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2009年1月

090131 今日はやることいっぱい

『学び合い』は群馬の会がある。でも、行けない。残念、無念。


     ◆


12時から組合主催のバスケ大会。
夜は地区の新年会。こちらは家族みんなが行ってしまって、風邪を引いたら大変ということで、自分だけが参加することになった。


明日は何にもない日だけれども、月曜日の研究まとめの会に出す資料を作成しなくては・・・。


     ◆


なんだかんだで、3学期の土日は結構忙しい。

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09読書009 格差社会と教育改革

『格差社会と教育改革』(苅谷剛彦・山口二郎、岩波ブックレット)を読んだ。苅谷氏と言えば、自分の中では『欲ばりすぎるニッポンの教育』である。あれは未だに印象に残っている。


今回の本はある講演会をもとにしており、そんなに中身が充実しているというイメージはなかったが、読み終わってみれば付箋がたくさんついているから、やはり何かしらインスパイアされるところはあったのだろう。


     ◆


格差、これは実は不平等の問題なんだということですね。


冒頭に出てくる言葉である。「不平等」と置き換えると、イラッとするのはなぜだろう?「経済格差」「文化格差」「地域格差」・・・、いろんな「格差」はあるけれども、これらを「不平等」に置き換えたら・・・。


教育においてできることは、「不平等」から「不利益」を被ることがないようにすること。そして、いろんな子どもたちがいて、いろんな関わりがあるからこそ成長するのだろうし、均質な集団における関わりしかなかったら、懐が狭い人間にしかなれないだろうな。


「格差」を「不平等」であることを受け止め、それをどう克服していくか。なぜ「不平等」が生じるのか、などと後ろを振り向いてあぁだこぅだと評論家になっては前進できない。

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090129 学級通信がいきる

今日は夜の更新。今朝は時間をつくれなかったし、ネタもなかった。


     ◆


仕事をしていて、
「地区花壇コンクールの審査結果ってどこかにありましたっけ?」
という声が聞こえてきた。中学の先生方の会話だったことと自分の仕事をしていたこともあって、自分は耳だけその会話に参加していた。なかなかお目当てのモノが見つからないらしく、仕事をほんのちょっぴりだけ中断して、学級通信のデータから審査結果が載っている号をプリントアウトして渡した。<日付・・・通し番号・・・主な内容>という保存の仕方をしているので、だいたいの時期さえ思い出せればフォルダを開くとすぐに見つけられる。


     ◆


今朝の早朝仕事は郡の同好会の実践紹介資料作り。締め切りギリギリとなってしまったが、テーマだけ決めたらあとは、そのテーマに関する学級通信から記事を転載して、残りはチョコチョコっと付け足して完成。


「テーマに関する学級通信」を探す際には、アナログの方法が効果大。毎号綴じてある分厚いファイルをぺらぺらめくり、見出しや小見出しだけを見ていく。これだけでだいたい「ブツ」が見つかる。後は見つけた号をデジタルデータですぐに開いてコピー・ペースト。はい、できあがり。


この手のやり方で今年は何度も資料を作ってきた。教研集会と同学年会、そして今回の同好会。


     ◆


自分の“趣味”として作り続けている学級通信。3年続けてきた。最近は他にやりたいことがたくさんあって、正直なところ金曜日発行といういわゆる一般的な発行頻度にしようかどうか迷っている。けれども、こうやっていろいろな場面で使える財産であることも確かである。


さて、どうしたものか。

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090128 生活リズム

先週は再インストールで大変だった。そんなこんなで生活のリズムが完全に崩れてから1週間。今日あたりはようやく元に戻ってきた感じがある。


よくスポーツ番組でベテラン選手の活躍の要因として、「日々の節制」とか「体調管理」とかの徹底を耳にする。野球で言えばベイスターズの工藤投手などはその典型かもしれない。プロスポーツ選手が長年成績を残すために必要な要素として才能のほかに日々の過ごし方があるのであれば、我々教職員にだって同じことが言えるのではないか、と最近思うようになってきた。そうは言ってもお酒の誘いを断ることはできないし、嫌いではない。うまく折り合いをつけることが肝要ではある。


