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2009年2月

09読書019 五体不満足

『五体不満足 完全版』(乙武洋匡、講談社文庫)を読んでいる。教員採用試験の二次面接で、「読んだ本の中で・・・」というお約束な質問があったとき、この本と『アルジャーノンに花束を』を挙げた。どちらも教育的な観点から、今の自分にも通ずる教育観・教師観を与えてくれた本だと思っている。そして今回、本書を再読しているが、この手の本でありながら付箋紙をつけながらの進め方であるから、まだなお自分にインスピレーションをくれている一冊である。


真の厳しさとは、真の優しさである


この言葉を実体験から語っている著者。「底の浅いやさしさ」(by野口先生)と通じるものがある。果たして自分は愛のある厳しさで日々過ごしているか。くだらない親切心をさらけだしていないか、自戒しなければならない。

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090227 引継ぎ会

今日は青年部の引継ぎ会。思い起こせばはや一年前。次男が入院していたから、長男を連れて引継ぎ会に参加したのだった。もちろんその後の懇親会まで・・・。ほとんど食べず、飲まず、地元に帰るために一時間ほどの参加だった。


今夜はクラスPTAの懇親会もあるが、失礼ながらそちらは欠席させていただいて青年部の会へ。今年を振り返っていろいろと慰労したいと思う。そして、新たに4月からの仕事を引き受けていただいた方々に感謝の意を込めてお注ぎしたいと思う。


自分は自分で今度は県の仕事だ。

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09読書018 きよしこ

昨日の朝読書に向けてカバンから本を取り出そうとしたら「無い・・・」。そう、自宅に忘れてしまったのだ。仕方がないから職員室の机に入っていた『きよしこ』(重松清、新潮文庫)を取り出してきた。もう一冊は『武士道』だったが、ちょっと今はそんな気分ではない。


再読にはなるが、「いい本だったなぁ」という記憶が残る一冊。読み始めて、当時の記憶がよみがえってきた。


まだ全ては読んでいないが、重松作品はなんだかんだで読んでしまう。きっと今夜か明日には読み終えているんじゃないかな。こんなことしているから、仕事に追われるんだが。

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090225 保護者会の仕事

いよいよ引継ぎの時季である。昨年の今頃、なぜか保育園の副会長を仰せつかることになってしまった。まったくもって予想外である。


しかも4月からは組合の県役員も・・・。はっきり言って2009年度がコワイ。


そんな中、まずは副会長として最初で最後の大仕事、引継ぎ会の幹事である。来週末に開きたいという会長の意向のもと、それを知ったのが日曜日であるから、水曜日である今夜に店に予約を入れて、通知文書を作成して、出欠の取りまとめ表もできあがったのは割といいリズムできているだろう。


あとは当日までに園と保護者の方々、そして予約を入れてある店との連絡を密にしていくことだ。それらをしながら、通知票や要録の準備も・・・。先を見据えつつも、1つ1つの目の前のことに取り組んでいこう。

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09読書017 できる!と言われる人の習慣術

『できる!と言われる人の習慣術』(中島孝志、知的生きかた文庫)を読んだ。昨日ちょっとしたつもりで読み始めた一冊。あっという間に読んでしまった。


中島氏の本は何冊目だろう?いくつか読んでいるので、似たような仕事術が書かれているのだが、今回は様々な人の「言葉」「格言」が盛り込まれている一冊だった。自ずとそれらに付箋紙が貼られた。


文中でも使える情報でなければ、とっておいてもただのクズである。今回付箋紙を貼った珠玉の言葉たちも自分で使ってみなくては。

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090223 年休2時間

今日は保育園保護者会の役員会開催日。年休を2時間いただいていつもの会場へ。


      ◆


滞りなく終了後、長男を保育園に迎えに行き、一緒に帰宅。2時間の年休をいただいているから、そのまま子どもたちと遊べるぞー!っと意気込んでいたら、長男はすぐに友だちの家に・・・。結局5時30分まで外で遊んでいた子どもたち。とりあえず様子を見るために自分も外に出るが、これなら学校で仕事をしていた方がよかったかも、などと想いを巡らした。

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090222 再会

ひょんなところで懐かしい方にお会いした。自分が教育実習で入ったクラスで副担任をされていた方である。当然ながら(?)あちらは私の顔を覚えてはなかった。なにしろたった2週間、日数にすると8日間の実習だったのだ。


