生活リズム
昨夜も起きるつもりが息子たちと一緒に21時30分に消灯。そのままぐっすり。もうこの生活リズムは変わりそうにないし、案外、いいものだ。
今朝は5時30分まで熟睡。
なんだかとっても健康的な毎日。
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昨夜も起きるつもりが息子たちと一緒に21時30分に消灯。そのままぐっすり。もうこの生活リズムは変わりそうにないし、案外、いいものだ。
今朝は5時30分まで熟睡。
なんだかとっても健康的な毎日。
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自分は縁をつなぐことにこれまで心を砕いてこなかった。正確には、縁をつなぐということに無頓着であった。齢30にして、ようやく世間がわかってきた、というか、わかりかけてきた。
◆
昨日、とある方から封書をいただいた。自分が出した葉書へのお返事である。自分より6・7つ年上だと思っているが、達筆な手紙と、ご自身の貴重な実践資料が同封されていた。
これまでも、折に触れて自分の非礼を恥ずかしく思い返してきたが、今回は頂いた封書で世の中を学ばせてもらった気がする。
この年にしてようやく絵手紙を買おう、とか、常に葉書を持ち歩こう、という気になった。
あとは即、実行あるのみ。
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育児指南書として、付箋をいくつか貼った。
家族哲学の面からいえば、親は、とくに父親は「態度で見せよ」ということに徹すればいい。ただ、子どもが、ともかくも怠けないで一所懸命やっている親の姿を見てくれればそれでいいのだ。
(p.66)
◆
長子であり長男である子どもの側から見ると、子どもは甘やかされ、かまわれ、要求を全部通してくれるという環境に慣れている。そうあるのが当たり前であるという気持ちが定着している。したがって、わがまま、消極的、受け身、抵抗力のなさが生まれてくる。それゆえに、次にくる衝撃(引用者注:次子の誕生)への反応はことのほか強い。
(pp.91~92)
◆
子どもの前で無理に大人の話題を避けたり、「子どもにはむずかしい」と勝手に判断して子ども向けの読み物しか与えないと、子どもをレベルダウンさせる結果になりかねない。また大人の俗世間のみにくさもある程度なら見せておいたほうが子どももたくましく育つだろう。
(p.149)
◆
いまの日本の親に不足しているものは、子どもを産み、育て大きくすることもさることながら、子どもをいかに社会的に「独立」させるかだ。
(p.196)
◆
「私の毎日の朝は、神棚に手を合わせることから始まる。何かいいことがあっても、それは自分がやったことだと勘違いすることのないように、そしてそれはまわりの人たちのおかげであるという感謝の気持ちをこめて、手を合わせている。(略)」
(p.199)
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『イチローを育てた鈴木家の謎』(斎藤茂太、集英社文庫)を再読した。以前読んだのはいつだっただろう。3年ほど前になるか。最近の金欠状態により、本棚からなんとなく選んだ一冊だ。某FMラジオ番組の“棚からひとつかみ”のようだ。
この本を買うときには、当時気に入っていた斎藤茂太さんの本であること、そして自分が好きな野球、とりわけ素晴らしい成績を残しているイチローのお父さんにクローズアップしているという点から、即購入という状況だった。
さてさて、以前読んだときにはスルーしていた子育ての考えというか、知識というか、そのようなことに目がいった。当時は中学生相手、今は小学生相手という環境の違いというところが大きい気がする。
◆
きょうだい関係や家庭環境によって、それぞれ違ってくるのは当然であるが、ここではあくまでも一般的な育児の注意事項を述べておく。(略)
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昨日は長男が目覚ましで6時起床。「一緒に起きよう」と誘われて共に起きる。ここからたっぷりじっくり子どもと戯れる1日が始まった。
地元紙には土曜に大人向け(?)のクロスワードパズルが、日曜には子ども欄があって、そこに児童向けのクロスワードパズルがある。一昨日、長男と初めて子ども向けのものにチャレンジして、長男なりに答えていた。
昨日は土曜日の新聞を持ち出して大人用のパズルを自分がやってから、ハガキ2枚を用意して懸賞応募した。長男とともに新聞のパズルに応募する日が来るとは・・・。意外や意外だった。
