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110125_右側通行から他者意識を考える

昨日、学校で子どもたちの様子を見ていて、
「右側を通らねぇなあ。」
と、ふと心の中で言葉が漏れた。

自分が階段の右側を歩いて階上へ向かっていくと、子どもたちが自分とぶつかるかのように下りてくる。階段中央に手すりがあるし、中央側を通った方が早く上り下りできるからというのもわかる。

「が」「しかし」

である。


誰かが下から、あるいは上から来たら、お互いに気を配りたいじゃないかと思うのだ。これは子どもたちがけしからんと言っているわけではない。子どもたちにはそういう思考回路が育っていないだけなのかもしれない。だから、誰かがこの回路を創り上げてやらねばいけない。直接伝えるか、あるいは、学級や道徳の時間に「みんなが気持ちよく過ごすために必要なこと」として扱って気づかせるなど手立ては様々だと思うが、誰かがやらねばならぬことだと考える。


     ◆


そして、この問題にはもう一つ自分が考えるところがある。「他者意識」である。

今どき、日本人だから、とか言っている時代ではないのかもしれないが、気配りとは大切だと思う。森信三先生が「あいさつ・返事・整理整頓(「後始末」だったか?)」と説いているのも、自分なりの解釈からすればこの気配りである。誰に対して気を配るかと言ったら、自分以外の「他者全て」への気配りだと考える。

あいさつも返事も相手や自分の存在を認めているものであるし、呼応するものである。また、整理整頓は自分が助かるということ以上に、誰もが気持ちよく物や空間を使用するために必要なことと考える。

なんだか大仰な内容になってきたが、階段で下から来る相手に道を譲れないのは、唯我独尊状態に見えるのだ。前述しているように、「知らない」「考えられない」のかもしれないが、それこそまさに自分が王様状態を指しているようにすら思うのだ。



少なくとも、自分が学校で育てたい人間像とは違う。

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