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考えながら聴く

(つづき)


参観者の方の意見にも刺激を受けた。



①子どもたちに印象づけるためにも、1時間内で少しずつ練習している。「東」なら「東日本」「東北」「東海道新幹線」などが出てきて、雑談に逸れてしまう。そうすることで、“東はどっち?”など、日常生活と関連づけて考える。こうやって覚えていけるのではないか?


→自分も「なるほどなぁ」と思うのだが、果たして全員が教師の願うように学習するのか疑問を抱いた。これで楽しくなると子もいるだろうし、そうでない子もいるはず。ましてや新出次にそのような学習をすると、漢字の書き方を覚えるのか、漢字について「話を聞く」のか授業のねらいがぼやけてこないか?そのぼやけたことをやりのけられるのは(焦点化されていない授業を終えて力をつけるのは)、能力的に高いと思われる子に限られないか?


→漢字を覚える授業、いろいろな使い方を知って書けるようにする授業、とねらいをはっきりさせた授業にするほうがいいと思うのだが。



②1・2年生で基本を教えていくのが大事ではないのか?高学年になればなるほど、我流の書き順をしてしまう。低学年で培った基本が「我流」になってほしい。


→そもそも「基本」とはこの文脈で何を指すのか?こう疑問に思うのは『学び合い』の学生さんや院生さんの研究を拝見しているせいかも。話はさておき、高学年になればなるほど我流になると、誤解は強くなる。そして誤解が強ければ強いほど、自分の間違いを修正する力も大きいのは実証されている。そもそも書き順の重要性を自分はもっと学習しないといけない。


→漢字を覚えるために、どんなことに気をつけなければいけないか、子どもたちが考えられるようにすることが「基本」であり、全員が既習の字を読めて書けるようにすることも「基本」であると思う。


③“私は漢字を教える時間が楽しくて好きだった”


→教師が楽しめば、それが子どもに伝わる。それは納得する。では、子どもたちが力をつけていたか?その力は定着したのか?


→“教師も子どもも楽しむ”は自分も体験してきた(させてきた、つもり)。でも、結局子どもたちが力をつけたか、というと自信を持っていいきることができない。だからこそ、「子どもが力をつけたか」を最重要視するようになった。





いろいろな会に出れば出るほど、自分の考えが変わってきたことを感じ、積極的に発言することがほとんどないなぁとも感じる。本来であれば、異なる意見が出れば出るほど、考えも練られ、より高まっていくのだと思う。


が、しかし、


時間に限りがあり、かつ、建設的な話し合いにしたいという願いをひしひしと感じるので、自重してしまう。


サークルを発足すると変わるかな・・・。

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