長男用のハガキには答えを書くマスを用意して、長男に答えを書かせた。もちろんひらがなは書けない。事前に点線をなぞらせて、マスに清書させた。こうやって文字に触れていくのもおもしろい。答えが「すばる」だっただけに、「むすび」の部分があってそれぞれ難しい字だったが、丁寧に書いている姿を見て、頼もしく思った。
ハガキはすぐに近くの郵便局へ。まだ氷点下と思われる早朝の町を、長男は自転車で滑走。そんなこともできたのも早起きしたからだ。
◆
朝食をとって、所用を済ませてからは、息子たちを連れて公民館の駐車場へ。ここにはバスケのゴールがある。ここで長男はひたすらゴールにシュートし続け、次男と自分はサッカーに興じる。長男もなんとか4回入れることができた。次男はかなり飽きていたが。
◆
帰宅後、昼食。そして昼寝。みんなそろって16時までぐっすり。その後、スイートポテト作り。長男も成形を手伝ってくれた。
◆
3日間のほとんどを家族と過ごすことが出来た。ここまでじっくり一緒に過ごせるのは終わり頃までおあずけだ。1ヶ月分の英気を養うことが出来た。
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昨日は勤労感謝の日。そんなことを全く感じさせない家族総出でお出かけ。
まずは七五三の写真撮影。長男(5歳)、次男(2歳、早生まれ)とも袴姿で服装だけは立派。今しか撮れない一枚がたくさんあったように思う。金がかかるのはイタイが・・・。
かるく昼食をとって、買い物を済ませて実家へ。母と少しお出かけして、夕方すでに暗くなってから帰路につく。
夕食まで軽く外で済ませて帰宅したのは20時頃。予定外の長いお出かけになって、「そういえば今日は勤労感謝の日だったなぁ」と思い出す。まあ、家族でこうやって出かけられるのも長男が小学校高学年になるまでだろう。あと5~6年か・・・。そう思えば、今がイチバン大事なのかもしれない。
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『授業入門』(斎藤喜博、国土社)を読んだ。ご高名だけは存じていたが、氏の著書を読むのは初めてだった。
イメージとしては本県の教育に近いものがあるのだろうか。ちょっと違うのだろうか。今ひとつピンとこなかった。
◆
授業を抜きにしての教育活動は所詮底の浅いものにならざるをえない。そしてせっかく授業を改善したいと願う場合にもどうしても技術的な要素を重視したり、教具とか掲示物での工夫とかに走りがちである。ここらへんが授業というものがもつアポリア(難問)である。
(p.7 まえがき(宮城教育大名誉教授の言葉)より)
◆
ゲーテのことばに「最も恵まれた天才とは、すべてを吸収し、すべてを取り入れながら、絶えず自己を革新し、自己のあらゆる可能性を発展させる者のことだ」とある。
私は豊かな吸収力と、順応性とをもって、どん欲に、自分やみんなを育て上げ、変革していけるような子どもにすることこそ、教育であり、それがまた、「学力」の基本にもなるものだと考えている。
(p.52より)
◆
教室という土俵で、教師は子どもと、どういう勝負をするのであろうか。それはいうまでもなく、子どもたちが、将来おとなになって、しあわせなゆたかな創造的な生活をいとなむのに役だつような、知識や能力を発達させることである。
(p.58より)
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昨夜は寝かしつけるつもりが寝てしまういつものパターン。せっかく夫婦そろって一杯やろうかと話していたのに、しょうがないか。
今朝は今朝で3時半に目覚め、起きるはずもなく二度寝。気持ちよく7時まで温かい布団にもぐっていられた。なんて幸せなんだ。
◆
学級のちょっとした会があり、長男が「遊ぼう遊ぼう」とシュプレヒコールをあげる中、外出したが、帰宅したときは
「もう帰ってきたの?!」
と汚名返上できた。
おかげで長男とはキャッチボールができた。
う~ん、いい1日だった。
◆
タイトルのことを忘れていた。
学級の集まりから帰宅してすぐに畑に植えてあった花(マリーゴールド)を始末したり、長ネギを収穫したりしていたら、畑に一羽の小鳥がやってきていた。しばらくじっと見ていても、こちらに気づいているのかいないのか、ピョコピョコ歩き回ってなにやら食べ歩いていた。すかさず息子たちを呼んで一緒に眺め続けた。
・・・それでも逃げない。なんて人懐っこいんだろう。
結局、長男が近づいていったら逃げて飛んでいった。と、思いきや畑から目を離したすきに再びやってきていた。今度はカメラを持ってきてパシャリ。
なんともステキでかわいらしいお客様だった。子どもたちと「かわいいね」などと言いながら見られたのもうれしかった。
また来るかな?
