるべき)」
○「間違ったものは『誤読』と言う」

○「反論する」と「立場が違う」とは違う。
 「あなたの考えは~で違う」と論破するのが反論。
○「国語の解は文脈の中にしかない」
 →体験で語るのではなく、表現で語らなければならない。

○読解とは?
 →正確でなければならない。
  文脈で「~とまでは言える」と大まかな部分で考えが一致するように導いていく必要がある。



---所感---
「読解は正確さがあるべき」「解は文脈の中にある」ことを子どもたちが共有すれば、算数のように、明確なゴール目指して『学び合える』のではないか。

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「明日の教室」振り返り②

<第一講 つづき>

○「向上的変容」・・・訂正の連続、と言ってもいい。
    授業を終えて児童生徒が変容していなければ
    授業をした意味がない。向上的変容を保障する
    のが「いい授業」である。
○期待と緊張と適度な恐怖(?)
○「見当をつける」
    ・・・「わからなさの自覚」が大事であるが、簡単に
      「わからない」と言うと、思考と絶縁してしまう。
      「見当をつける」(推理する)ことも大事。
○「見当外れを繰り返すことで、やがて見当が合うようになる」
○「判断は誰でもできる。問題は根拠」

○机間指導中、頭を触ったり、首をつかんだり。
  →机間指導しながら生徒の考えを分類するための行為。


○友だちの意見を批判的(懐疑的)に聞く。
○学習用語を教える。
○部分を出して、少しずつ開いていく。(「絵巻物法」)


---【所感】---

模擬授業に「読む」「聞く」「話す」「書く」活動全てが含まれていた。そして当然ながら随所に思考を促す場面もあり、学習活動が充実していると感じた。
また、最後書かせたものについて、解答が1つではなく詩として整合性がとれていれば良しとすることで、オープンエンドにもなっていることに「いい授業」であると感じた。
この授業を、『学び合い』の考え方で実践しようとしたらどうなるだろうか?

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「明日の教室」振り返り①

<第一講>模擬授業 「うとてとこ」

○理屈だけ話しても伝わらない部分があり、実践を通して伝えるのが模擬授業。(ゆえに、別名「立体授業解説」)

○「指示」・・・~しなさい
○「活動」
○「学習活動」・・・目的のある活動、
           緊張と鍛えの連続が最高の授業
○「分析」・・・声の大きさがいい、速さがいい
        漠然とした「いいね。」とは違い、具体的である
○「わからなさの自覚」
○“?”と思わせる。これが出発
○学年別配当漢字や常用漢字と決めてしまったことが大きな失敗。
○「判断させる」・・・岐路に立ったときに考える
○“まだの人?”・・・「まだ」ならば“早くやりなさい”と促す。
            それが鍛えることでもある。

(つづく)

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「明日の教室」参加

昨日、「明日の教室」@京都橘大学に参加した。
朝8時に出発して、休憩を適度に挟んで13時20分に会場に到着。
山科駅に車を置いてバスで会場に向かったのだけれども、ざっと振り返ってみて、路線バスに乗るのは11年ぶりだった。そりゃあ、緊張もするってものだ。

これまで先生方のブログで拝見してきて「いいなぁ」と思ってきた学習会、「明日の教室」。
講師の方々がなんとも豪華で、長野から若干離れていることに悔しい想いを抱いてきた。

それでも昨日は一念発起の参加。

     ◆

行って良かった。本当に良かった。
もう一度行きたい。仲間を連れて行きたい。

講演から受ける刺激と、そこで購入できる書籍からの刺激、そして、参加した人たちといろいろな話題で交わす会話から受ける刺激。昨日もいろんな刺激をもらった。

野口芳宏先生の模擬授業を見たら、「自分もあんな授業をしてみたいなぁ」と思いつつも、『学び合い』との共通点を見出そうと試みている自分に気づいた。
結論は・・・、出てない。

     ◆

新しいことを知る、学ぶと言うことは答えが見つかるのではなく、新しい思考回路が構築されることなのだなぁと思った。

「知らないよりは知っている方がいい」こと
ではなく、
「知っているべき」こと

がもっともっと存在しているのだ。精進しなくては。

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いざ上洛!

本日は「明日の教室」スペシャルなり。
これから京都へ向かってレッツゴー!

野口芳宏先生のご講演に加え、野中先生にもお会いできそう。
そして糸井先生、池田先生と、これまでブログで拝見してきた先生方のお話が楽しみだ。

正統的周辺参加で終わってしまうかどうかは自分次第だけれども、この貴重な経験をぜったい自分の仕事に生かしたい!

では、行くぞ!!

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連休明けの様子

始業式から1ヶ月がたち、連休も終わり、本格的な学級運営に移っていく。「移っていく」と言っても、昨年度から持ち上げたクラスなので、様子もシステムもわかっている子どもたち。問題は教師。


自分が気を緩めず、子どもたちに求め続けさえすれば、学級は高まっていくと思っている。


今のところ大きな問題がない、と思っている自分が問題。こんなときこそ、どこかに問題点の種が潜んでいる。


表情を緩めても、気は引き締めなければ!

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遠足下見

今日は午前中に遠足の下見に行ってきた。

080504







開田高原は快晴。
観光客も大勢いた。


御嶽山も見事な山並みだった。

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「おじさん」と「先生」

教員住宅が学区内にあり、地域の行事にも参加しているので、なにかと地域のことに詳しくなっている。また、長男が保育園に通っているので、今年入学した1年生にとって自分は「すみもん先生」ではなくて、「○○○くんのお父さん・おじさん」という呼ばれ方をすることがあった。

先日もランチルームで給食後に無駄話をしていて、ふと1年生の方を見たら、
「あっ、○○○くんのお父さんだ。」
と1年生に言われた。

まあ、確かにそうなんだけど・・・。
「あのね△△ちゃん。一応学校では『先生』をやってるんだ。」
とだけ言っておいた。

来年の1年生にとっては、もっと「○○○くんのお父さん」なんだろうな。やりやすいのか、やりにくいのか。不思議な感じがする。

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連チャン

パチンコの連チャンならうれしい悲鳴。
飲み会の連チャンなら身体が悲鳴。


昨晩は組合青年部の飲み会。
今晩は勤務校の新任者歓迎会の飲み会。


うれしいけれど、財布と肝臓にはこたえる。
そして、翌日の身体にこたえる。


また、自分の家族に最もこたえる。


土日は家族とゆっくり過ごすぞ。

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履修主義と習得主義

新指導要領が公示(?)告示(?)されてから、ずうっと頭の中にあるのがタイトルの言葉。


これまでは前者「履修主義」的な考え方が自分を覆っていた。つまり、とにかく教科書や何らかの道具を用いて「教えた」ことが大事である、と自然に考えていた。例えば、子どもたちが新しい単元に入ったときに、
「えっ、覚えていない!」
と関連事項を忘れていた(正確には身についていなかった)としても、
「先生は確実に教えた!!」
と、子どもたち以上に眉をつりあげてアピールしていた。


世の中としても世界史の未履修問題があったときに、あわてて授業時数だけ確保していた。時数を確保すれば、生徒が学んでいなくてもいいということなのか、と感じた。(『奇跡と呼ばれた学校』荒瀬克己著、朝日新書を読んでそう思った)


     ◆


今は「習得主義」なのだと思う。

『学び合い』の考え方の比重が大きいと思うが、「教える」ことよりも「学ぶ」ことを重要視するようになったことを認識している。話は逸れるが「教える」の主語は「教師」であり、後者「学ぶ」の主語は「児童・生徒」である。そのあたりを意識するようになり、職員会などの諸会合での話題にも「主語」を念頭に置いて話したり、聞いたりするようになった。


本題に戻ると、子どもたちが「学ぶ」ことはアウトプットしないと学んだかどうかがわからない。人の頭の中は見えないからだ。手段としては作文であり、テストであり、または子どもたちの行動という出力の仕方もあるだろう。


     ◆


別の言い方をすれば、「わかる」と「できる」の違いかもしれない。

まとまらないけど、今後の指針としてメモしておきたかったので、できてよかった。

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低学年の「教育」って…

最近、自分と同じ学年を担任している他校の先生の話を聞いた。
本校は学年一クラスなので、学年会が存在せず、何かと便利なこともあれば、不便なこともある。こうやって他校の様子が聞けると助かる。


国語の話を聞いた。
担任が読み進めて、セリフの部分を子どもたちが読む、そういう展開をしているという。自分のクラスは子どもたちが読み進めて「表現読み」をさせている。


ずいぶん違うと思う。


その先生のクラスでは、子どもたちが楽しくセリフを言っている情景が目に浮かぶ。一方で、自分のクラスでは「笑顔」もあるが、子どもたち同士が協力して「読める」ようにしている。


そこで自分は考えた。小学校低学年の「教育」ってなんだろうか、と。


指導要領を見ても「楽しく~する」「~しようとする」という文言が多く見られ、「~できる」という表現は少ない。ゆえに、同僚からも「低学年は楽しくやろうとする意欲が育てばいいのよ。」と言われる。


