« 仮面ライダーファイズ | トップページ | 終業式が今年イチバンの寒さ »

言語コード

『学力を育てる』(志水宏吉、岩波新書)を久しぶりに読んで、言語コードのことを学級通信で扱った。子どもたちの話したり聞いたりする「言葉」に、最近とても関心があるからだ。そのため、精密コードと限定コードのおさらいをしていて、昨日は自分がどうなのかを改めて考えることが起きた。


     ◆


朝、仕事をしているときに石油ヒーターが停止した。3時間近く運転していると自動で止まる機能のためだ。そこで、長男に一言。


 私「○○○、ストーブ止まったよ。」
長男「で、どうしてほしいの?」
    (「最後までちゃんと言って。」だったかな?)


はい、きちんと自分のしてほしいことを言わなかった私が悪かった。長男の言うとおり。まさに自分が言って聞かせてきたことを、そっくりそのまま返されたのだった。これぞ“限定コード”の会話。


     ◆


昨日は学校でも子どもたちにこのことを話した。家では「お母さん、おやつ。」だけでも会話は通じるかもしれないが、それだけでは社会の中ではコミュニケーションがはかれない。“精密コード”による会話ができるようになっていなければならない。


と、ここまで入力して思い出したことがある。


初任校で、4月の年度当初、赴任してきて3年生を受け持った方が言っていたこと。それは、
「△△(児童名)は、友だち言葉しか話せない。」
これを聞いたとき、それほど深刻に受け止めず、そうなんだ言葉遣いがTPOに応じて使い分けられないんだ、ぐらいにしか思わなかった。けれども、これこそ“限定コード”しか使えない児童の存在を気にする教師としての姿勢だったのだ。


     ◆


まずは、自分自身が家で、学校で話す言葉を考えなくてはいけない。ともすると、子どもたちとの距離感が縮まるということは、会話も“限定コード”で済ませてしまいがちにもなりかねない。

|

« 仮面ライダーファイズ | トップページ | 終業式が今年イチバンの寒さ »

子育て・家庭」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/479908/26493244

この記事へのトラックバック一覧です: 言語コード:

« 仮面ライダーファイズ | トップページ | 終業式が今年イチバンの寒さ »