« 110226_「練り上げ」と「切り返し」 | トップページ | 110227_再告知・川中島の会 »

110227_「練り上げ」とは

“子どもが友達の発言と関わる中で理解を深め、それを改めて授業空間の中に表出していくのが「練り上げ」である”

と提唱者の著書にあるらしい。(セミナーのレジュメにあったため、原典がわからない。よって、引用は引用であるが、あくまでも文責は本ブログ管理者にある)


また、主催された方がうまいこと仰っていたことだが、
小麦粉は練るとグルテンに変わる。これはただ混ぜているだけでは変化しない。あくまでも「練る」から変化するのであり、しかも、ただ「練る」のではなく、「上げ」るのである。
とのことだ。


合点がいく。すばらしい考え方だと思う。そして「自分なら」と前置きした上で考えたいことがある。


「練り上げ」のある授業をするための教師の役割は何か、を問いたいのだ。


昨日のセミナーでは、教師が子どもの発言を聞いて、受け止めて、さらに別の発問を投げかけたり切り返しをしたりして「練り上げ」ていくという前提での数時間だった。そこに「教師が~したりする」という考えは必要不可欠なのだろうか?「教師も~したりするし、子どもたち(児童生徒たち)こそが~したりする」という考えにはなれないのだろうか?


セミナーでは、丁寧にスモールステップを踏んで「教師が」授業を進める練習を行った。自分にはまどろっこしてく仕方がなかった。子どもたちに委ねれば、もっと効率よく「練り上げ」られるのに・・・、と思っていた。もちろん、効率だけを優先させてはいけないのだが、上位層の子どもたちにはやりがいは感じられるのだろうか?そして、理解に時間のかかる子どもたちは「わかった」としても、本当に「できる」ようになるのだろうか?(つづく)

|

« 110226_「練り上げ」と「切り返し」 | トップページ | 110227_再告知・川中島の会 »

仕事」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/479908/39025032

この記事へのトラックバック一覧です: 110227_「練り上げ」とは:

« 110226_「練り上げ」と「切り返し」 | トップページ | 110227_再告知・川中島の会 »