自分は懐疑的である。


自分の子どもを見てもそうだが、何かができるように子どもは頑張ると思う。確かに楽しくやりたい、という想いもあるようだが、それよりもできないことでかんしゃくをおこし、親である自分に八つ当たりをすることが多い。だからというわけではないが、自分はクラスの子どもたちに「できる」ことを求めることが多い。


“楽しくセリフを読んだからといって、自分で教科書が読めるようになるのか!”と極端な想いを持ってもしまう。


そして、「楽しく」育った子どもたちが高学年になり、その子たちを受け持った担任が「うちのクラスは勉強ができない」と嘆くのも目の当たりにしてきた。また、中学校でそのまま上がってきた子たちに授業をしてきた。


まずは「できる」ようにさせてから「楽しく」を求めてはいけないのか。あるいは両方を求めてはいけないのか。いや、実は指導要領も両方を求めているのか。よくわからない。


少なくとも自分には、低学年には「楽しく」が重視されているように思えてならない。そして保育園と幼稚園と何ら変わらないとしか思えない。

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5月10日(土)京都へ

以前、丁寧な返信メールをいただいたことをアップしたけれども、そういえば具体的に記していなかった。

5月10日(土)の「明日の教室」である。

ちょっと遠いところではあるけれども、それだけの距離があるにせよ、自分にとって魅力的なセミナーだ。初めは日帰りにしようかと妻に相談したところ、快く送り出してくれるようで、無理せず泊まってきてよいお墨付きをいただいたので、今からホテルを探そうと思う。

体調と学校の仕事、どちらも万全の状態で出られるようにしよう。

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“エブリー”

今日は勤務校の始業式および入学式。
昨年度から持ち上げの2年担任だ。

本県では「持ち上げ」が当たり前で、毎年異なる児童生徒を受け持つということはほとんどない。そのため、保護者も教職員も大方の予想を持って新年度を迎える。たまぁにサプライズがあったりして、体育館にどよめきが起こることも・・・。

     ◆

さて、新年度ということで通信の名前と書式を一新した。昨年までは『ぼちぼちいこか』というタイトルでA4縦長用紙を横書きにして使っていた。

今年度のタイトルは『エブリー』とした。

 everybody
  everything
  everyday

それぞれの接頭語に由来している。

“みんなが何にでも挑戦して、みんなで高め合える日々をすごしてほしい”という願いを込めて命名した。根底には『学び合い』の考え方がある。

ちなみに書式としては、A4横長にして、さらには袋とじ(縦)も施している。A4一枚でこのような横長にして出版(?)するのは初めての試みだけに、自分でも戸惑っている。本筋から逸れるけれども、これまでの短い教員生活を振り返ると毎年何らかの変化を自分に義務づけているように思える。チャレンジしている、というとかっこいいかも自分。

     ◆

本題に戻ろう。

子どもたちに『エブリー』のことを話し、さらに今年子どもたちに求めることを話し続けた。こちらは日本語の漢字一文字「大」である。

・大きな声
・大きな文字
・大きな成長
・大好きなことを頑張る
・大嫌いなことも頑張る

という願いがある。担任とは何とも欲張りなものだ。
成就のために、課題を設定し、環境を整え、説き続け、見守っていこう。

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新年度2日目

今日の主な仕事

1 合同職員会(中学校、小学校の合同会議)
2 校務分掌係会
3 低学年会
4 学級事務
   ①カーテン取り付け(クリーニング後のため)
   ②教室の片付け(移動後の荷物がようやく片付いた)
   ③新年度時間割の作成、、、など
5 新入生受け入れ準備
   ①年度当初の下校について
   ②入学用品の確認と整理
   ③1年担任の先生のお手伝い


いざ打ち出してみようと思っても、何をやったのかがよく思い出せない。こんな感じで毎年、新しい職場がスタートしている。

最近、日記の必要性を強く感じている。

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平成20年度スタート

23時頃、出発の会より帰宅。
実に楽しいお酒だった。

新しい同僚を迎えて、再出発した20年度の本校。
朝から続いた、形容し尽くせぬ忙しさにもへこたれず、賑やかな笑い声に包まれていた職員室。明らかに昨年度までと違う。

明日も二日酔いに負けずに早くから出勤しよう!

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新年度前夜

3月に入って授業もひと段落したあたりからブログの更新をしなくなっていた。自分にとってこのブログは仕事のことを綴るだけのものではなかったのに、、、。言い訳はいくらでもできるが、これからまた気持ちにハリを持たせてやっていこう。

     ◆

さて、明日から新年度。教育に携わるものにとって、今日は大晦日みたいなものだ。明日からの「新年」に向けて、気持ちが昂ぶっているのがわかる。

今日は帰宅後、夕食をとって、風呂に入る前に髪の毛を切った。
いつもバリカンや梳きばさみを使って自分で切っているので、いつもと同じなのであるが、今日は動機が違う。

“明日から新年度だから”

という家族にしてみたらわけのわからない理由からの散髪だ。

ともかく、身も心も準備万端!
いざ、出陣だ。

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飲み会

現在23時40分。帰宅。
PTAの飲み会で、予想外の二次会に参加。

教職員以外の方と飲むといろんなことがわかる。
サプライズもある。

今宵は、中学に教わった先生が勤務地の近く出身だったり、その先生と同年の方が地域でお世話になっている人だったりした。また、仲良くしていただいているお隣さんのお兄さんが一緒に飲んでいる人だったりもした。

う~ん、世間は狭い。

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言語力を伸ばす・語彙を増やす

前任校で中学1年生に授業(道徳)をしていたとき、生徒から出た質問。
「先生、『望ましい』って、なあに?」
質問したことはすばらしいが私は呆然とした。自分が「これぐらいの言葉はわかるだろう」と考えていたものが理解できない子がいる、それを知ったのだった。子どもたちにわかりやすく伝えることは必要だが、日常会話として知っているべき基本的な日本語が伝わらないのなら、おそらく子どもたちの思考も深まらないだろう。思考するには頭の中で日本語を使っているのだから。


クラスで「きのう 正ゆめを 見た」という読みの問題を出したときに、「正ゆめ」という言葉を聞いたことがない子が多くビックリして、前述のやりとりを思い出した。


「正ゆめ」という問題は<小学生の漢字力に関する実態調査2007>(ベネッセコーポレーション)>を参考にした。問題では小学校2年生に「正ゆめ」という漢字が書けるかどうか出題し、正答率は12.2%である。自分のクラスに置き換えるならば2人は書ける計算になる。「読み」と「書き」で違うので単純計算ができないが、どうなのだろう?


          ◆


今度は私が初任校にいたときの話。

長男が産まれたとき、一緒に学年を組んでいた同僚から
「赤ちゃん語をあまり使いすぎない方がいいわよ。」
とアドバイスされた。「~でちゅねぇ。」などと子どもに合わせて話していると、子どもがその言葉を覚えてしまって、子どもの話す言葉まで幼いままになってしまうとの理由だった。

一応、そのアドバイスを忠実に守って自分の子どもを育ててきたが、おかげで大人びて生意気な言葉遣いをするように育った。親としては、知っているのであれば成長したときに大人っぽい言葉を「使わない」という選択の幅が広がると楽観視している。少なくとも「使えない」よりはいいのではないかと。

では、自分の子どもの語彙をもっと増やすにはこれからどうすればいいのか?そこで頭を抱えてしまう。単純に「本を読め!」と言えばいいのかというと違う気がするし、「おい、『○○○』ってどんな意味だ?」と聞けば、そのうち「ウザイ」と思われること確実だろう。


         ◆


文部科学省の審議会である[言語力育成協力者会議]から出された報告書(案)「言語力の育成方策について」というものを読んだ。その中で語彙については次のように書かれていた。

==========================
5.指導に当たっての配慮事項等 (1)語彙について
幼児児童生徒の現状を見ると、生活体験が不足し、感情を直接的に表現する言葉が多用され、語彙が乏しくなっているので、実生活の中で読書や遊びを通じてそれを充実させることが望まれる。
論理や情緒に関する語彙を豊かに身に付けることは、思考力を高めたり情緒を豊かにしたりすることにつながる。そのためには、各教科等で習得すべき学習の基本語彙を整理して明確にしたり辞書等を活用したりすることなどが重要である。
==========================


冒頭に記した「知っているべき基本的な日本語」と似たような「学習の基本語彙」という言葉が出ていた。学習の基本語彙は「とめ」「はね」「はらい」や「繰り上がり」などがあたるのだろうか。では、日常生活の基本語彙って何だろう、そう考えたら余計に頭が混乱してきて、何がなんだかわけがわからなくなるのだった。

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漢字力

登校日数も今日で残り6日となった。
来週の火曜日が卒業式だ。

そんな年度末にあって、授業はまとめのオンパレード。
副教材を購入して、国語・算数はおさらいを、道徳はまとめの学習発表に向けて準備を、生活は1年間の振り返りの作文を、とそれぞれ行っている。

国語では先日報道された、漢字力について子どもたちに問題を出した。

小学生の漢字力に関する実態調査 2007

「木のは」などが書けないということで新聞でも記事を見かけた。「木のは」の「こ」という読みは1年の教科書では出てこない。習っていないから書けないと思うのは当然だが、そう思っているうちはいつまでたっても書けるようにはならないだろう。