私は教育実習を3回行った。必修の実習を大学3年次に附属中学校で、次に小学校教諭免許取得のための実習を大学4年次の春、やはり附属の小学校で。そして、4年次の秋に母校の中学校でも行った。


     ◆


附属というのは毎年毎年大勢の実習が向かうため、児童生徒たちも慣れているところがある。ましてや都会の附属の子どもたち。いろんな子はいたが、やはり落ち着いたクラスの雰囲気と高い学力があった。


ひるがえって母校は地方の一公立校。部活指導に行けば、平気で野球のスパイクのかかとをつぶしているような連中である。(野球のスパイクのかかとをつぶすのは一朝一夕でできることではない!)女の子同士のケンカで一人の子に付き添って1時間話を聞いた。最終日には男同士のケンカで、一人がキレてガラスを割ってそのまま帰宅してしまった。


そんなこんなで、3回やった中では最近(とは言っても8年以上も前になるが)の実習ということもあり、母校実習が最も印象に残っている。


     ◆


今日の再会では一気に記憶がよみがえってきた。


     ◆


ちなみに母校実習では後日談が2つある。


1つは文化祭の合唱コンクールを見に行ったこと。これは生徒たちと約束していた。そしてもう一つは実習を終えて2~3年経ってからのことだ。


地元でコンビニに寄ったとき、
「○○先生じゃないですか!」
とレジの子に声をかけられた。実習最終日にガラスを割って帰ってしまった男の子だった。たかが8日間の実習で、しかも数年経っていたのに声をかけられたあのとき、なんともいえない感情をおぼえた。

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090221 サムライ

学校に「大字典」という分厚い本がある。昨日は「へその緒」の「緒」の意味を知りたくて、初めてその本に触れた。これがおもしろい。分厚いだけに情報が豊富。ただし、どれも旧字体で書かれているので読みづらいのが難点。


     ◆


無事、「緒」を調べ終わったとき、そういえばこの本で子どもたちの名前の字源を調べたらおもしろいかも・・・と、衝動的に意味調べ。


我が家の息子たちには「士」という字がついている。命名するときに名付け事典をじっくり読んで、画数も考えてつけた。ゆえに、長男、次男とも8・3というそれぞれの画数の名前になっている。この「3」が「士」である。


     ◆


「大字典」によると次のようであった。


含意。十と一の合字。四民の上にありて事を取る人をいふ。十と一を合するに諸説あり。

①数は一に始り十に終る。学者は博に由り約に返す。故に十を推して一に合す。之れ博く学び審に問ひ、慎んで思ひ、明に弁じ、篤く行い、惟以て其至るを求むる也。
②数の一と十を合すは数の始終の会して材智を示す。
③一と十を合すは、一を聞いて十を知る才能を有する人の義也と。


     ◆


忘れないようにブログに記しておこうと思っていたので、これでひと安心である。

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090220 ネットワーク

組合の用事が日曜日にある。そこで少し話をしなければならない。しかしながら、テーマがあまりにも漠然としているため、どんな話をしたらいいのかがよくわからない。そこで、実際に参加する人たちにメールを送って、自分のその「わからない」という気持ちを伝えた。


うれしいことに、送信してから24時間以内に4件もの返信があった。みんな自分より若いのにすごいなぁ。若い「から」すごいのかもしれないなぁ。


返信を拝読して、自分の想いを正直に伝えてよかったと思った。そして、ネットワークのありがたさを実感した。

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09読書016 「か弱き、純真な子ども」という神話

『「か弱き、純真な子ども」という神話』(和田秀樹、中公新書ラクレ)を読んだ。


自分の思考(嗜好?)の方向は、この本と一緒なんだよなぁと改めて実感。ものすごく現実的なのだと思う。でも、世の中には「子どもかわいそう論」が渦巻いている。野口義宏先生の言葉を借りれば「底の浅い愛がダメにしている」のかもしれない、とも感じている。


『学び合い』では、子どもたちの色々な姿をまざまざと「見せつけられる」が、やはりそれでいいのだとも感じた。





読書ノートにメモすることがたっぷりある。

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090218 未熟さ

とある資料に目を通す。


まだまだ自分のやっていることでは到底行き着くことのできない境地だと感じた。自分は小学校1年からの担任。0からのスタートではない、子どもたちが希望に満ちて入学してきたから大きなプラスからのスタートだっただろう。しかし、その資料に書かれていたことは、かなり大きなマイナスからのスタート。逆境を大きな前進につなげるのは、結果論からすれば美談となるのだろうが、その渦中にいた人々にしてみれば毎日が勝負だったのだろうと推察する。