少なくとも、リズムが安定しているほうが、仕事もはかどる。授業中における子どもたちへの“ツッコミ”も湧いてくるように口をついて出てくる。それは確かだ。

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09読書008 公立学校の底力

昨日(26日)現在での読書冊数が8。月10冊ペースで考えると、やや遅いかなぁと思うが、年始の8日ぐらいまで全く読んでいなかったことを思えば、まぁいいほうか・・・。そんな妥協をしながら読み進めたのが『公立学校の底力』(志水宏吉、ちくま新書)。


昨年の暮れに著者の『学力を育てる』(岩波新書)を再読して、初めて読んだ頃の身が引き締まる想いを再体験し、いろいろと考えさせられた。そして、今回もたくさん考えるきっかけを与えてもらった。


本県では私立学校、とくに小・中段階におけるそれはかなり少ない。これからどんどん増えていくのではないかと思ってはいるが、都市部に比べればそれでも遙かに少ないだろう。だからこそ、<私立と公立>と比較して考えられることも少ない。果たしてそれでいいのか?


公立学校という存在がもつ長所・特徴を、三つのわかりやすい言葉で表現しておくことにしたい。「地域性」「平等性」「多様性」が、それである。(本書24ページより引用)


「地域性」というものを最近強く感じている。著者の言葉を借りれば、教員は「風の人」であり、地域住民の多くは「土の人」である。「公立学校の主役はあくまでもその地に住む人々であり、教師はその人たちの奉仕する脇役にすぎないとみることもできる。」確かにその通りである。しかしながら、それならば教師の存在意義とはなんだろう。自分の地元から離れた土地で子育てをしながら「奉仕」するのはなぜだろう。


自分が今もっとも考えていることでもある。


その土地の文化を吸収することを求められているのか。
共に学校を「つくる」ことに「奉仕」していけばいいのか。


そうであるならば、自分は早く地元に帰って、「土の人」の一人として、地域の学校に貢献したい。帰りたくても帰れない、教員になってからずっとそう思い続けている。そして最近は、どうせ帰れないなら・・・、という想いすらある。

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090126 多忙と多忙感

こちらのブログを拝読して考えた。確かに多忙と多忙感は異なる。


世間で「先生たちは忙しい」と言われ、教育界でも「我々は多忙な毎日を送っている」という感覚が流布している。果たして本当に忙しいのか?


自分は組合もやっていて、多忙な毎日をいかに解消していくかにも取り組んでいるが、まったくもって個人的な感想を申し上げれば、教師は多忙ではないと思う。しかしながら、多忙感に覆われていることは否定しない。


世間からの要望(社会一般からの教育界に対する期待・施策・バッシング)、保護者からの要望などなど、我々と取り巻く現状は十数年前とは異なると思う。故に多忙ではないのだが、感覚としての多忙感がこの世界に蔓延しているのだろう。『学び合い』のように、“期待しているよ”と信頼されている方がよっぽどマシである。


自分はというと、「忙しい」とは思っていないから、18時には学校を出るし、自分の子どもたちと過ごす時間もある。裏を返せば、18時には学校をでるように「心がけている」し、自分の子どもたちと過ごす時間をとろうと「心がけている」。


まあ、研究指定校で様々な制約の中で校務をしなければならないのならいざ知らず、自分のように所謂ふつうの学校に勤めているのであればこそ言えることでもある。あとは『学び合い』の考え方があることも大きな要因であるとも思う。

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09読書007 文章は接続詞で決まる

『文章は接続詞で決まる』(石黒圭、光文社新書)を読んだ。専門的な内容だったけれども、毎日学級通信を出したり、子どもたちに言葉を指導したりする立場の者として、非常に興味深い一冊だった。


周囲の人がどのような接続詞を好んで使うかを観察することで、その人の性格を占うことも不可能ではありません。その人のよく使う接続詞がわかれば、その人の隠れた性格もわかるのです。
(本書188ページより引用)