子どもたちには
石ゆストーブ」
左右
「つぎの かどを 右せつ する」
の3題を出した。
読みの問題である。

教室に掲示してある1年生の新出漢字表を見て正答を予想する子もいれば、知っていて答えられる子もいた。

「なぜ知っていたのですか?」と尋ねると
・聞いたことがある。
・家でお父さんがよく使っている言葉だから
との返答だった。

思った通り、習ったか習っていないかという次元ではなく、日常生活において使われている言葉かそうではないか、の違いなのだ。言語環境が大事なのだ。そしてその環境という場を設定していくことこそ、学校では求められるのだと思う。

1年生が相手だと、漢語よりも和語を使って、難しい言葉よりも平易な言葉に言い換えて話をすることが多い。果たしてそれが正しいのかどうか疑問に感じた。多少わかりにくさがあったとしても、わからない言葉に、「どういう意味ですか?」などと質問したり、友だちに聞いたりすることができる子どもを育てることの方が大事ではないか、とも感じた。

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出席率

98.6%。

これは2月までの出席率。

子どもたちの欠席日数の合計が2月末で49日。
一人あたりに換算すると2.7日。(出席停止除く)
また、総出席日数から欠席率を算出すると1.4%。
よって、出席率は98.6%となる。
 
2月に入って風邪がはやったので3月も欠席者が出ると思うが、この出席率が大きく上下することはないだろう。他と比較したことはないが、高い数字ではないかと思う。(勤務校そのものの出席率もかなり高いと思わる)

子どもたちに感謝。


<参考>
岩手の佐藤先生のブログを参考に出席率を算出しました

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フィーバー計算

算数でおさらい問題をやらせている。
「全員が正解になるように」
「テストをやるから、全員が満点をとれるように」
などの指示を出して、『学び合い』で進めている。

主に文章題を授業で扱うことが多い。
その手の問題には慣れてきているように感じる。

宿題では副教材の計算をやらせたりしているが、もう学年の最後ということで昨日は“フィーバー計算”なるものをやらせてみた。

     ◆

一応<フィーバー計算>で検索をかけてみたのだが、ヒットしない。これ、元は誰が考案したのだろう?自分は11月に行われた県教組青年部の教研集会、ヤングフェスティバル(通称:ヤンフェス)でこのネタを仕入れてきた。

自分でやってみて面白かったので、たとえ小1であろうと、やらせてみたら喜ぶだろうなぁと感じて、ずうっとあたためておいたものだ。ようやく日の目を見ることができた。

     ◆

子どもたちにやらせてみると、やり方がわからないという子もいたが、そこは自由に立ち歩いて聞きまくっていた。ひとまず安心。

そして、早い子は15分ほどで「フィーバー!!!」と雄叫び。
続けて3人ほどがフィーバーとなった。

     ◆

もし、このブログをご覧になっている方で興味があれば、やってみてください。頭の体操にもいいかもしれませんよ。

下記ダウンロードデータは、私がワープロソフトで作成したものですが、アイデア自体は私のものではないので、著作権となるとややこしいでしょうか。よくわかりませんが、公開したいと思います。

「explanationfever_keisan.pdf」をダウンロード

「fever_keisan.pdf」をダウンロード

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がんばれ受検生!

昨日、県の高校入試における志願者数および志願倍率が発表された。今朝の新聞でじっくり数字を眺めていたら、昨年のことを思い出した。

ふと前任校の学区を探して、記事を眺める。

意外にも志願者がばらけていない。
う~ん、昨年よりも大変なのかな?

そう感じるのはあくまでも自分が教員であるからで、受検生にとってみれば昨年の様子など関係ないことであり、「今」が一大事だろう。


     ◆


自分も高校・大学入試を経て、教員採用試験も受けているが一番緊張したのは高校入試だった。

人生初の「入試」であり、周りは知っている人が多い、しかも私学併願はしていない・・・。今にして思えば緊張するだけの要素がそろっていた。


     ◆


昨年は中学3年の担任として、深く関わった高校入試。
今年は前任校で関わった現中学3年生を思い出したり、現任校(小中併設校)の受検生を応援したりしながら、少し下がった立場で関わろうと思う。

がんばれ受検生!!

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祝!目標達成!!

『学び合い』で進めてきた漢字学習。
【全員が8割以上の点数をとる】の目標を、昨日初めて達成できた。

やったぁぁぁぁぁぁぁ!

採点をしたのが2校時。(子どもたちは音楽で不在)
喜びを押し殺して休み時間と3時間目を終えて、4校時に返却。

「報告します。目標は・・・・・・、見事達成しましたっ!」

「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

とも何とも言葉にならない雄叫びが教室中に響き渡った。


今回は15点満点。
全員が12点以上とるという目標に対し、最低点は13点。平均は14.4点。これは10点満点に換算すると、最低点が8.7点、平均が9.6点だった。

とにかく子どもたちに感謝である。
いろんな子どもたちの成長が見られた。

が、

これで終わりではない。
ここからが本当のスタートだ。

「もっともっと」求めていこう。

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持ち物調べ

今日、職場で各学級の朝・帰りの会の活動内容表が配付された。
それぞれのクラスで中身がずいぶんと違うものだ。

自分のクラスでは、

 ≪朝の会≫
①歌
②健康観察 
③持ち物調べ  
④先生の話

 ≪帰りの会≫
①配付物
②連絡ノート記入・添削
③先生の話
④帰りの仕事
⑤整理整頓

となっている。

ほとんどは野中先生の実践を参考にしているが、帰りの会の“②連絡ノート記入・添削”はちょっと違う。これはまた別にしておこう。

     ◆

さて、朝の会の“③持ち物調べ”だが、行っているのは自分のクラスのみ。意外な気がした。そう思えばランチルーム前の手洗い場でハンカチを使っている子が非常に少ない。

クラスでは、ハンカチ・ティッシュなどの他に、鉛筆を削ってきているかも確認している。もちろん係の仕事として任せている。

数日間忘れることが続いても、その場で叱責することはせず、その後の“④先生の話”で、風邪予防のために手洗いが必要であり、友だちのを借りるよりは自分のを使って欲しいと全体に対して話をしている。

宿題の提出忘れなど、調べなくてはいけないことはあると思うけれど、ハンカチ・ティッシュは最低限持たせておきたい。自分が小学生の時はハンカチなど持っていなかったが・・・。罪な教師である。

そういえば、最近は忘れ物をした子が、連絡ノートの持ち物欄に「ハンカチ」「鉛筆の芯」と書いてくることが増えてきた。

叱責をしなくても意識している子がいるのはうれしい。

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「夜スペ」について一考

どうにもこうにも意見を述べたくなって、学級通信でも取り上げた。
ブログにも(加除修正して)アップしておきたい。


「東京都杉並区立のある中学校で放課後、成績上位層に対し、進学塾講師による入試対策の有料授業(夜スペ)が実施され話題になっている。公立が私立に進学のうえで対抗するすべとして賛同の声も少なくないようだ。しかし、この学校は従来の学力観、知識注入の学習法、日本の進学方式(試験偏重)という現状を是としたうえでの妥協案を提示したにすぎない。」


と新聞の記事に書かれてた。
(信濃毎日新聞2008年2月18日付 教育欄「コンパス」より)


上記の「夜スペ」については東京都教育委員会から“待った”がかかったりして報道もされたので、有名になった。この「ある中学校」というのは杉並区立和田中学校のことで、校長は東京都で民間人初の公立中学校長となった藤原和博氏ということは知られているのだろうか?


上記記事にある「この学校は従来の学力観・・・」はまったくもって見当外れで、和田中学校こそ総合学習(よのなか科)が全国的に注目されてきた学校でもあり。本県でも「よのなか科」を真似て総合的な学習の時間を進めている中学校がある。


だからこそ、この学校は「ゆとり教育」を進めて、全国的に名の知れた学校なんだと思う。


その学校が「夜スペ」を導入したのには報道されているような、成績上位層だけを優遇するような背景があったようには思えない。ここからは全くの私見だが、「夜スペ」を受講する子は通塾していなかった子が多いのではないか。(この時期に新たに塾に通える子は、塾に行っていないのではないか)

そして「夜スペ」では提携している学習塾の通常より安い講習料で講義を受けられるのならば、塾に行きたくても行けなかった子を“救済”する意図もあったように感じる。また、会場がいつもの校舎であり、時間帯も放課後であることから、遠くの塾に通う必要がなく、時間的な余裕も子どもたちに生み出せる気がする。


藤原氏は著書『新しい道徳』(ちくまプリマー新書)で以下のように述べている。(ちょっと長いけれど引用したい)

=====引用開始=====

日本の教育界は、完全に、流れを読み違えているのである。
これはいったい、どういうことだろう?(中略)
この解明こそ、大人たちが陥っている「学力不眠症」を癒す鍵だからだ。

たとえば、公立校出身の高学歴の親でさえも「小学生を夜遅くまで塾に通わせ、なんとしてでも中高一貫の私立に入れることが勝ち組になる条件だ」「東大を頂点とする学歴社会で勝ち残るためには、寝ないで勉強した方が得だ」と考えてしまう症状があるが、これは根拠のない誤解である。