精進しよう。


一言ではあるが、そう強く思った。

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09読書015 坂の上の雲

昨夜、『坂の上の雲 一』(司馬遼太郎、文春文庫)を読了した。長男が布団に入ってきて一緒に寝ようとしたがなかなか寝付けず、懐中電灯を持ち込んで読み切ってしまった。


さて、初めて読んだ司馬作品。最初はなかなかペースがつかめずまどろっこしい感じがあったけれども、読み切った今、早く続きを読みたいと思うようになった。好古、真之、そして子規の三人という設定もおもしろい。


ところで、今回この本を読み進めるにつれて、あらためて自分の教養が浅はかなものだと思い知らされた。明治以降の知識が乏しいことに加え、廃藩置県から版籍奉還などの用語を知ってはいてもその内実を知らない。知っていれば『坂の上の雲』がもっと楽しめるのだろうにと感じることが多々あった。自分の浅学さを知り、学び直しの一冊になった。

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09読書014 「教えて考えさせる授業」を創る

『「教えて考えさせる授業」を創る』(市川伸一、図書文化)を読んだ。


「読んだ」のは1週間ほど前だったか、ブログにアップするのを忘れていた。昨日の昼下がり、家族が校庭に遊びに行っているさなか、一人家にこもって読書記録をつけていたら、この本をアップしていないことに気づいた。仕事も遊びも何でもそうだが、「今すぐやる」ことを自分に厳しく命じていないと、必ず何かし損なっていることがあるものだ。改めて反省。


さてさて、「ゆとり教育」転換からくる教育界の揺り戻しは、きっとこの本書で書かれていることだろう。どういうことかというと、“教師が「きちんと」教えて、考えさせる”授業である。


正直なところ、この本に書かれているのは“ハウ・トゥー”であって、方法論である。なんのための方法論か?もちろん『「教えて考えさせる授業」を創る』ための方法論である。だからこそ、このタイトルと書かれている内容は整合性がとれていて、間違っていない。でも、今の自分には物足りない。


理由①
あくまでも教師側から書かれている点。子どもは変わってきている、という考え方は含まれていない。もちろん、筆者の考える子どもたちの学びの問題点も本書に含まれている(152-153頁)が、やはり子どもが能動的に取り組まなければ教師側が「教えた」としても「学び」には至らない。その点では、当たり前だが、集団づくりが先に論じられるべきである。


理由②
「教える」というのは、-略-要するに、「教師から情報を伝える」という比較的限定された意味で使っていることに注意してください。と本書に書かれている。(90頁)教師しかその情報を持ち得ていないのだろうか、という疑問がある。
『学び合い』のブログでどなたかが書かれていたが、やはり「教師」と「子どもたち」が情報を伝えることができる、という考え方ができないものだろうか。そしてそれ自体が理由①にも書いた集団づくりの一つのプロセスとして重要な要素にならないだろうかと思う。




     ◆



こんな偉そうなことを書いておきながらではあるが、以前、職員会でこの本が紹介されたとき、自分のクラスに時折入ってくださる同僚が、
「これって、先生のやってる授業と同じじゃんなぁ。」
と声をかけてくれた。


たしかに、完全なる『学び合い』からシフトを移しつつある今(ある方の言葉を借りれば「潜水艦生活」だな)、言われたようにこの「教えて考えさせる授業」なのかもしれない。


しかししかし、自分の考え方の根底には、「自分だけが教えられるわけではない」という理念のようなものがある。したがって、声をかけていただいたときは、正直うれしさよりも複雑な想いの方が大きかった。

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090215 ロングドライブ

2009年2月14日(土)


