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2009年10月

091030 忘己利他

以前、「忘己利他」(「もうこりた」と読むらしい)という言葉のある絵はがきをいただいた。そして、以下は昨日、子どもたちに話した言葉である。


「利益」はそれ自体に価値があるのではなくて、「利益」をどう使うかによって価値が生まれるのです。
<『リストラなしの年輪経営』(塚越寛 光文社)45ページより引用>


「利益」を「知識」や「成績」、もっと具体的に「テスト点」などに置き換えて考えさせたいと本を読んだときに思った言葉である。


「学力向上」と声高に叫ばれている昨今であり、それ「も」学校教育には欠かせないものであるけれど、そうして得た「学力」をどう生かすのか。他人のために、社会のためにそれを生かせる人を育てていきたい。そういう自戒も含めて話をした。


もっともっと自分が人間性を高めなくては。

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091028 ハーフマラソン

この間の日曜日、地元のハーフマラソン大会に出場した。昨年に続いて2年連続3回目の出場である。初出場は大学生の時。はじめにとばしすぎて、後半はダメダメだったことを今でも憶えている。


     ◆


昨今のマラソンブームがあってか、この大会の申込は締切前に定員に達してしまい、高校時代の友人達はエントリーすることができなかった。そのため、1人寂しく走らなくてはならず、心細さもあった。


スタートから8㎞あたりまでは順調そのもの。キロ5分10~20秒ペースというかなりのハイペース。10㎞の通過が52分ほどだったと記憶している。


中間地点を過ぎてオーバーペースがたたって、しだいに脚が重く感じられるようになった。そこからはもう自分との勝負。なんとか2時間は切りたいという想いが強く、頭の中で必死にペースを考え、
「このままなら大丈夫」
「あぁ、少し上げなきゃ」
と自分を鼓舞しながらのランニングとなった。


途中、脚が上がらず歩いてしまうことが多々あったが、なんとかゴール。1時間57分という記録だった。昨年よりも5~6分短縮し、初出場した大学生時代の記録も超えることができた。


今回は苦しかったが、これもまたいい勉強。もっともっと脚のスタミナをつけて、さらなる記録短縮を目指したいし、気持ちよくゴールできるようにもしたい。

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091027 10時間睡眠

今日は17時30分に帰宅した。昨日は17時05分だった。


     ◆


研究授業もひと段落し、学校のほうが落ち着いてきた。落ち着いてきたからこそ、授業そのものにもっと真摯に向き合っていかなくてはならない。


そうは言っても、学校にいる必然性はない。


長男がひらがなを書くことに興味を抱き、
「オレ、ひらがなを書く練習したい!」
と口癖のように言っている。まぁどこまで本気かわからないが、ちょっと付き合いたいと思い、早く帰宅しようと決心した。


     ◆


昨日は意気込んで帰宅したら、なんと夕飯の支度ができあがっていた。ありがたいことに、帰宅するやいなや家族揃っての夕ご飯。贅沢なことだ。


その理由はというと・・・、


長男が疲れていて、早く寝かしつけたいからとのこと。これはひらがなの練習をするどころではなく、<夕飯→入浴→歯磨き→絵本→寝かしつけ>というあわただしいスケジュールに。


結局、寝たのが19時30分過ぎ。自分まで一緒に夢の世界へと誘われ、今朝までグッスリ。久しぶりに10時間以上も眠ってしまった。おかげで今夜は仕事がしっかりできそうだ。

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091023 お父さんです

もうすぐ娘も生後5ヶ月を迎える。息子達の成長がどうだったか、あまり正確には覚えていないのだが、娘はかなり早い時期から笑うようになったと感じる。


そして、昨日。


娘の近くにあったティッシュを顔にかけて、それを娘が自分で取り除いた瞬間。
「あきゃきゅは△※□○・・・」
なぜか爆笑。そのままのぞき込んだら、
「はにゃひゅきゃ□▽◎チンプンカンプン・・・」
と再び爆笑。