しかし、大半の親がそう信じ込んでいると、親と子も、この波から抜け出るのは難しい。結果、学力の高い子どもたちまで早寝、早起きの習慣が崩れてしまい、ゲームやケータイに夜遅くまで興じる傾向の強い学力の低い子どもと合わせて、日本の子どもたち全体の内容と精神が蝕まれてしまう。

この流れを変えることなくして、教育改革もへったくれもないだろう。


=====引用終了=====

「この流れを変える」ための手段の1つとして「夜スペ」が設けられたように私には思える。


別に新聞記事を批判しているのではなく、人によって物事の見方がずいぶん違うなぁと感じたので、こんなにも長々と綴ってみた。

少なくとも一方的な見方はしたらまずいと思う。
自分も気をつけていることではあるけれども、多面的に物事をとらえられるようにしたい。

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自分の一日(平日編)

====== 自分の生活リズム(平日) ======

 4:30 起床(二度寝含む)

  ~学級通信作成・宿題作成・ネット~ 

 6:45 出勤支度・息子たちと戯れる・朝食

 7:35 出勤

 7:40 到着(近いということは何にも増して尊い)

  ~教室のストーブ点火・印刷物・児童の提出物の確認など~

 8:15 朝読書開始

  ~もちろん授業~

15:30 児童下校・見送り

  ~宿題添削返却・教室の片付け・雑務~

17:45 退勤

17:50 帰宅

18:00 夕食

  ~食後、子どもたちがテレビを見る合間に少し仕事~

19:10 入浴

20:00 息子たちと戯れたり、仕事をしたり

21:30 息子たちとともに就寝
 
=========================

大体がこんな毎日。(願望も多少はある)
睡眠時間が長いなぁ、と改めて思う。
これでも短くなったほうだけど・・・。

あとは、児童下校後の時間の使い方かな?
30分ぐらい読書できれば、自分にとって一番の研修だと思っているが、なかなかそうはいかず、結局16時頃まで雑多な仕事をやっつけている感じ。それでも低学年担任ということで、高学年の先生方に比べれば自分の時間は長い方だ。

退勤時間は日によってまちまち。
学校でしかできない仕事があるときは19時まで残ることはザラだし、金曜日は翌週のことを考えて、遅くまで残ることが多い。(飲みに行くにも、近くに居酒屋はない)

そして、金曜日は息子たちを寝かしつけて、起きていられれば夫婦で晩酌。これが今一番の至福のとき。

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全員集合

昨日、1月30日以来にクラス全員がそろった。
なんだかんだで欠席者が出ていたためだ。

しかも上記の1月30には自分が欠勤した日。
要するに、欠勤日から今まで欠席者が続いていたということだ。

風邪を、ウィルスを蔓延させた元凶?

まあともかく、全員がそろうということがこんなにも幸せな気分にさせるものなのか、ということを感じる一日だった。
教員としてささやかな喜びである。

それとともに、全員がそろうという「普通」のことに感謝したい。

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「文化」を考える

北海道の先生のブログで野中先生の学級の様子が詳しく紹介されていた。
自分がブログをやるきっかけは、野中先生と『学び合い』だ。前述のブログを拝読して、どちらも「文化」という言葉に置き換えてみることができるかもしれないと感じた。

野中先生の提唱されておられることはまさに「日常」を扱ったものであり、だからこそ我々のような経験の浅い教員にとって貴重な提言であると思う。

当たり前のことを当たり前のように続けていくことがどれだけ難しいことか・・・。

例えば朝の会がそう。

職員朝会が延びることもあれば、保護者や業者との急な連絡が入ることもある、子ども同士のトラブルもある、そんな「日常」において、「当たり前」を通していくことは至難の業だ。

であるからこそ、野中先生のおっしゃっていることは、教室に「文化」を創り上げることなのだと思う。また、『学び合い』も技術や方法論ではなく、同じく教室に「文化」としての『学び合い』を創り上げていくことなのだ。

似て非なることのようで、相通ずるもの、それが野中先生の主張と『学び合い』のような気がする。そして、その2つが自分の中に根付いている。

自分にとって両者はかけがえのないものである。教員としての自分の土台になっているとも思う。

今年で30歳になる。
土台の上にどんな自分を築いていけるか・・・。

土台だけはしっかりした考え方を授かっているだけに、これからは自分次第だ。

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「反省」は必要か?

職員会で今年度の「反省」が続いている。
このことについて、自分は正直なところ「?」である。

なぜか?

効率がよくない、それだけの理由。(説得力に欠けるが)

     ◆

学校現場では年度初めに「学校運営計画」を審議する。
各学期ごとに、各係の「反省」が出る。
年度末に再び、各係の「反省」が出る。
3月の春休み中(新年度準備中)に、「学校運営計画」を作る。

という一連のサイクルで活動していると思われる。

     ◆

各学期ごとの「反省」は、直後の学期で行動を具現化するためにはまだ必要だと思うのだが、年度末に「反省」をしても、新年度には職員集団が新しく組織される。そして、その新年度には「反省」が生かされず(忘れ去られて)、毎年同じ「反省」が出てくる・・・。そんな最悪なことさえ起きうる。

じゃあ何のための職員会であり、「反省」なのか?

だから自分は「?」と考えてしまう。

     ◆

確かに反省をすることは大事だと思う。
だったら、年度末に新年度の学校運営計画を作って、その年度末に審議すればいいではないかと考える。そうすれば必然と反省を生かした運営計画が作られるはずだと思う。

そして4月になったら、再度運営計画を審議すればいいじゃないか。職員がかわって、新しい視点から考えられて、よりよくなっていくんじゃないか。
また、3月の新年度準備に、もっと内容のある仕事ができるようになるんじゃないか。こうも考えられる。

     ◆

要するに、「反省」があくまで過去を振り返る「反省」であって、未来につながっていっていないんだな。

こういう点こそ、企業の運営方法を取り入れてみたいなぁ。

実は、「反省」をすごく重視していて、自分の考えのほうが異端だったりするかもしれない。

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新しい国語のドリル

一昨日から国語の授業はじめのドリルを変えた。これまでは杉渕先生@東京の実践を真似て、「○か」の応用編でやってきた。

例えば、「○か」なら
①海の生き物です。
②足が10本です。
  →→→答え:イカ

ここから「○ん」などを経て、言葉のヒントなし(ジェスチャーのみ)の「○る」や「○う」をやってきた。

そして一昨日からニューバージョン。

①漢字です。
②六画です。
③お日様が十個で、この字になります。
④「そう」とも読みます。
⑤似ている字は「くさ」です。

分かる子は分かる。ただ、求めているのはそれではない。
目標は「全員が答えをわかること」。(『学び合い』の考えです)
要するに、正答が分かった子は、何らかの形で「全員が」わかるように活動しなければならない。

幸い、質問タイムがある。そこで子どもたちがどうしたか・・・。

・(教室に掲示してある)1年生の漢字表では、どんな字の近くにありますか?
・「草」の字の中にかくれていますか?
・その漢字には送り仮名がつきますか?
    (訓読みしか学習していないため)
・他の漢字では何に似ていますか?
・1年生の漢字表で、その漢字の隣にある字は何ですか?
・その漢字は、漢字表では右から何番目にありますか?

などなどの質問が出された。もちろん、正答を知っている子どもたちから出された質問だった。



これまでに漢字を多く覚えた1年生。
さらに力をつけてほしいと願っての新しいドリル。

「早く」子どもたちに問題をつくらせようと思う。
きっと面白いヒントを見つけることだろう。

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劇に効果音を

来週の日曜日、地域のイベントに子どもたちが出演する。
「子どもたち」を主役にするイベントだけに、学校での準備も『学び合い』の考え方でできる限り進めている。

演目は「くじらぐも」。これを劇にしている。

3学期に転入生を迎えて最初のクラスのまとまりを、そして3学期終わりに転出する子との最後の思い出として、このイベントを位置づけてきた。

       ◆

この劇に効果音を入れようと思って、昨日から(正確にはもっと前から)ネットを検索して、フリー効果音をダウンロードして、CDに落としてからMDに入れ直して、台本にトラックナンバーを書き入れて・・・、という作業に没頭している。

「くじらぐも」だけに学校のチャイムや突風の音が必要になってくるのだけれども、チャイム1つとっても、いろんな音があって面白い。

「chime3.mid」をダウンロード(うまく音が鳴るかな?)


