« 「孤」 | トップページ | 師走も半ばを過ぎれば »

妖怪ならよかった

今日は珍しく19時近くまで残っていた。なんとなく、でも、確実に仕事を進めた。


そんなこんなで、いつもより遅い帰宅。最近は次男の話す日本語も「支離滅裂」から抜け出し、会話が成り立つようになってきた。長男、次男、そして自分と、「女」なら「姦し」のところ、「男」だから「男い」で「むさい」とでも読めないだろうか(「無才」かもしれない)、にぎやかな会話を三人で交わす。


     ◆


子どもたちが風呂から上がって、新聞を読みつつ相手をしていると、しばらくして長男が急に、
「ぼくたち残して死んじゃうの?」
と言い始めた。「死」というものを真剣に考えられる歳になったんだな、とうれしく思う。少なくとも“死んでも生き返られる”と考えているよりはいい。


「妖怪ならよかった。」
そうか、妖怪なら死なずにずっと生き続けられるか。なんとも発想がすばらしい。そして後に続く言葉も面白かった。
「あっ、でも、喰べれるちゃうか。」


     ◆


妻は、
「わたしもこのぐらいの年齢の時に『死んじゃう』ってことを考えた。」
と言っていた。何か身近に「死」というものがあったのだろう。長男は妻の実家の犬の死を目の当たりにしている。保育園を早退させてでも、帰省させたことは無駄ではなかった。


     ◆


親として、早いとは思いつつも、
「お父さん、お母さんの方が先に死ぬんだから、今はケンカばかりでもいいけど、大きくなったときには兄弟で力を合わせていくんだぞ。」
と激しいケンカの度に言っている。「兄弟の仲が悪かったら、お父さんは悲しい」とセットだ。


だからこそ、長男が「死」について考えを巡らせているのかもしれない。


けれども、
「いつ死んでしまうかは知らない。でも、お父さんもお母さんもお前達が大きくなって、結婚して、子どもができて、その孫たちとお父さんも一緒に遊びたいからずっと生きていたいよ。そして、もし死んじゃう時がきても、その時に『楽しかったよ、ありがとう』って言えるように生きていきたいな。」
と伝えた。


今、身近にいる、じいじ、ばあば、犬、そして沢山の周りの人もいずれ死ぬ。自分も死ぬ。そのときまでの時間を大切にしていってくれる、そんな息子たちであってほしい。

|

« 「孤」 | トップページ | 師走も半ばを過ぎれば »

子育て・家庭」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/479908/26112491

この記事へのトラックバック一覧です: 妖怪ならよかった:

« 「孤」 | トップページ | 師走も半ばを過ぎれば »