 6時00分 起床
        メールチェック・ブログなどPC処理
 7時40分 出発、車中で朝食
 8時20分 峠を越えたI市の皮膚科に到着。
 9時15分 長男診察。その間、ちょっぴり読書ができる。
 9時25分 地元S市に向かい出発。
10時30分 S市の眼科到着。妻一人下車。診察。
        息子たちを乗せてブラブラ。
10時45分 某コンビニにて長男をおろす。
        「一人で買い物できるか?」「できる!」
        千円札一枚渡して一人で買い物。
        10分ほどかかって買ってきたのが、オロナミンC。
        「カードも買いたかったけどお金がなかった・・・。」
        と涙目で言っていたので、再度500円玉を渡す。
        店員さんにいろいろ聞きながら何とかカード購入。
        直後、次男お目覚め。完全なる不機嫌モード。
        そうしたら、そこへ義父母(救いの神)到着。
        義母に長男次男を押しつけ再度店内へ。
        チョコ(長男・85円)、アメ(次男30円)購入。
11時45分 妻のお迎え。そのまま妻の実家へ。
11時55分 実家到着。しばし寛ぐ。
12時45分 厄除け寺に向けて出発。車中で昼食。
13時45分 甲府市に到着。徒歩で厄除け寺・円澤寺に。
14時30分 甲府市出発。一般道で長野へ。
        ブラブラとドライブ。
17時15分 ロッテリアで夕食。
18時30分 I市に舞い戻る。入浴施設へ。
20時15分 入浴施設出発。自宅へ。
20時45分 自宅到着。



いやぁ、こうしてみると、まさに盛り沢山な一日。しかも自分の用事は何もなかった・・・。

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090215 停滞

最近、『坂の上の雲』(司馬遼太郎、文春文庫)を読んでいる。


司馬氏の作品を恥ずかしながら一つも読んだことがなく、読まなくてはと思い購入。まとまった時間をとれてはいないが、一日の中で少しずつ読んでいる。文体がやはり慣れていないため時間はかかるかもしれない。


     ◆


あまり冊数自体は進んでいない。これは同時進行で数作品を読んでいきたい。ということで、ブックオフオンラインにて注文。7冊で1550円也。これに送料315円を加えて1800円あまりの出費。1冊あたりよりも送料の方が高いというのは癪に障るが、まあ、送料が利益を生み出す大きなシステムになっているのだろう。


『坂の上の雲』自体はまだまだこれからという展開。こちらもぼちぼち読んでいきたい。

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090214 出産は生死の分かれ目

最近、妻の体の調子がよくない。


10月頃も膠原病のような症状が出て、一時、起きるも大変な状況だった。それから2ヶ月、今は目が見づらくなってきている。


     ◆


妊娠をきっかけに膠原病のような症状が出てきているのかもしれない。これまで2回の出産は順調すぎるほど順調だったのだろう。今にして思えばそう思う。だからこそ、今回、妊娠・出産はあらためて生死の境目であることを痛感する。


妻が出産でどのような状況になるかはわからないが、母胎への影響はかなり大きいのだろう。また、今回の妊娠が妻の体に何らかの異常をもたらしているのが、これまで子どもと性別が異なるせいだとすれば、ある意味歓迎なのだが(笑)


それにしても日常生活を送るのが難しくなってきている妻を見ていると、出産を軽く考えられない。

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090213 次男バースデー

本日、2月13日は次男smileの誕生日である。裏を返せば、妻の2回目の出産記念日でもある。


3年前の今日、たしか月曜日だったはず・・・。妻と長男は実家に帰省していたけれども、朝のうちに「産まれそうだ」という一報が・・・。お昼頃、年休をいただいて自分も急遽地元へ戻る。その道中の空の青さが忘れられない。2月のど真ん中だというのに春のようなぽかぽか陽気に澄み渡る空の青さ。次男の誕生を祝うかのようだったなぁ。


17時40分頃だったと思うけれども、無事誕生。3920グラムのビッグベイビーだった。長男が3452グラムだったから、それよりもかなりでかい。今でもでかいが・・・。


昨年の熱性けいれんもあったり、破天荒な性格のため思わぬケガもあるけれども、無事に誕生日を迎えられたことに感謝しよう。4月からは保育園入園だ。

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090212 散髪

昨日夕方、長男の髪を切った。今回は初めて梳きばさみだけでのカット。バリカンは全く使わなかった。


途中までは調子よくいったのだが、最後の最後、前髪で失敗してしまった。切りすぎた。許せ、長男。

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090211 反ハッピーマンデー

今日は水曜日の祝日。最近はハッピーマンデーのため3連休ということが多いが、こうやって週の真ん中に休みがあるというのはなんとも“ハッピー”な気分になる。おかげで今日は朝寝坊して、子どもたちと遊んで、そのまま外で読書をした。次男が家の前の川に落ちるというハプニングもあったけれども、それはそれでおもしろかった。