それにしても、こういう効果音を、わざわざCDを購入せずとも手に入れることができるのがありがたい。特に、近くに大規模CDショップなどの店がない地域に住んでいる自分のような者にとって。

そして、こういうサイトを運営している人(効果音を作成している人)がすごいと思える。

ただただ、感謝です。

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一言

学校は何かと集金することが多い。
現任校は金融機関引き落としは給食費のみ。
その他は現金集金(手集金)。

それが当たり前なので、その他の雑多な集金も現金で集める。

今も現金集金期間で、持ってきた子から続々と手渡しに来る。
昨日は朝のうちに出し忘れた子が1名。

Aくん「先生、おかね。」
すみもん「今、『先生、おっかねー。』って言いましたか?」
  (周囲にニヤニヤ笑う子多し。実際、間違いではないけど…)
Aくん「ううん。『おかね。』って言った。」
すみもん「じゃあ、『おかねです。』とか『おかねお願いします。』
      と一言付け加えようよ。」

などと、わけのわからないやりとりを交わす。

Aくんが3学期からの転入生だけに、気を遣っているのかもしれない。(お互いに)

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雪遊び

昨日は朝起きたら10㎝弱の積雪。
早速6時前から雪かき。

      ◆

学校では2時間目の体育を雪遊びに変更。
子どもたちは「イエーイ!」と喜んだ。

が、、、

半分の子どもたちは、
「先生、教室に入ります。」
と、雪遊びもそこそこに室内へ。
(とある理由から、教室に入ることも可、としている)

もったいないなぁ・・・。

      ◆

女子で残ったのは、たったの3人。
でも、この3人の雪遊びが面白かった。

まずは小さなかまくらをつくる。

A「先生ー、見てー、かまくらつくったー。」
B「道もつくったんだよー。」
C「ねえねえ、悪い妖精しか行けない町と、いい妖精しか
  行けない町作ろうよ。」
B「じゃあさ、悪い妖精の町はさぁ、1年に1回いい妖精がさぁ…」
C「…いい妖精が行ける?」
B「うん。」

      ◆

A「ねえ木を植えようよ。」
B(一緒に木を植える←枝を雪に差す)
B「木に雪をかけようよ。」
A「そうか、冬みたいになるね。」(樹氷のイメージ?)
C「私、悪い妖精といい妖精の町つくってるね。」

      ◆

A、BがCに合流。
A「織姫と彦星みたいだね。」
B「あぁ、1年に1回だけっていうのが七夕みたいだね。」
C「じゃあ10年に1回にしようか。」

      ◆

A、B、C「できたっっ!!!!!!」
すみもん「ここが何?」
A、B、C「いい妖精の町。」
すみもん「悪い妖精の町は?」
A、B、C「こっち。」
すみもん「かなり狭いね。」
すみもん「で、どこで1年に1回会うの?」
A、B、C「あっち。」
すみもん「あぁ、会う場所はまた別にあるんだね。」

      ◆

以上、メモをもとに会話を再現。
惜しむらくはビデオやICレコーダーが手元になかったこと。

それだけ「おもしろいなぁ。」と唸ってしまうような子どもたちの姿だった。こうやって自分たちでお話をふくらませて遊べるってすごいなぁ。

ちなみに女子からはるか離れて、
男子は雪玉でハンドベース(野球)をやっていた。

当然、打てばボールは破裂する。
でも真剣にやっている男子達。

真剣さゆえに、大爆笑。
許せ、男子。

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「おねだり」

学級通信「ぼちぼちいこか」より転載

一昨日の国語(光村図書:「ものの名まえ」教科書46~49ページ)で、
「たずねている文を2つ見つけよう」という課題を出した。
すると最初の見開きのページから

 「この おみせは なにやさんでしょう。」
 「『さかなを ください。』」

という2つの意見が出た。

後者に対しては
「えっ?!」
という声が自然と出てきて、全員に考えさえた。

いろいろと進めていく中で「たずねる」というのは「聞く」ことであり、
「~いいですか。」と言ったりすることである、
と子どもたちから出てきた。

2つの意見のうち、前者はたずねている文であることを理解した。
対して「『さかなを ください。』」はどんな表現だろうか、
なんと子どもたちに言うとわかりやすいだろうか、
と一人、授業をしながら頭を回転させていると、

「おねだりしている!」

と叫んだ。

そうか、「おねだり」か!と自分も納得。
自分では「お願い」かなぁと、考えをたどりつかせたが、
「おねだり」という表現の方が1年生にわかりやすい。

「先生は『お願い』かなぁと思ったけど、『おねだり』のほうが
わかりやすいかもしれないね。」

と子どもたちに伝えた。


こうやって子どもの意見から、正誤を考えたり、子どもらしい表現が出てくる授業は大すきだ。

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あさがおの種を数えよう③

「あさがおの種を数えよう」という学習活動は、生活科とリンクさせて行おうと考えてきたもので、本当は旧年のうちにやろうと思っていた。

ところが、3学期から転入生があるということを知った時点で、いろいろな学習予定を変更して延ばしてきた。

結果的には、全員がそろって学習することができ、転入生の学習進度がずいぶん違っていたので、良かったと思う。

          *

ちなみに、あさがおの種は早い子で10月に取り終えて、遅い子では11月が終わろうとしていてもまだ取れる、というバラバラな状況だった。

そこで、下の写真のような入れ物を折らせて、子どもたちがいつでも“収穫”できるようにした。朝や、休み時間、あるいは給食後の時間に
「○○くんの種、とれそうだよぅ。」
などと友だちのも気遣って声をかける姿が見られた。

070928






          *

さて、「あさがおの種を数えよう」の活動はいったん休止。
次に、教科書に沿って「大きなかず」の学習を進めていく。

そして、単元の終わりに再びあさがおの種を数えさせる予定。

きっと、10のまとまりや100のまとまりを使って数える子が増えるのではないかと思う。その時に学習カードを書かせて、今回、なかなか数えられずに終えてしまった学習カードを配ることで、子どもたちに学習を振り返らせたい。

どんな反応をするだろう。

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あさがおの種を数えよう②

<B男の場合>

公文に通っているB男。
大きなかずにも慣れているようで、どんどん数えていく。

「147、148、149、150!」
と150まで1つずつ数え入れたところで、フィルムケースを閉じた。

次に、新しいフィルムケースに、
「1、2、3、4、・・・・・・」
とまた1つずつ数えて、再び150個入ったケースを作った。

こうして150個入りが2つ、100個入りが1つ、4粒が残って、
「先生、404個あったぁ!」
と感激した様子で報告してくれた。

すみもん「どうして404個だとわかったの?」
B男「だって、150が2つで300でしょ。それに100で400。で、4個余っているから404個!」

この子はクラスで唯一“まとまり”に意識が向いた。

<C子の場合>

学習・生活面でいつもクラスを引っ張る立場にまわるC子。
しかしあさがおの種を数えるのには苦労していた。

数え方は1つずつ数えてケースに入れていく方法。

上記のB男が自分のを数え終わって、‘ウロウロ’しているのを目ざとく見つけると、
C子「Bくん、終わったの?」
B男「うん、終わったよ。」
C子「じゃあ、私が数えるの手伝って。」
と自分からお願いしていた。

いつもは人に教える立場であるのに、今回は教わる立場になった。ただ、考え方を少し変えると、このように困ったときには「教えて」「手伝って」と柔軟に対応できるからこそ、いろいろなことを吸収・学習することが可能なのかもしれない、と感じた。

(つづく)

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あさがおの種を数えよう①

昨日の算数、「あさがおの種を数えよう」は面白かった。
子どもたちが育てたあさがおから取れた沢山の種。
それを算数の単元「大きなかず」にあわせて数えさせることにした。

教室には大量のカメラのフィルムケース、
それに給食で出されたゼリーの空容器も大量に準備した。

すみもん「どちらでも、好きな数だけ使っていいから」

そして“全員が種を数えて、学習カードを書く”との目標を伝えて、
活動スタート。

<A子の場合>

1つのフィルムケースに、
「1、2、3、4、・・・・・」
と1つずつ種を数え入れていく。

100までは全員が数えられるようになっているので、
A子も100までは余裕。

しかし、
A子「先生、119の次って何だっけ?」
すみもん「19の次って何だっけ?」

A子「129の次って何だっけ?」
すみもん「周りに数え続けている人がいるんじゃない?」

などと頻繁に尋ねてくることがあった。

(つづく)

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継続すること

3学期も2日目。そんな昨日、算数のおさらいをした。
2学期末に、くり下がりのある引き算36問のプリントをほぼ毎日やらせた。ただやらせてもなぁ…って何をしても感じるので、今回は記録して、グラフを作ることにした。

①くり下がり36問を解くのに何分かかるか計測する
  (途中5分で区切って、何問目まで進んだか確認する)
  (最長10分で終わり)
②担任が答え合わせをする
③グラフ表に「かかった時間」「間違えた数」を記録する

の3段階。

②の答え合わせが大変そうな感じがするけれども、大して時間はかからなかった。それよりも担任が毎回答え合わせをして、それを10数回まとめることで、個の変容をとらえたり、間違えやすい計算はどれなのかを把握することができた。また、保護者の方にそれを伝えることもできた。もっとも、子どもに答え合わせをさせれば、それも1つの学習になるという良さはある。それも捨てきれないんだな、ホントは。

さて、昨日のおさらいでグラフ表がいっぱいになった。
全員分スキャナでデータ化して、本日返却する予定。

参考までに1つアップ。
Photo





ちなみに、この児童、家で計算練習をするようになった。
計算に苦手意識を持っていて、なかなか全問正解を果たすことができずにいるけれども、「早く計算できるようになりたい」という強い願いを抱いて努力している。それが折れ線グラフ(かかった時間)にはっきり成果として表れている。