自分は「とりわけ」を使うことが多い。

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090124 あと少し

昨日は組合の職場代表者会。明日は正式なものではないけれども組合の集まり。いずれも年度末が近くなってきての、ちょっとした風物詩だ。


昨年、青年部の仕事を引き受けて、もう少しで終わりを迎える。
「本当に何もしませんよ。」
と言ってお引き受けしたけれども、作ったデータ(ほとんど引き継いだものを作り直しただけだけど)は数十にもなった。


あぁ、ようやく終わる。

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090123 再インストール

パソコンがどういうわけか再インストール・・・。


これは火曜日の朝の話。今週は大変だった。


昨日、22日の夜にネット環境が復旧できた。PC上のハード、メモリ、ファンなどに問題はなく、あくまでもウィンドウズの問題だけだったのが不幸中の幸い。おかげで少しだけ自分のパソコンに詳しくはなった。けれどもその代償はあまりにも大きい。今週の体調はサイアク。週末に体調をしっかり整えるしかない。

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09読書006 ブラックジャックによろしく

『ブラックジャックによろしく』(佐藤秀峰、講談社)の1~10巻を読んだ。マンガを読書記録に入れていいものか一考するべきではあるが、この『ブラックジャックによろしく』は価値あるマンガだと思う。


そもそも、冬休み中の深夜番組で妻夫木主演のドラマを再放送していて、初めて見たのがマンガ購入のきっかけ。ドラマは結局最後、夜明けまで見入ってしまった。医者(正確には研修医)がかっこよく手術で病気を治すわけでもなく、信頼できる仲間と病院をよくしていくわけでもない。まさに「はいずり回る」ドラマである。


以前、池田先生もこの本(ドラマだったかも?)のことをブログに書かれていた。すんごくわかった。教員の世界にも通ずるものがある。


自分も教員に成り立ての頃と今では考え方がずいぶん違うだろう。染まっている部分が多々あるだろう。そういうものに無意識でいるのか、抗いつつも染まってきているのか、両者には大きな違いがある。自分は前者かもしれない。

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09読書005 わかったつもり

『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』(西林克彦、光文社新書)を読んだ。


読むには読んだ。読んだが・・・。


「スキーマ」という言葉とその意味を理解することができたが、ほとんどは読み飛ばして終わってしまった。しばらく「積ん読」状態にしておこう。

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09読書004 「言語技術」が日本のサッカーを変える

『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田島幸三、光文社新書)を読んだ。


もともと子どもたちの「ことばの力」に関心があり、サッカー界で若手育成に手腕を発揮している著者も同様のことを考えているのではないかと、この本には興味があった。読んでみたら、確かに自分と同様の「危惧」を抱いていることがわかった。


そもそも「ことばの力」とか「言語技術」の定義が自分なりのものであるので一般的ではないが、ことばで自分の感情を表すだとか、人にやってほしいことをお願いするだとか、コミュニケーションツールとしての「ことば」をもっと大事にしていくことが必要であると思う。


ドイツと日本の練習風景を比べてみたとき、まずはっきりとした違いとして私の目に映ったのは、「自分の考えをことばにする表現力」でした。(本書13ページ)


内田樹氏の考え方にも若者が「うざい」「キモい」の単語でいろいろな感情を表現する背景があったが、それに近いものが本書にもある。本書は単語で会話を成立させるのではなく、周りにいる大人が辛抱強く訊いたり、待ってあげたりすることとして、具体的な言語技術のトレーニングがある。そして、内田氏は前掲のような表現に終始するのは、社会の流れに対して、若者が「忠実に」その大人社会のメッセージを受け止め表現するからだと述べている。


著者と内田氏に共通すること。それは日本を客観的に見ていること。海外に出て、俯瞰的に日本の現状を眺めていることだ。

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090119 帯祝い

昨日、一昨日と地元に戻った。土曜日は妻の美容院のため。日曜日は帯祝いのため。土曜日は美容院に送ってから、息子たちと濃密な時間。氷の祭典を見たり、マクドナルドで3人で昼食をとったり、育児施設で2時間も遊んだり。夕方からは本も読めた。