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昨日、栽培・収穫したサツマイモを大学いも・スイートポテトに調理した。「調理した」のは子どもたち、自分はサポート。
どちらも自分は作り方を知らない。子どもたちが子どもたちで計画を立てて、準備をして、昨日は実際に子どもたちが調理した。そうは言っても、正直なところ不安なこともたくさんあったので、ネットで調べたり、職員室や帰宅してから聞いたりして自分なりの準備をした。ネットでレシピを印刷して調理室にも運んでいた。
結局、自分の出番は
「先生、これ切れない~。」
と言われたときの包丁仕事に、オーブンレンジの操作、そして、
「包丁の使い方に気をつけろよ~。
「慣れてきたときがケガをしやすいぞ~。」
「おお~上手だねぇ。」
「工夫したねぇ。」
と全体に声をかけることだった。
大学いもの油で揚げたり、たれをからめたりという作業は栄養士の先生がお手伝いに来てくださって、子どもたちをサポートしてくださった。これも子どもたちが前日のうちにお願いしてあったことだ。
出来上がったそれぞれの献立は、最高の出来。おいしそうに頬張る子どもたちを見て、なんとも幸せな気分になった1日だった。
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今朝は路面に雪がうっすらと積もっている。昨日、初雪が降ったためだ。
11月に道路にこうも積もるとは正直驚いたけれども、、もう11月も終盤に入り、もうすぐ12月。まさに冬の到来だ。
昨日は長男の水泳教室があったり、自分も夜の会合があったりしたので、朝の6時前からせわしく冬用タイヤにはきかえた。備えあれば憂いなし、20時30分過ぎでも安心して車を走らせることができた。
これからは朝の雪かきも不定期に行わないといけない。時間の使い方をまた少し変えていかねばならない季節になった
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昨日は天気はよかったが寒風吹きすさぶ、まさに冬間近な11月。学校の周りにたくさん植えられているいちょうの木から、数え切れないほどの葉が落ちる。
3時間目は急きょ落ち葉掃きの時間に。
「先生、この『落ち葉台風』はもうヤダ。」
子どもたちの感受性にビックリ。たしかに止めどなく落ちる葉っぱはまさに台風のようだった。
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先ほど30分前に帰宅した。組合の交渉からである。県庁所在地から約2時間。本県はやはり広いなぁ。
組合の交渉参加はもう何回目になるかな?