いやぁおもしろい。


     ◆


最近は娘が目覚めたときに
「○~○さん」
と、挨拶をして、そのままオムツ替えをするのが日課となっている。


「お父さんですけど。」
と言いながら顔を見たり、おなかをさすったりしながらオムツを取りかえる。


なんとも贅沢な時間である。

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091023 大丈夫、成長している

息子達が通う保育園には「保育参加」というものがある。一言で説明するならば、“保護者が一日保育士になる仕組み”である。ウチのは昨日(木曜日)に参加してきた。


     ◆


わざわざ地元から義母が来てくれて、娘の子守りをしてくれた。そのおかげで、長男と次男が通う保育園で「一日保育士」ができたのだが、その日の夜の報告によれば、「次男は家にいる姿とまるっきり変わらなかった」とのことであった。


どういうことかと言えば、母親にくっついていた、のである。


「お母さんは誰とも遊ばないで」
「お母さん、食べさせて」


さすがにウチのもびっくりしたようで、正直がっかりもしていた。でも、それはそれで健全な反応ではないかとも思う。5ヶ月前に妹が生まれて、しばらくの間は妹に母親がとられていた。ようやくここへきて妹の成長も落ち着いてきて、自分もどうやって接すればいいかが理解できてきたのだから、「今度はオレにお母さんを返してくれ!」そう叫びたいのかもしれない。


     ◆


そして今日(金曜日)。保育園を休んで地元に戻り、兄の皮膚(アトピー)を診てもらうために次男と娘は実家でお留守番。


これも報告によると、義母が「おしっこしておいで」と言えば、一人でトイレに行ったらしい。そして、ふと次男が見あたらないと思えば、トイレで大を済ませていて、「ばぁばがおしりを拭こうか?」と言ったら「自分でやる」と全て独力でやり遂げたとのこと。


この違いって何???


妻は驚いたように報告してくれた。「やっぱり」というか「ほーらね」といった感じなのだが、お母さんに甘えているだけなんだなぁ。そして、甘えられる関係をしっかり守ってやりたいなぁと思うのである。


     ◆


ちなみに長男はと言うと・・・。


「一日保育」のときに、こっそり妻の近くにやってきて「給食はオレと一緒に食べて」と囁いたらしい。


我慢しつつも、ちゃーんと自分でアピールしているところが可愛らしい。

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091021 恩返しではなく恩送り

池田修先生の「恩送り」という言葉をかみしめる瞬間があった。


貸しがあるのだから、ごねることができるはずだ


「いいや違う。その「貸し」を忘れているわけではありません。むしろ鮮明に頭の中にこびりついているからこそ、そのとき受けた御恩を、次の世代のためになるようにと「恩送り」しているんです。」


帰りの車の中でずうっと頭の中で考えていた。


     ◆


確かに御恩はある。それは認める。けれども、その恩を与えてくれたのは別の人である。それをあたかも自分が苦労してなんとかしてやった、とでも言わんばかりの口調に腹が立った。


     ◆


私は教員である。教員であるからこそ、恩に報いることは必要であるが、その恩を後輩達のために送り続けたい。

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091021 「はい。」

「はい。」


なんとも簡単な言葉である。でも、これに心がこもっていれば、それはとても温かく、人を幸せにする言葉でもあるのだと今日感じた。


     ◆


仕事から帰宅して、家族と夕飯を食べ、再び外出した今夜。その外出から帰宅した後、手を洗っていたら長男が
「はい。」
とうがい薬と水が入ったコップを差し出してくれた。


親ばかであるが、その心遣いにいたく感動した。ありがとう。


     ◆


とある方のブログで嘗て見た言葉
「生産的連帯」
を思い出した。野口義宏先生の言葉である。


自分も子どもたちに生産的連帯を味わってもらえるような親にならなければならない。

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