こういう子どもの姿や頑張りを見ると、頭が下がります。

このグラフをやってみてよかったと思うこと。それは…、

1)子どもたちへの動機付け
   自分のがんばりが1年生でも理解できる。
   ゆえに、「今日の目標は…」という声も自然と出る。

2)「やればできる」という意識
   継続することで成果が出ることが実感できる

3)継続の重要性を知る
   連休や長期休業の後は下がる、ことを視覚的に理解する。
   2)とも関連して、継続することの意味を知る。

4)子ども理解の一助
   毎回同じような数値の子がいる。
   集中力がありそう、と自分は見ている。
   上がったり下がったりする子もいる。
   ムラはあるが、「ここぞ」の力を発揮する、と自分は見ている。

まだまだ良さはあるけれども、これは初期段階。今後、このような学習活動を子どもたちの委ねたいと思っている。

3学期は、足し算・引き算が混じった問題を考えている。

もちろん授業の最初のドリルとして5~10分間のみを使う。

この中でも『学び合い』の考えを取り入れたら、どう変わるのか楽しみだ。

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インフルエンザ

昨日は3学期始業式。

転入生を迎えたり、学校を心待ちにした子と話したり、学期始めに相応しく忙しい1日になった。

普通、お年玉の額や家族旅行先を聞いたりして驚くことが多い、この休み明け。ところが今年は全く別のことに仰天してしまった。

休み中も含めてインフルエンザにかかった子が、なんと9人!

2学期の終業式の日に、全校で最初の患者が出た。(もちろん我がクラス)そして、同じ日にインフルエンザかどうか不明だが風邪で欠席の子が1名。また、発熱による早退者が1名という状態で休業に入った。

そうとは言え、まさか9人もインフルエンザにかかるとは思ってもみなかった。もしこれが休業中じゃなかったら・・・?

ウチのクラスは18名(含む転入生)。ちょうど半分がインフルエンザにかかることになるから、おそらく短縮日課になったか、最悪、学級閉鎖になったことだろう。

看病の労苦には失礼だけれど、冬休みサマサマだった。

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2学期終了

昨日で長かった2学期も終了。
今日は日直当番のため学校へ。

3学期の準備をいろいろとやっておくためにも、
今日の日直当番は好都合。

○授業実践事例の作成
○授業用ノートの発注
○人権教育実践報告
○音読カード作成
○書き初め展準備
○賞状印刷
○転入生に関わる諸々の準備
・・・などなど

書き出してみると色々とあるもんだ。

ブログは備忘録として使えるな。

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ネットと包丁の共通性

今日は職員講話。(校長講話ならぬ職員講話が本校にはある)
担当は自分。

かねてから教頭から情報教育に関わる指導が必要だと言われていたので、係主任である自分が講話と情報モラル教育を兼ねて受け持つことになった。

拙いながらも、備忘録として残しておこうと思う。

<流れ>
1)ドラゴンボールの“ベジータ”の画像紹介
2)“ベジータ”と自分の似ているところは?
   (「共通」という語の意味を確認する)
   (ちなみに、富士額(びたい)というのが共通している)
3)“ベジータ”の画像をネットで検索したところから、
 ネットの便利さを知る。
  ①好きなお笑い芸人を検索する。(小嶋よしお)
  ②自分がよく見るブログを見せる。(友人のブログ)
  ③仕事関係で見るブログは、どこの都道府県か。
   色を塗った白地図を見てその多様性を知る。
4)包丁を見せる。ネットと包丁の共通性とは?
  ①包丁は料理に欠かせない。→便利な道具
  ②包丁は凶器にもなる。→危険な道具
5)恣意的に作成したブログを見せる。
 (悪質なコメントが寄せられているブログを作っておいた)
6)2004年に起きた、長崎・佐世保小6殺害事件の概要を話す。
  ①小学生が起こした事件であること
  ②犯行を決意させる一因となったのが、HPへの書き込み
   であったこと
7)ネットとどう付き合うのか考える
  ①危険なものにもなりえるネットとどのように付き合うか
    →使わない
    →親と一緒に使う
  ②ケガをしたら親に処置してもらうのと同様に、
   ネットでイヤな思いをしたら、必ず大人に相談すること
8)ケータイもネットにつなげられる道具であることの確認

こうして記録してみると、盛り沢山すぎたなぁと反省。(15分間が講話の時間だった。)

ただ、子どもたちがベジータや小島よしおで盛り上がった場面から、ネットの危険性を知るところ(特にブログへのコメントを読み上げた場面)では引きつった(ように見えた)表情で話を聞いてくれるようになり、それなりに内容の深刻さは受け止めてもらえたかもしれない。

そもそもネットと包丁を比較することがどうなのか、という議論はあるだろう。

自分にとって、両者は同じくらい便利であり、凶器にもなりえる危険な道具である。要はその使い方であって、使い慣れていない人はやはり大人と一緒に使っていくことが大事だろうし、万が一事が起きたら必ず大人に処置してもらうという点も似ていると思い、講話で取り上げることにした。

年末年始休みの間に、そして、休みが終わってからも、ネットいじめが起きないことを祈りたい。

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係活動

2学期も残り3日となった昨日。
3連休明け、しかもX'masということで、朝から盛り上がっていた。

そんな中、2学期から始めた係活動の成長が見られる場面があった。その係の児童の成長の2学期であったようにも思う。

1学期、なにかと指導されることもあったAくん。
2学期の係決めで保健係となった。

主な仕事は朝の健康観察カードを廊下に掲示すること。
体重測定などのときに整列させて保健室へ先導すること。
冬期間、休み時間に換気をすること、などだった。

それが昨日、

「お話ししてもいいですか。」
 (ウチのクラスのお約束フレーズ。
  何か言いたいときに「しゃべるよ~。」という合図)
「みんな、うがいをしてください。」

と呼びかけをした。

場面としては清掃終了後で、窓を開けていたのですっかり湿度が下がってしまっていたときだった。教室にある湿温計(?)で湿度が“風邪注意”の黄色ゾーンになっているのにAくんが気づいたか、誰か他の人が気づいてAくんに教えたか定かではないが、そんなことはどうでもいい。Aくんが「呼びかけた」という事実そのものが自分にとって重大だった。

惜しむらくは、そのときに声をかけてあげられなかったこと。

全校一斉大そうじの後だったので、清掃主任である立場上、せかせかと動き回っていた。それでも「その場」をおさえて「認める」べき一瞬だった。

明日の学級通信に載せて、朝の会で忘れずに全体に広めよう。
これは絶対に忘れちゃならん。

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子どものやる気

先週の金曜日に行われた漢字テストで3点だった子が、
昨日、漢字の練習ノートを学校に持ってきていた。

本人も考えるところがあったんだろう。

「お兄ちゃんがやっているから」(小5:筆ペンで漢字練習)との
理由で縦8マス×横6マスのオーソドックスな練習ノートを
自分から買ってもらうようにお願いしたらしい。

なぜ持ってきていたことがわかったか。

休み時間に漢字練習をしていたからである。

とてもとてもうれしい出来事だった。
お家の人がどう受け止めたか知りたい。

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1週間無事終了!

今日はのんびりブログ更新。
昨日で保護者懇談会も終了し、これから年末に向けてスパート。

また、昨日は漢字テストも行った。やや停滞気味の結果。
こちらは明日あたりアップする予定。

今日は本当にゆっくりできた。

昨夜から今朝にかけて9時間も寝て、
昼間は新聞を読むのに時間をかけて、
朝食後は雪が降る中家族総出で散歩して、
おいなりさんを作って食べて、
やっぱり家族全員で昼寝して(2時間半)、
今に至る。

来週も仕事ががんばれそう。

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読解力ってなんだろう?

今年もPISAの結果が出た。読解力やら数学的リテラシーやら、
前回同様に低下傾向にあるという。

教育現場では「言語力の向上」という方向に進みつつある。
なんだか頭が混乱しそうだ。

新聞に載っていた例題を見てみたけれども、
読解力をはかる問題では、文学的作品を読む日本の国語の勉強では解けない問題だった。記事にもそのように書かれていた。
本を沢山読めばいいというよりも、新聞を毎日読む方が大事なのではないかと思った。

読解力と言えば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、

今日、子どもたちに文章題を出した。

「チャボが小屋の中に4羽います。小屋の外に7羽います。
ぜんぶで何羽ですか。」

この問題はできた。ところが、

「チャボが小屋の中に5羽います。小屋の外に8羽います。
3人でつかまえて小屋に入れました。
チャボは全部で何羽ですか?」

になると、素直に5+8は出てこない。
8-3とか、13-3とかになってしまう。

つまり、

子どもは文意を読み取っているのではなく、
問題に出てくる数字を並べ替えているだけなのだ。

これって、読解力を要するんじゃないか?って、ふと考えた。

また、話は変わって、
子どもたちの話すことは、すごく貧弱だなぁと思うこともある。

例えば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、

給食中に「先生お腹痛い。」と言う子がいる。
でも、「お腹が痛いので、(給食を)減らしてください。」とか、
「お腹が痛いので、残したいです。」など、自分の意思を伝えることを言う子はほとんどいない。
自分は意地悪なので、
「お腹が痛いのはわかった。で、どうしたいの?」
と聞き返す。すると、答えられる子はまだいいほうで、大半は答えられなくなってしまう。こうなると、“なんてイヤな奴だ”と思われる自分がいる。