そして昨日。生まれ来る第3子と母体のために神社へ出かけてきた。ひしゃくに願い事をかき、おはらいをしてもらう。その最中、次男が「ぼく、ここ来たくなかった」とブツブツ言っているのにはマイッタ。

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09読書003 街場の教育論 その2

昨日に引き続き、『街場の教育論』から。


「どうしていいかわからないとき」に適切にふるまうことができるかどうか、それがその人の本源的な力がいちばんはっきり現れる瞬間です。生き死ににかかわる局面というのはすべて「そういうもの」です。(49ページ)


日本の教育プログラムにいちばん欠けているのは、この「他者とコラボレーション」する能力の涵養だと思います。今の日本の教育の問題というのはもしかすると、ぜんぶがこの一つの点に集約されるのかもしれません。(105ページ)


そのための訓練を日本の学校教育は構造的に怠ってきた、というのが私の年来の主張であります。「どうふるまってよいのかわからないときに、適切にふるまう」能力の涵養こそが教養教育の眼目である、と。
前にも申し上げましたが、別にそれほどむずかしい話ではないんです。それが「学び」の基本なんですから。
わからないことがあれば、わかっていそうな人に訊く。
それだけです。
(120ページ)



そう、まさにその通り。自分も弱い部分かもしれないと思う、この「他者とのコラボレーション」。そして、また、自分が『学び合い』に共感し、実践を積み重ねているのも内田氏の主張の通りでもある。


学校現場では、少人数指導をするとか、困っている子たちを助けるために職員を加配するだとか、子どもたちが「困らないようにするための手立て」をたくさん講じている。それって、内田氏の言葉を借りれば、「わからないことがあれば、わかっていそうな人に訊く」機会を奪っていることに他ならない。だって、「わからないこと」がないようにしているのだから。


だから、わからないことがあれば教員が支援する、指導する。何を支援・指導するかと言えば、学習であれば解法のヒントを与えたり、再度説明したりする。少なくとも、「わからないときには誰かに訊いてみればいいんだよ」と言う教職員はあまりいない。


目の前の問題をクリアすることだけを目指す教育では、「本源的な力」は育たない。この「本源的な力」を育ててこそ、教育の目標である“人格の完成”は達成させられないのではないか。


二宮尊徳の言葉を思い出す。


遠くをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す

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090116 せいのかみ

一昨日、地区の「賽の神」に出たことをアップした。この「賽の神」、正しくは「塞の神」らしい。


お金投げ 厄落とし
    松本市安曇で「せいのかみ」


(前略)
「せいのかみ」は厄を塞ぐ「塞の神」の表記で同町会
(引用者注:松本市安曇の沢渡町会)に伝わる。厄がついたとされるお金は帰宅前に使い切ることがいいと言われ、同じ行事は同市安曇の乗鞍高原や白骨地区にも残っている。一方、「歳の神」(引用者注:「せいのかみ」と読む)の名前で残る奈川は、拾ったお金を、厄が落ちたありがたいものとして持ち帰り、神棚に一年間飾った後で使う風習という。


という新聞記事(信濃毎日新聞 1月16日朝刊)を読んだ。


自分はお賽銭の「賽」だと思っていたけれども、「厄を塞ぐ」という意の「塞」だとは全く思ってもみなかった。目から鱗の心持ちである。


ちなみに記事に出てくる地域は自分の住んでいる地域から隣村を抜けて出て行くことができる。峠を越えた地域では「三九郎」、「どんど焼き」、「厄投げ」となるだけに、この「塞の神」の習わしがどのように伝え渡ってきたのかが少しわかる。おもしろいことだ。

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09読書003 街場の教育論

『街場の教育論』(内田樹、ミシマ社)を読んだ。さすがの内田樹、視点が違う。


同じ立場にいる人間が30人もいるのに、彼がその中の一人の「仲間」も見出すことができなかったことに驚いたのです。(本書223ページ)


いわゆるネットカフェ難民についての記述なのだが、1つの店に何人も同じ境遇の人がいれば、1泊1500円として、ひと月45000円。それならば4人あつまれば18万円のアパートが借りられるはず。そういう論を展開している。