あくまでも公務員的な生活なので週の真ん中の休みとなったけれども、世の中的には歓迎という人も多いんじゃないかと勝手に想像する。


さて、これからの時間は何をしてすごそうか・・・。

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090210 教員としてうれしいこと

昨日、九九の確認をした。先週の初めまで二の段・三の段ぐらいしか言えなかった子が、すべての段を一気呵成にまくし立てるかのごとくスラスラと言えるようになっていた。


5時間目の終わりに全員の前でも発表してもらい、拍手喝采。そして、自信のあること競争したが、見事に勝利した。


     ◆


2月9日の月曜までにまだ九九を覚えていない子は覚えておくんだよ、と言ったのが先週月曜日。それから一週間足らずでのことだ。完全に私の予想をはるかに超えている。自分は「覚えておくんだよ」と言ったに過ぎないのであって、彼女は「覚えて早口で言えるようになっていた」のだった。


こういう瞬間は教員としてうれしいものだ。


自分の言うことをその子が聞いたからうれしいのではない。自分の予想・期待を越える姿を子どもが見せてくれたのがうれしくて仕方がない。だから子どもたちも「見くびっていました。すみませんでした。」と頭を下げることがある。


     ◆


教える側の力量しか教わる側をのばすことができない。


そういう言葉を目にしたり耳にしたりすることがある。それも確かに一理ある。しかし、その前提は、教える側の言うことを忠実に守り、自分で考えることをせずにいたならば、というものだろう。自分としては、子どもたちが担任を超えていく姿を見るのが教師冥利に尽きる一瞬である。(「守破離」とはこのことか?)だからこそ、「先生の言うことだけでは先生を超えられないぞ」とハッパをかける。昨日はまさに今まで言ってきたことが体現された日だった。

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090209 誕生日プレゼントを買いに

日曜日の昨日は買い物へ。次男の誕生日プレゼントがお目当ての品。ただ、今年の5月は三番目が産まれるとあって忙しいだろうから、長男の物も一緒に買ってしまおうというつもりもあった。


一路、トイザらスへ。


オモチャがあるはあるは。次男なんか目移りしてしまって、片っ端から「これにする」と決めていった。そんなには無理だから一つだけということになったのが、初めて見るキャラクターのオモチャ。これを買ったら、すぐに飽きてしまうか、兄ちゃんが遊び方を教えるという名目で実質奪われてしまうかどちらかだろうと思って話をしていたら、仮面ライダーキバの物に方針転換となり、無事決定。


長男はお目当ての品一つから心が揺れ動くこともなく決定。


思いの外長い時間かかってしまった。

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090208 住宅展示場初訪問

昨日は峠を越えて買い物へ。現任地は物価が高いことを再認識した。思わず灯油用タンク)18㍑)を2つ購入。灯油は安いところでまとめ買いしておくことにしよう。


     ◆


買い物先から別の店に移動する間に、住宅展示場がある。時間も割とあったのでフラッと寄ってみることにした。『9坪の家』や『やすらぎの住居学』を読んでから、住宅雑誌を立ち読みすることが増えた。そこに載っていたミサワホームの“蔵のある家”がおもしろいなぁと感じた。そこで、いの一番にミサワホームのモデルハウスへ。


「すみません。資料だけもらえますか?」


こんな失礼な若造にも丁寧に対応してくださったのはミサワホームのミサワさん。なんともうまくできた話のようだけれど、これ事実。ちょっと笑ってしまった。


ざっとモデルハウスを見て回って、資料をいただき玄関を出たら、べつの会社の人に家族がつかまっていた。


「中に入れば風船がもらえる」


ということで、その会社のモデルハウスへ。


     ◆


思いがけず展示場で時間を過ごしてしまったけれども、家を建てる気がないので、焦り感や現実感ゼロで展示場を見ることができたのがおもしろかった。これから我が家の休日は展示場めぐりになるかもしれない。

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090207 オシムの言葉

昨年の暮れに見つけてスクラップしておいた新聞記事を見つけた。


「日本人の特性なのかもしれないが、誰かがこうすればいい、と言ってくれるのを待っているように見える。自分自身に責任を持つ、自分で決定を下す能力を身につけるべきだ。 (略)」
(朝日新聞 2008年12月16日付朝刊)