日本語って、いや、日本人って昔から相手の思いを慮る習慣があるから、「お腹が痛い」と言われれば配慮するのが普通なのかもしれない。
でも「お腹が痛い」はあくまでも報告であって、自分の考えはどこにあるんだ!と問い返したくなる。こんな自分が自分で嫌いになるときもあるけど・・・。

読解力を伸ばしたいなら、まずは自分の話すことから鍛えていかないといけないんじゃないか?それができなければ、文章や設問の意図することなんか理解できるはずないじゃん。

自分の気持ちを語れない者が、相手の想いを語れるはずがない。

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ツリー作り

毎年恒例、ではないが2年に一度ぐらいは必ず行っている、
松ぼっくりツリー作り。

今年もやってみた。

この前やったのは2年前の中学2年生が相手だったなぁ。
学年の足並みをそろえず、勝手にやってしまい、
主任から「2組だけずるいなぁ」と言われてしまったが・・・。

今年は単級、しかも小1。
生活科という教科内でも身近な材料を使って、
堂々と制作活動をすることができる。

というわけで、松ぼっくりとヨーグルトのカップを接着した画像。

071204_4_3

今年は一手間かける時間があったので、
カップに色を施した。
本当は松ぼっくりもゴールドにしたかった。

ここからボンドと楊枝でビーズをつけていく。
細かい作業なので真剣にやっていた。
そんなに黙らなくてもいいのに…、と思ったが、
満足そうな表情が担任としてうれしかった。

あまった松ぼっくりやカップがあり、
「学校でお世話になっている人にあげたいけれど。」
という話をしたら、6年生にプレゼントすることになった。
手紙や折り紙、絵手紙や絵も添えたいという要望があった。

生活科らしく人との関わりが生まれそうだ。

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体調管理

昨日の夕方、“休日”と題した記事を投稿した後、
16時30分頃就寝。

どうにもこうにも気持ちが悪くて、横になったら寝てしまった。

17時15分起床。そして夕飯。んでもって17時40分就寝。

そうしたら朝の3時までグッスリ。汗びっしょり。
しかも、仕事の夢で起こされるという始末。
さらには、子ども(クラスの子)の名前を寝言で叫んでしまう。

先週の職員旅行の疲れが出たのか、それとも日頃の疲れか。
疲れるほど仕事をしていない気もするのだけれど、
知らず知らずのうちに蓄積しているんだろうな。

自分の場合はとにかく寝ないと身体がもたない。
趣味「昼寝」と豪語しているけど、
休日の日は少なくとも2時間は昼寝しないと平日に影響が出る。
そういえば最近、昼寝してなかった。

家族にしてみたら、ゴロゴロしてばかりの父ちゃんだから、
すんごい迷惑だと思うけど。

長男なんて、
「お父さん、起きて歯を磨いてから寝ないとダメだよ。」
と枕元で諭してくる。

すんません、それどころじゃなかったんですぅ。

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古畑型出題

かつて池田修先生のブログに載っていたコナン型と古畑型。
初耳だと「なんのこっちゃいな。」的な命名だけれど、
一読したら「すげえ、そういうことか。」と納得する内容。

昨日はそれを試してみた。国語ではなく、算数で。

「1,3,5,8のうち、<1☆-□=4>の□に入るのはどれ?」
という問題を、

「<1☆-□=4の、□に入るのは1,3,5,8のうち、8です。
 なぜ8が正解なのか、全員が説明できるようにしなさい。」
という問題に変えた。
(途中、「なぜ1,3,5は駄目なのか説明しなさい。」と変えた。)

答えがわかっている古畑型に、『学び合い』の肝である“全員が”という要素を取り入れて活動させたのである。

元々の問題のままやっても、説明式の授業にはなるだろうけど、
それでは解である「8」だけわかれば万事OKな雰囲気になる。

しかも、「なぜ?」という習慣がなく、友だちの答えだけを写して済ませている子もチラホラ出てきている現状に、くさびを打ちたいという思惑もあった。

古畑型にすることで、「なぜ?」が生まれる。
その「なぜ?」を追究していくことで、これまでの解を見つける問題とは別の力をつけられるのではないか、また、友だちと関わり合う姿も生まれるのではないかと思う。(これ、奇しくも、そっくりそのまま総合的な学習の時間の理念に近いと思う。)

実際にやってみて、子どもたちは四苦八苦していた。
しかし、これまでの学習を生かせばできる。

ちなみに、今日の授業では
「え~、わかんない。」
「あっ、わかったかも?!」
「えっ、どうして?」
という声が聞こえてきた。
そうやって、ああだこうだやってる姿を見るのが楽しかった。

明日、子どもたちに考えを書かせてみる。
評価規準をしっかり決めておかねばならなかったか・・・。
それが心残りだ。明日の記述前にちゃんと伝えておこう。

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会社活動

野中信行さんの『新卒教師時代を生き抜く心得術60』(明治図書)
にあった「会社活動」というのが動き始めた。

これまで学級の柱として、9月から日直当番活動を取り入れて、
10月から一人一役の係活動を始めた。
そして11月に入ったところで会社活動を提案した。

 ○3人以上で会社を「設立」できること
 ○クラスが楽しくなる活動を考えられるものであること
 ○一人で会社を「かけもち」してもいいこと
 ○途中で会社を「辞めて」もいいこと

を確認した。
若干、野中先生の実践と異なる部分もあるが、
「楽しくなる活動を考えられる」ことを強調して話した。

これまでの日直や係は「やらなくてはいけないこと」だったが、
会社はやらなくてもいい。でも、あるとみんなが楽しくなる、
そんな活動にしたいんだよ、と話した。

会社活動が果たして低学年の子どもにできるかどうか。

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勤務校では毎週1回、朝の時間に外遊びの時間があり、
○○○○タイムと呼んでいる。昨日もそうだった。

月曜日の放課後に
「○○○○会社の人たちぃ~、明日は何するぅ~?」
とだけ促して下校。

昨日の朝、教室に行くと、
「先生ぇ、今日の○○○○タイムねえ、やること決まってきた。」
と早速教えてくれた。
どうやら“凍り鬼”にするか、“手つなぎ鬼”になりそうとのこと。
「決まったら知らせて、全員でやろうね。」
と伝えて自分は朝の事務仕事。

校庭へ出ると、やってるやってる“凍り鬼”。
しかも、
「教頭先生もやろうよ。」
と声をかけて、教頭も一緒に走り回った。

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ということで、記念すべき会社活動第1回。
大成功をおさめたのでした。

これを皮切りにいろいろな「楽しい」会社が生まれるといいな。

昨日は下校時に忙しくて会社活動の振り返りができなかったから、
今朝の学活で話して、それとなく刺激してみようと思う。

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青年の集い

今日はN市で青年の集いがある。
この秋イチバンの冷え込みで、車のフロントガラスも凍り付いた。

朝イチで学校へ行って、簡単な事務仕事を済ませようと向かうと、
イチョウの葉がヒラヒラ、ハラハラと音をたてて舞っていた。

思わずデジカメを手に取り、一枚。

Pb170006  

 

 

 

寒さが厳しさを増すと、一気に葉を落とすのかな?
こんなふうに舞い落ちるのは、ちょっと幻想的でもある。

でも、落ち葉掃きはひと苦労だぞ。

では、N市へ行ってきます。

---追 記---

充実した集いになりました。

自分が選んだ分科会は教材に関するもの。
行く前は自分で選んだ会にかかわらず、どんなんだろう?
という半信半疑の思いだったけれども、
いろんな刺激を受けることができた。

今は『学び合い』に夢中になっているので、
教材云々というレベルでは無いのだけれど、
自分が知らないことを知るということ、
そして、同世代の同業者がそれをレポートしていること、
この2点がとても刺激だったのだ。

■■■■ちなみに■■■■

今日は家族総出でN市へ。
自分は「集い」の会場に降りて、家族は友人宅へ。
妻にとっては4年ぶりの再会となる友人。
息子たちも大満足で遊んだようだ。

N市にいったことも久しぶりだったし、
帰路は買い物も楽しんだ。
100円ショップに行けたことが収穫。
そして、ユ○クロも久しぶりだった。

おかげで帰宅が予定以上に遅れてしまったけれども。

いい一日だった。

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やることやっての全国トップ

今朝のNHKニュースで秋田県の教育事情を取り上げていた。
秋田県といえば、4月に行われた全国学力調査で、
都道府県別平均点が全国トップレベルだったところだ。

とりわけ小学校の国語・算数では基礎と活用どちらも
全国1位だった。

ニュースではその背景を探っていた。

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どの地域でも一定の学力を定着させるために、
県が問題をつくり、さらにその得点データをネットに入力することで、
子どもたちの定着度やつまずきがわかること。

教員の指導力を向上させるための取り組みとして、
専門チームを組んで授業改善にあたっていること。

家庭学習の定着をはかるために、“家庭学習ノート”を設けて、
教師がそれを添削して子どもに返していること。

などなどが放映されていた。

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細やかな策を講じているではないか!!
放映された内容が、秋田県でどのくらい一般的なのかは知らないけれども、
それだけ具体的な手立てがあるということはすごい。

我が県はどうか・・・。

「こまやかプラン」という取り組みをしてはいるが、
果たして、どれだけ現場に根付いているか?
「こまやかプラン」について自分がどれだけ説明できるか?