4回目か5回目か。青年部も含めればもっとになるか。
それだけ回数を重ねると、だんだん顔見知りが増えてくる。今回も沢山の知り合いがいて、全然さみしくなかった。むしろ、ちょっとした休憩時間が楽しい憩いの時間になる。
しかも今年は同じ地元の、同い年の仲間が大勢いて、なんともローカルな話題に花が咲いた。楽しかったー。
心配は今週の仕事面。がんばろう。
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ゆうべ、寝る前の一コマ。
「おかあさん、鼻○そが見えるよ。」
と次男。みんな大爆笑。いきなり何を言い出すんだ2歳9ヶ月。おもしろすぎるぞ。そりゃ誰だって鼻の穴を大きく開かれれば何か見えるって。お母さんの鼻の穴が最近大きくなってきているように感じるのはそのせいか。
次男の将来は耳鼻科医に決定。
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土曜日、青年部ヤンフェス。
日曜日、組合について考える。
そして明日は独自要求確定交渉にて、終日職免。学校には行かない。
すごい3日間だ。全部組合がらみ。
◆
今にして想えば、前任校に赴任して隣のクラスの担任がきっかけ。まだ26だったのに組合の青年部ではなく基本組織のほうに足を突っ込むことになった。組合のことなんか何もわからなかった。
それでも組合に前向きだったのは、その隣の先生が魅力的だったから。常に机の上には本があって、同じようなペースで本が代わり、ジャンルもいろいろだった。
「中学の先生はたくさん本を読むんだ。」
と学んで、それから自分も意識して本を読むようになった。今も職員室では同僚の机上を見るときに、教科書ではなく普通の本に目がいく。
話が逸れた。
隣のクラスの先生には他にも、「行動すること」「叱ること」「温かく見守ること」などたくさんのことを教えていただいた。勝手に真似をさせてもらっただけだが。
うれしかったのは、その先生との付き合いは1年だけだったのだが、異動が小学校だったこと。どうしてか尋ねたときに、
「それはあなたのせいだよ。」
と言われた。
「あなたが小学校から中学に異動してきて、自分より年下なのに、あなたから色々と教えてもらった」
というような内容のことを言っていただいた。ありがたい言葉であり、また、絶えない向上心というか意欲を感じた言葉でもあった。
◆
聞くところによると、その先生が金曜日に全県クラスの研究授業を行って、素晴らしい授業だったという評判だ。
自分が組合尽くしの3日間を過ごす前日に、その先生が大仕事をしているというのがなんとも因縁深い。
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今日は中学生の授業を見た。これは小中併設校ならではの特権だろう。
今月は人権月間であり、人権学習の授業だった。
◆
授業について語れるほど偉くはないし、視点も多くない。ただし、授業研究会には参加した。東京の杉渕先生のMLでも、「授業参観するならば研究会に参加し、授業感想をきちんと送ってもらいたい」ということが常々書かれていた。それを思い出したからだ。
(その割には『学び合い』を参観して、その後は・・・。猛省。)
◆
授業研究会で様々な意見を聞いて、自分も生徒の言動の記録をお伝えしているうちに、様々なアイデアが浮かんできた。たとえば、今日の参観授業は人権学習としても有効であり、また、ケータイメールでコミュニケーションをとることが多い中高生に警鐘を鳴らすための学習としても有効であろうということ。また、小学生に向きに今日の授業を構成するならば、ワークショップで使用した絵ではなく、文字(漢字でもひらがなでも)を活用していくことができそうだ。
これらは研究会に参加したからこそ、周りの先生方に刺激を受けて、自分の脳が活性化したからだろう。新しいアイデアをいただいたことに感謝!
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ブログの更新をせねばと思いつつ、昨日は更新しなかった。
読んである本もあるし、仕事もクラス会議の入り口であるふわふわ言葉の実践をした。それでも毎日の生活、とくに家に帰ってからの生活にどっぷりつかっていて、なんだかのんびりペースで心の中がながれてしまっていた。これはこれで幸せなことかもしれない。
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日曜日、テレビを見ているときのこと。
「お父さんばっかりずるい!」
と長男が言い始めた。自分の見たいチャンネルを見ている私はずるい、という論法である。