確かにその通り。


自分は報道を見たり聞いたりして、「大変だなぁ」とか「へぇ」とだけしか感じていなかったのだなぁと痛感。そして、「実質識字率」がまだまだ自分は低いことも同じく痛感した。

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090116 非常時において平時に感謝する

昨日は久しぶりに前任校の生徒指導風景を思い出した。別に生徒指導的な問題があったわけではないけれども、全ての仕事をさしおいてでも対応すべき事態があった。今の学校に異動してきて、そんなに頻繁にあることではないので、ある意味では(不謹慎な言い方だが)新鮮だった。


昨年からの目標にしている18時帰宅は、昨日のような状況では可能ではないし、可能にしてはいけない。ということは、18時帰宅という目標をかなえられると言うことは、かなり有り難いことであるのだ。昨日はそのことを強く感じた。


子どもたちに感謝である。

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090115 5時起き

今年の目標の1つに「5時起きの継続」がある。1月も半ばを迎えて、この難しさを感じる。


何が難しいか?


「継続」である。


     ◆


単発的に4時30分とか、3時台とかに起きることはある。しかし、「5時には起きる」のを「続ける」ということは簡単ではない。


「ルーティンワーク」という言葉は「決まり切った仕事」とか「自分ではない人間が代わりにできる」というイメージがあって好きではないけれども、日々の生活の中でやるべきこと・やりたいことを「ルーティン」にするということは大事ではないかと思う。


     ◆


イチロー選手が毎日カレーライスを食べる、ということは有名な話だけれども、それを続けるということは大変なことだ。作る側だって大変だ。(作るものが決まっていて楽なのか?)


それにも増して、イチロー選手はバッターボックスに入る前、入ってからの体の動かし方は「ルーティン」になっている。


一流のプロというのは、意識的や無意識的か、「ルーティン」を大切にしているのだろうか。自分もそうなりたい。

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090114 賽の神

今夜は「賽の神」があった。漢字が妥当なのかもわからない。というのも、自分が生まれ育って地域では、「どんど焼き」と呼ぶ。しかし、それも全国的には標準語ではないらしく、「左義長」が一般的らしい。


昨年はこの「賽の神」に参加しなかったので、居住地域での参加は今年が初めて。行ってみて自分の故郷とは随分違うことを知った。特に、子どもたちの行事というのではなく、地区全体の大人、まさに老若男女が集まっていたことに驚いた。


「賽の神」「どんど焼き」「左義長」と、言葉の違いから始まって、その行事の内容の違いも体験した。地域によってかなり違うことに驚くとともに、地域へ出て行くことで新しい発見があることを再認識できた。

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090113 ぼうずめくり

昨日までのあった3連休では、中日の日曜日に家族でぼうずめくりをした。帰省するときにもやろうと思って百人一首を持っていったのだが結局やることができず、鏡開きの11日にようやく日の目を見ることになったのだった。


去年も正月遊びでカルタを初めてやって、一年間通してカルタ遊びをやることになった。それは次男の力によるところが大きい。


「ねえねえ、カルタしよ。」


この一声でみんなが集まる。そして彼は長男が保育園に行っている間も、お母さんといっしょに2人でカルタに励む。時には一人で札を広げて、遊んでいることもあったらしい。だから、1年たった今、家にあるカルタで彼に勝つことができない。勝てるのは長男のみ。


     ◆


話は一昨日に戻る。


初めてぼうずめくりをやったとき、長男が札を一気にとられて機嫌を悪くするかと予想していたけれども、それほど悪くならず意外だった。ただ、自分が勝つまでやらないと気が済まないという事態にはなったけれど・・・。次男はというと、何となくルールを理解しつつ楽しくやっていた。一昨日は6~7回やって終わりになった。