どちらも自信はないな。

全国学力調査に関する是々非々はあるにしても、
その結果を受けて、教育に関する全国の取り組みを知ることができるのは、
貴重だと思う。
どうしても自分の都道府県や政令市の流れしか知る術がないから。

秋田県のような取り組みで少しでも応用できるところは取り入れ、
自分の県の施策も少しは勉強し直さなくては。

ニュースを見て、朝から真面目に考えてしまった。

それにしても、秋田県の教員は変な重荷を背負ってしまったかもしれない。
特に現小学校5年の担任の先生は・・・。
プレッシャーを与えすぎないでくださいね、県教委や保護者の方々。

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『学び合い』がやはりいい

今日はソフトボールの飲み会。たった今、帰宅。
上は71歳、自分が最低齢。そりゃあ、日本酒や焼酎になるというものだ。当然、気持ちよく酔っぱらう。

さあ、酔いに任せて打ち続けよう。

ソフトの飲み会は楽しい。だって、年齢が全然違うもの。
出てくる話題はゴルフがほとんど。自分は打ちっ放しもやったことがないし、当然、コースすら出たことがない。周りは自分より一回り以上の方々。ゴルフに関する楽しい話題が沢山出てくる。でも、自分にクラブをくれるという人はいない。それが残念。

なんだかんだで楽しい飲み会は終わり、現実に戻る。

テレビを見ると、しっかり現実に戻る。

バレーボールに、殺人事件を扱うニュース。同い年の義姉妹が殺し合うニュースは実家が同じ郡内だけにショッキングだ。

ネットに目を向けると、N先生のブログの方が大いに気になる。

『学び合い』

自分にとって、今一番興味があるのは『学び合い』。これから算数は繰り下がりのある引き算が大きなテーマになるが、『学び合い』で進めれば大して問題にならずに進むだろうになぁと思う。けれども、結局のところ、N先生の言うとおり「バンジージャンプの飛ぶ前」の段階なんだよなぁ。

なんとかジャンプしてしまいたい。でも、引き算だけは自分の方で進めて、次に進むだろうなぁ。

もうちょっと広めていきたいよ、『学び合い』を。

なぜかわからないけど、確信だけはある。これからの時代、絶対に『学び合い』が注目を浴びる。

「個性」という言葉が跋扈する時代において、『学び合い』という授業形態は必要だ。絶対に必要だ。必要どころか、これが授業形態の核をなすとさえ思う。

なんとか自分のクラスでも『学び合い』を定着させてやる!!

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なんだかいい雰囲気

最近、子どもたちがやけになついてくる。
これまでが全くなついていなかったわけではないけれども、
なんか違う感じがする。

たとえば…

全員である用事を済ませて教室へもどったとき、
自分が遅れて到着すると、大勢で

「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

と驚かそうとする。
そのうち一人は清掃用具室から飛び出てきた。

授業時間中だったので、たしなめつつ、
「いいか、そういうときは静かに笑えることを試すんだ。」
などと、訳のわからない説教をする。

また、下校時に子どもたちが教室から出るときには、

「さぁ゙ーよぅ゙ーなぁ゙ーらぁ゙ー」

と、ものすごい声を出していくから、自分も負けじと

「さぁ゙ーよぅ゙ーなぁ゙ーらぁ゙ー」

と張り合う。

こんなことをしているからなんだろうか、今の雰囲気は。

まぁ、イヤな感じではないから、このままでいようっと。

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ソフトボール

“仕事”というカテゴリーではないんだけど、「仕事」のような気もするソフトボール。山間部の小さな地域だけに、ソフトボールのお誘いは断れず年輩の方々が大勢いるチームへ。

和気藹々と楽しくやっていいよなぁ、と感じながら、いつの間にかリフレッシュのためのソフトボールになっていた。

ところが・・・。

旧村地区で2位になり、今日は同町の交流戦へ。気温10℃を下る中でのソフトはキツイ。でもやっぱり和気藹々とやるウチのチームは楽しい。

さて、これで今年の全試合は終了。あとは納会(飲み会)を残すだけ。30歳以上も年の離れた方々と飲む機会は滅多にない。とても楽しみだ。

でも、日本酒になるのかな・・・?それは不安。

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センター研修

今日はセンター研修。初めての図工。

服装も
「汚れてもいい格好」≠「スーツ」
ということなので、普段より気軽に行ける。

唯一の気がかりといえば、子どもたちの様子だけれども、最近は学び合いを意識してきたから、その影響がどのように出るか(期待4分の3、不安4分の1)といった感じか。

研修後が楽しみだ。

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アザレア

Pa240024_2教室にアザレアが一鉢。これは2年前、
当時の学年で全クラス購入したもの。

あれから毎年毎年咲き続けている。

今年は新しい勤務校になり、水をやる係の子も代わり、環境が様々変化する中で咲いた。

いや、係の子が咲かせてくれた。

なんだか、うれしい。

こうして毎年違う子が関わって咲き続けてくれたらいいのになぁ。そうしたら毎年毎年、このアザレアにまつわる思い出話を聞かせてあげたい。

いつまで咲かせられるだろう・・・。

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○○的には…

一時期、

「○○的には…」

と、○○に自分の名前を入れる話し方をよく耳にしたけれども、今はどうなんだろう?

なんでこんなことをふと思ったかというと、子どもたちが自分のことを自分の名前で呼ぶことが増えてきたように感じるから。

今までも多かったのかもしれないし、年配の人たちは自分よりもずっと前から同じことを感じてきているのかもしれない。

ただ、あまりにも自分のことを

「○○ねぇ、…。」

と言っている子が多い気がしてならない。しかも男の子でさえも「○○ちゃんねぇ、…。」と「ちゃん」づけである。「ぼく」や「わたし」といった一人称が使えないというのは何か理由があるのか?

ある意味、マイブームになっている。

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「前途洋々」?いいえ、「前途多難」です。

今日は『学び合い』の活動から、子どもたちの姿について
触れようと思ったけれども、ひょんなことから次のページを発見。

正式採用前に辞める新採教員が増加

昨年度、身近な職場でも新採1年目の方が退職されるということがあったり、東京都では勤務開始後たった2ヶ月で女性が自らの命を絶つというニュースが報道されたりした。そして、上記のリンクページによる報告ときた。

仕事を始める前に夢をふくらませすぎた、というと新採の方々に辛辣かもしれないけれど、きっと大きな夢や希望(野望)を抱いて教壇に立たれたのだと思う。でも、現実で待ち受けていたのは夢や理想とはほど遠い教室や職場、そして保護者。ギャップが大きければ大きいほど、失望したり、心を病んだりするのかもしれない。

東京や大阪といった都市圏では今が採用ピーク。一方、わが○○県は、義務教育で昨年300名ほど採用していたのに、今年は半減して約150人。その貴重な150名の新採教員をこれからどう育てていくか。

自分はそんな生意気なことを言える年齢でも立場でもないけど、少なくとも、グチをこぼしあったり、職場でくだらないことで時間をつぶしたりしながら、ともに成長していければいいと思う。前任校がまさにそうだったように・・・。

最後にもう一つ。

辞められた数百人の新採教員の内訳として、「死亡」という理由が5件「も」あった。これはかなり大きな比率ではないか!愕然とした。

この現実を世の中の大勢の方にも知ってもらいたい。

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1年生だから・・・

職員会終了後、同僚に
「1時間目を15分ごとに3分割したいんですけど・・・」
と相談。

==========================

同僚「なんで?」

自分「朝の行事で時間が短いときに対応しやすくないですか?」

同僚「1時間目は、そういうものと割り切っているから。」

自分「それに、毎日そうすることで、教科書以外の教材を音読したり
    計算練習できたりしませんか?」

同僚「う~ん、その必要性は感じない。」

==========================

きっとベテランだから、上手にやりくりされているんだろうなぁ、
と思うとともに、自分が子どもたちに求めているレベルが
高すぎるのかなぁと自問自答。

「1年生だから・・・」

この続きなんだよなぁ。

自分は
「今のうちにたくさんの教材に触れさせ、音読させ、計算させ、
いろんなものを経験させたい。」
と考え、

同僚、あるいは保護者の方々は、
「勉強とかよりも、たくさん自然に触れて、教科書だけしっかり
マスターさせればいい。」
と考えているのかも・・・?

でも、高学年や中学になって
「学力」(「点数」というものに近い狭義の学力)の現実を突きつけられ、
手を打ったところで焼け石に水ではないのか?

諸先輩方はいろんな経験があるから、ドーンと構えていられるのか?

いずれにせよ、自分の経験不足が悔しい。
「いずれわかる」としても、今の子たちには「今」しかない。

ひとまず、大きな波を起こさずに静観しよう、悔しいけど。

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