そんな自分も日本人。思い当たる節もある。主張をぶつけ合う、対話する、ということは少ないかもしれない。


     ◆


最近の世界的な不況や教育問題の噴出で、新自由主義的なことに対する警鐘が鳴らされているように感じる。そんな中、「自己責任」を持たせることや、「自己決定」させることに対する批判のようなものがある雰囲気も感じる。しかしながら、それらは全て悪いことではなく、やはり必要なことなのだと思う。


日本人全員が優れたサッカー選手を目指しているわけではないけれども、日頃の生活に問題意識を持ったり、自分で「こうしたい!」と思えるものを持ったりすることで、オシムの言っていることが少しずつ改善されていくのかもしれない。

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09読書013 「学び」から逃走する子どもたち

『「学び」から逃走する子どもたち』(佐藤学、岩波ブックレット)を読んだ。


「学びの共同体」についての本ではなかった。がっかり。
「学び」からの逃走について、これまでの教育界の変遷などについて書かれていたが、これといって新たな学びがあったとは思えない。


それよりも、「勉強」と「学び」の違いについて、市民講座で出された意見が載っていて、これが実に奥深い。これは参考になった。

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09読書012 やすらぎの住居学

日曜から火曜日にかけて『やすらぎの住居学』(清家清、情報センター出版局)を読んだ。「しつけ」についておもしろい考察を見つけた他にも、本筋である住居学についても自分が持っていなかった視点からの話題が多く、おもしろかった。


     ◆


読んでいて、昔の文学作品などの表現が多用されていると感じた。それだけ住居学以外に教養のある方なのだろうと推察した。自分が今憧れているのがそのような教養のある大人でなのだろう。


もう30なのだから少しぐらい教養があってもいいものなのに・・・。日々精進するしかない。

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09読書011 熱球

『熱球』(重松清、新潮文庫)を読んだ。


昨夜の20時から読み始めて、残りは今朝一気に。なんだろう、重松作品は自分の中の懐かしいモノとリンクする。しかも今回はタイトルが“熱球”、高校野球OBの話でもある。


自分も高校野球OB。しかも県大会は同じく準優勝。さらにさらに、やはり応援団長のような長老がいた学校だった。なんだか心を見透かされている感じがして、すこし恐ろしいぐらいだった。


そんな自分は“再出発”できているのだろうか?

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090205 あれから1年

現在、朝の4時20分。
目覚めたのは1時30分。
起きたのは2時20分。それから1時間30分ほど本を読み、メールチェックをして今に至る。


     ◆


次男が熱を出した。周りが一斉に風邪やらインフルエンザやらにかかっている状況で、遅ればせながらの参戦である。我が家も流行に取り残されてなかったのね、と笑っていられるわけもなく、看病の日々が待っているのだと思う。


次男は昨年の2月の終わり、熱性けいれんで入院した。そのため、それ以来37度5分以上の発熱があるときには座薬をいれている。今朝も妻と次男のやりとりで目を覚ました。


ずっと2人の問答が続く。
次男「ピッピしてみる。」
妻「熱があったらお薬入れるからね。」
次男「熱なかったら入れない。」
     ・・・
妻「熱高いから入れるよ。」
次男「やっぱヤダ。」
妻「ダメ、入れる。」
次男「もう一回ピッピしてみる。」


そんなこんなで30分間以上ものやりとりがあったが、最後は「強制執行」。やはり母というのは偉大だと思った。


このような状態だといつもは
「お父さんに押さえててもらうね。」
と、出番が回ってくるのだが、今日はそれもなかった。ホッとするような、さみしいような。


     ◆


熱性けいれんでさえ、こんな状況になっているのだから、病気で入院している小さなお子さんのいる家庭では、もっと様々な想いを抱いているのだろうな、と感じる一日の始まりだった。

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090204 投資

しょっちゅう母の言葉を思い出すが、まぁ我が家の躾・教育の主体が母だっただけに仕方がないか。マザコンの領域ではないと自己弁護しておこう。


     ◆


大学に入る前だったか、入ってからだったか、母から、
「自分に投資しなさい!」
とさんざん言われた記憶がある。パソコンにしても英会話にしても、時間のあるうちに自分にお金や時間をかけておかないと、働くようになってからじゃ遅いわよ、というのが話の主旨だった。