朝の7時から8時30分までたっぷりアニメとヒーローものを満喫した者の言うセリフか!と一喝しそうになりつつ、軽くかわす。
5歳で偉そうなことを言い始めるのだなぁ、と変なところで感心してしまうが、自分が子どもの頃に思っていたことを長男に言われて、不思議な感情にとらわれた。
自分の育った家は朝の7時と夜の19時、そして21時は必ずNHKのニュースを見る時間であり、夜は19時20分の株式市場の報道が終わるまでチャンネルを変えられなかった。21時を見るのは19時を見逃したときだけであり、そもそも自分が21時以降にテレビを見る習慣なんて小学校6年までなかった。
◆
長男の言葉をきっかけにへんなことを思い出したものだ。でも、せっかくだから親子共々自分たちがどれぐらいテレビを見ているのか、テレビ欄を塗りつぶしてみるかな。おそらく平日は1時間を超えるか超えないか(曜日によって)、休日は4時間から5時間といったところだろうか。
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(昨日のつづき)
「意欲格差」に大きな差がある、というのは興味深い観点だった。「意欲」を持たせれば子どもは変わる、と言われるが、ではどう意欲を持たせるのか。
イチバンは「モデルの存在」だと思う。自分もこうなりたい、できるようになりたい、そう思えるような人が身近にいるといい。自分自身も教職に就いてから今までがそうだった。
「あこがれ」という言葉で語った方もいた。「夢」と置きかえてもいいだろう。
◆
突然だが、学習面において、教科が「好き」と「分かる」、そして「正答数」の相関関係を示した調査結果がある。(H20長野県学力実態調査 生活・学習意識調査の実態と分析)
小学生は「好き」と「正答数」の相関よりも、「分かる」と「正答数」の相関の方が高いが、中学生においては逆になる。つまり、「好き」と「正答数」の相関の方が高くなる。
「正答数」を「できる」と置きかえるとどうなるか。
<小学生は「分かる」と「できる」の相関の方が高い>ということは、好きであってもできるわけではない、と言えないか。突っ込んだ言い方をすれば、「できなくても好き」と言えないか。
一方、<中学生は「好き」と「できる」の相関の方が高い>ということは、「好きだからできる」と言えないか。同じく突っ込んだ言い方をすれば「できるから好き」なのではないか。
小学生は出来なくても教科が好きである子が多いが、中学生になると「できる教科は好き」であり、「できない教科は好きではない」に変化していくのだと思う。このように考えると、意欲を持たせる授業、楽しい授業とか美辞麗句に踊らされずに、子どもたちができるようになる授業を提供することこそが、子どもたちにとって意欲を持たせる授業になるのではないか。
◆
「意欲格差」とは、「こうなりたい」というあこがれや夢を抱いているか、学習ができるかどうか、この2点に依るところが大きいのではないかと思う。そして、あこがれや将来なりたい自分の姿がはっきりと持てていないのであれば、とにかく目の前の学習に全力を傾けさせることが将来の意欲を持てるか持てないかのターニングポイントにおける重要な要素になるのではないかと思う。
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高校の先生方との懇談で出た話題である。「学力格差」もさることながら、別の格差の方が気になる、ということだ。まったくの同感。
「経済格差」、もっと言えば「文化格差」。また「意欲格差」にも大きな差があるということだ。
◆
「文化」は自分の指導上のキーワードでもある。
“○○すること”が当たり前の集団においては、“○○すること”は特別なことではない。例えば読書。前任校では私が赴任した当初、職員室で最近読んだ本の雑談をした。本を読むことが当たり前の職員集団だった。本について語るという文化があったのだ。
地域を、子どもたちを育てる、伸ばすために必要な文化とは何だろうか。子どもたちが育つ空間に必要な文化とは何だろうか。
そして文化は一朝一夕で築き上げられるものではない。しかし、いったん出来てしまえば、そう簡単に消えていくものでもない。この町にも、学校にも「文化」をつくりあげたい。そういう野望だけは抱いている。花を育てる文化、皆が高まっていこうと切磋琢磨する文化などなどである。
(つづく)
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今週は高校の先生をお迎えして懇談する機会があった。事前配付されたものによると、「中学校までにやっておいてほしいこと」であったので、興味深かった。
◆