そして昨日。


雪遊びで終わった1日だったにも関わらず、夕飯を食べ終えて一息たった19時過ぎ。次男が


「ねえねえぼうずめくりしよ。」


出た。


結局3回やることになった。3回やって長男2勝、次男1勝。おかげで彼らは気持ちよく寝室に行くことができた。


      ◆


きっと今年は「ぼうずめくり」の1年になる。

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090112 雪ふたたび

3連休最終日。朝は7時まで寝てしまった。不覚・・・。


8時から14時30分まで用事で留守をした。帰宅後、しばらく体を温めてから雪かき。今日は意外や意外、かなりの雪が降った。10㎝以上積もったのではないか。朝、用事で出かける前にサラッと雪かきをしておいてよかった。


自宅前の雪かき後、学校の雪かきをするために移動。


学校から帰宅したのが16時。帰ると家族が家の前で雪かきをしつつ遊んでいるではないか。・・・ということで、一緒になって雪遊び。
雪をできるだけたくさん集めてきて、すべり台を作る。自宅ですべり台を作れるほど雪もあれば、車通りも少ない。ありがたいことだ。そのすべり台でそり遊びをする。


気がついたら17時。


雪で終わってしまった1日だった。

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09読書002 壊れる日本人

『壊れる日本人 ケータイ・ネット依存症への告別』(柳田邦男、新潮文庫)を読んだ。年末から読んでいたので、今年の読書数に入れていいのかわからないけれども、読みごたえのある本だった。


冒頭はなんだかスッキリしない内容だったけれども、後半一気に読み進めた。


最後にある河合隼雄氏の解説が本書の主張を短くまとめている。


柳田邦男は(私も同感だが)、テレビやケータイを否定しているのではない。その便利さを認めた上で、それに溺れる恐ろしさを指摘しているのである。


「テレビやケータイがいけない」のではなく、「上手に付き合わないと目に見えない悪影響を及ぼすことがある」と認識していることがそれらを使用する者の大前提なのだと思う。

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090110 雪遊び

3連休初日。午前中に勤務校へ遊びに行った。雪が降ったからだ。


校庭。


金曜日のうちに子どもたちが遊んだ以外は足を踏み入れた形跡がまったくない、まさに未踏の銀世界。ぜいたくながら我が家で独占させてもらった。


そり、お山づくり、かけっこ・・・、約1時間の遊びを堪能。おかげで自分も子どもたちも午後はグッスリ。楽しかった。

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09読書001 父親のすすめ

今年の目標は120冊。(もちろん、読書の目的は数ではないが)
それなのに、休み中は全然読まず・・・。それはそれとして、これからの日常生活には意図的に読書する時間をつくって、インプットを増やしていかなくては、日々のアウトプットもできなくなる。


さて、新年最初に読了したのが、『父親のすすめ』(日垣隆、文春新書)。父親業の楽しさを伝えると言うよりも、子育て論満載の一冊。ついでに小論文の書き方まで知を深めることができた。


我々教員には「イターイ」箇所もたっぷりあって、苦笑いしながら読み進めた。


究極は「この親をクリアできたらどこでも通用する」
                      (p.17 小見出しより)


教員として置きかえてみたら、
「この担任をクリアできたら、どこでも通用する」
だろうか。自分の考えているところに近い。


家では、このような厳しい想いを抱いていただろうか。考えさせられる言葉だった。

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090109 今年の目標 仕事編

目標シリーズ最終は仕事編。仕事を頑張るのは当然のことであるので、仕事を取り巻く環境面での目標といったところか。


1 教室に植物を増やす
昨年も立てた目標ではあるが、今年はもっと増やしたい。昨年はプランター3つ増やして、今はビオラ2鉢、寄せ植え(アイビー、ミニシクラメン、ビオラ)1鉢となっている。年末に校長室でオリヅルランの株をもらってきたので、今年はそれを土に植える。もっともっと花や緑のある教室にして、少しでも落ち着ける空間作りをしよう。


2 英語の学習を始める
平成23年度から英語活動が必修化される。それを見越したわけではないけれども、自分が学習して、多くの人とコミュニケーションをとることを楽しみたい。そのための学習である。