結局、教員になったので、パソコンもそれなりに、英会話は日常生活で使うこともなく、という毎日を送っているが、この「投資」という考え方だけは自分の中に根付いた。


     ◆


昨日、ふと、
「今の自分は子どもたちに投資しているな。」
と感じた。


お稽古ごとをやらせているわけではない。やらせているのはせいぜい長男のスイミング。これが月々1000円。しかも「やらせている」というよりは、一緒にプールへ行ったときのはしゃぎぶりを見て、スイミングの存在を教えたら「やる」ということだった。金銭面にしても最初のきっかけにしてもありがたいこと尽くしである。


さてさて、子どもたちに何を投資しているか、であるが、答えは一つしかない。時間である。


我が家は自分と専業主婦の妻がいて、子ども2人の家庭である。金銭面に余裕はない。ともすれば、保育園の保護者会費が引き落とされなくて、メチャクチャ恥ずかしい想いをすることすらある。そんな我が家でも豊富にある、あるいは作り出せるのは「時間」しかない。今はできるだけ早く帰宅して、子どもたちが入ったばかりの風呂で汗を流して、一緒に夕飯を食べる。そして、遊んだり一緒にテレビを見たり・・・。


以前は違った。


中学校勤務で部活動もさかんだったこともあって、「子どもたちが寝たらメールして」と言って、寝静まる頃に帰るなんてことがフツーで、もちろん土日は家にいない。それが当たり前だと思っていた。それじゃあいかんと思うようになった頃には、長男がすでに3歳だった。


     ◆


「投資」には「回収」という言葉があてはまるのだろうか。つぎこんだ分に見合う「成果」「報酬」「見返り」があるという考えがあるかもしれないが、今の自分が行っている「投資」には何も「回収」するものはないし、その必要性はない。けれども、今しかできないことだと思っているから、後になって後悔したくない。後悔しても、後から「投資」することはできないし・・・。

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090203 「しつけ」

今読んでいる『やすらぎの住居学』(清家清、情報センター出版局)で、納得する言葉があった。住居学に関する本なのに、なぜか「しつけ」のことである。


しつけという言葉は、行きつけのバーとか、かかりつけの医者とか、というつけのことである。(引用者注:「つけ」全てに傍点)しつづけることがしつけなのだ。いつも日常的にやっていることがしつけである。
(103ページ)



親のしつけが悪い、などという言葉もあるが、しつけというのは面倒なモノだと思っている。「面倒」イコール「しなくていいもの」という考えではなくて、「面倒」イコール「手間のかかるモノ」である。この自分の考えに最もフィットする言葉であった。


時折何か注意したり、やらせたりすることが「しつけ」ではないのだ。日常生活のあらゆる場面においてやりつづけることが「しつけ」なのだ。そう考えれば、「手間がかかる」のは当然と言える。

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09読書010 9坪の家

『9坪の家』(萩原修、廣済堂出版)を読んだ。昨年10月頃に読んだ日経アソシエで紹介されていた本の一つ。ちなみに一緒に紹介されていた『やすらぎの住居学』(清家清、情報センター出版局)も一緒に購入した。それだけ最近、家づくりに興味がある。別に建てる予定があるわけではないが・・・。


「9坪」と聞いてもぴんとこないが、約18畳と考えるとなんとなく想像がつく。建坪9坪、延べ床面積15坪だから、かなり狭い。それでも、家は広さがすべてではないことを教えてくれた。土地購入などのやりとりもかなりリアルでおもしろい。


この「9坪の家」が「たてもの探訪」でも放映されたことも知った。見てみたい。

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090201 やっちまった・・・

昨日、ブックオフオンラインで注文した本が届いた。すぐに開封。そして、
「ありゃぁぁぁぁ、ついにやっちまったぁぁぁぁぁ!」
と雄叫びをあげた。


今回は重松作品を2つ注文したのだが、うち一作品は以前読んだものだった。ネットで本を注文すると過去に読んだモノを再び買ってしまうことがあると聞いたことがある。まさに自分が同じことをしてしまった。クールポコばりに叫びたくなった。顔は笑っていたが・・・。


中古本だったからよかった。値段は200円ぐらいだったか。

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