3 18時には帰る
こちらも昨年同じように立てた目標。とにかく「帰る」ことを決めてとりかからないと達成できないことを痛感した。10月頃から今まで早く帰るようにして、帰宅後、家族そろって夕飯をとることが出来ている。仕事と家庭は表裏一体、かつ、自分の家庭のことをしっかり出来ていない者が教育に携わるのは自信を持って指導にあたれない。それに、家庭に重きを置きたいという願いもある。そのためにも見通しを持って取り組み、18時には退庁する。

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090108 今年の目標 私生活編

今日は私生活編の今年の目標。


1 家族との時間を増やす
仕事編で「18時に帰る」という目標を立てるが、それとも関連している。今年はもう一人子どもが増える。ますます「家族」を意識することになるだろう。そして、長男は保育園年長、次男が入園。彼らともじっくり遊べるのもあと10年はないし、あってはならない。今のうちにできることを目一杯やっておきたい。


2 基礎トレーニングを積む
昨年は「走り始める」とした内容。膝の状況も芳しくないので、「走る」プラス「基礎トレ」で全体的な体力の向上に努める。特に下半身の筋力トレ、全身のストレッチから始める。


3 畑仕事をする
これまた昨年も立てた目標。土日もなんだかんだで留守にすることがあり、あまり関われなかった。今年はもっと時間を増やす。大根も育てよう。

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090107 プール参観

昨日は冬休み最終日。午前中はスキー教室の下見。ただ、組合の関係で寄らなくてはならないところがあったので、一本だけ滑るだけだった。それでも、初めて訪れたスキー場の大体の様子がつかめた。


ようし、午後はやったるぞ!と思っていたのが一昨日。そうしたら長男が、
「明日のプールはお父さんも来て。」
とラブコール。正直しんどいと思ったけれども、水曜日という平日のプール教室を見に行けるのは、そうそう出来ることではない。思い切って行くことにした。


昨日は早めに昼ご飯を食べて、午後の学校へ。バリッと仕事を済ませて夕方からは家族総出で民間プールへ。


レッスンの最中、息子は私がいるか確認している模様。手を振ってきたりする。臆面もなく手を振り返す。こうやって過ごすのも彼とはあと5~6年といったところだろう。いつもいつもプールヤダとか言いつつ、帰ってくるといい顔をしている理由も今日わかった。いい体験だった。

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090107 今年の目標 総合編

昨年の目標設定が意外と脳の片隅に残っていたことを暮れに確認して、今年も実現可能か?と思えるものを年始に立てたい。年始といってもずいぶん過ぎているが・・・。


今日は総合編。仕事編、家庭編と続けていくが、双方に共通していたり、いずれにも関係なかったりすること、かつ、自分の人生にかけがえのないことである。



1 朝型生活を継続する(毎朝5時には起きる)
昨年も「朝型のリズムを継続する」だった。朝型生活が自分の定着してきているが、それを「続ける」ということが今年の課題。仕事のある日は5時頃には起きているので、週休日も同じ時間に起きて活動する。そこで、「5時には起きる」とした。ポイントは助詞「は」。


2 読書120冊
昨年は100冊という目標を立てて、結局50冊あまり。大目標が100冊だとしたら、ひと月の小目標、行動目標を立てていなかったことが未達成の原因か。今年は大目標120冊、小目標としてひと月10冊、朝に読書時間を取ることを行動目標として、120冊を目指す。ただし、あくまでも数値は目安のひとつ。読書の目標は2つ。自分の教養を深め、仕事・生活に活かす手立てとして。もう一つは自分の娯楽のため。


3 「行動する」
前任校の同僚から学んだこと、それが「行動する」ということ。“案ずるより産むが易し”という諺もあるが、まさしくそのことである。異動して3年目にあたる今年は、あらためて行動力をさらに向上させる。

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○○始め

年末年始休業も明日を残すばかりとなった。今日の午後から出勤して仕事始め。・・・とは言っても机の整理から取りかかる。一気に頭の中が仕事モードに切り替わることを感じる。明日の朝は早起きして少しでも仕事したい。


今日の午前中までは完全オフモード。家の片付けの最終段階、粗大ゴミの搬出を済ませた。


ブログも今日が2009年最初の投稿である。みなさま、今年もよろしくお願いします。

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