高校1年生へのアンケート結果から見る高校生の実態、そして先生方の目から見た様子などから出されたもの、それは・・・
①基礎学力が身について入学してきているか疑問。つまり、入学までに基礎学力を身につけてきてほしい。
②生活のリズムを整えてほしい。
というものだった。
①については、アンケートで「授業が速い」「難しい」という学習面への悩みが多くあり、果たして学習に対する心構え、および必要な力をつけているか疑問があるらしい。
②は、普通科生徒の平日学習時間が1時間以下がほとんどであり、“家庭学習の習慣”という観点からの生活リズムに対する言及である。
◆
どうしても学力面についての話し合いになってしまったが、高校は義務教育ではないうえに、卒業後は社会に出ていける状態に生徒を育てないといけない。しかも社会は「即戦力」を期待している。切迫した課題が高校に突きつけられているのかもしれない。
ひるがえって小中学校。
各学年で身につけるべき学習内容を果たしてどれだけ身につけた上で進級・進学させているだろうか。また「マジメだなぁ」とか言われるかもしれないが、小中学校で課題を先延ばし先延ばしにしているツケが高校側にたまっているのだと思う。それがどういう形で現れるか?大量の中途退学者と、困難校(こういう記述が正しいか不明だが)ではないか。
見通しをもった指導が必要だと切に感じるが、指導の柱を共有し、職員の意識が統一化されないと何も変わらないだろうな。生徒指導で苦労する学校を変えるのとやり方は同じだが、「共有」と「意思統一」はかなり難しい。
◆
自分は常に危機感を抱いている反面、楽観的でもあるので、なんとかなるさぁと構えているが、本当になんとかなるのだろうか?
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(つづき)
参観者の方の意見にも刺激を受けた。
①子どもたちに印象づけるためにも、1時間内で少しずつ練習している。「東」なら「東日本」「東北」「東海道新幹線」などが出てきて、雑談に逸れてしまう。そうすることで、“東はどっち?”など、日常生活と関連づけて考える。こうやって覚えていけるのではないか?
→自分も「なるほどなぁ」と思うのだが、果たして全員が教師の願うように学習するのか疑問を抱いた。これで楽しくなると子もいるだろうし、そうでない子もいるはず。ましてや新出次にそのような学習をすると、漢字の書き方を覚えるのか、漢字について「話を聞く」のか授業のねらいがぼやけてこないか?そのぼやけたことをやりのけられるのは(焦点化されていない授業を終えて力をつけるのは)、能力的に高いと思われる子に限られないか?
→漢字を覚える授業、いろいろな使い方を知って書けるようにする授業、とねらいをはっきりさせた授業にするほうがいいと思うのだが。
②1・2年生で基本を教えていくのが大事ではないのか?高学年になればなるほど、我流の書き順をしてしまう。低学年で培った基本が「我流」になってほしい。
→そもそも「基本」とはこの文脈で何を指すのか?こう疑問に思うのは『学び合い』の学生さんや院生さんの研究を拝見しているせいかも。話はさておき、高学年になればなるほど我流になると、誤解は強くなる。そして誤解が強ければ強いほど、自分の間違いを修正する力も大きいのは実証されている。そもそも書き順の重要性を自分はもっと学習しないといけない。
→漢字を覚えるために、どんなことに気をつけなければいけないか、子どもたちが考えられるようにすることが「基本」であり、全員が既習の字を読めて書けるようにすることも「基本」であると思う。
③“私は漢字を教える時間が楽しくて好きだった”
→教師が楽しめば、それが子どもに伝わる。それは納得する。では、子どもたちが力をつけていたか?その力は定着したのか?
→“教師も子どもも楽しむ”は自分も体験してきた(させてきた、つもり)。でも、結局子どもたちが力をつけたか、というと自信を持っていいきることができない。だからこそ、「子どもが力をつけたか」を最重要視するようになった。
いろいろな会に出れば出るほど、自分の考えが変わってきたことを感じ、積極的に発言することがほとんどないなぁとも感じる。本来であれば、異なる意見が出れば出るほど、考えも練られ、より高まっていくのだと思う。
が、しかし、
時間に限りがあり、かつ、建設的な話し合いにしたいという願いをひしひしと感じるので、自重してしまう。
サークルを発足すると変わるかな・・・。
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昨日は郡の同学年会があった。某小学校の2年生の授業を参観した。
いきなり想うのだが、果たして授業提供が必要かどうか?なくてもいいと想う。ただ、今回のように、新しい教材を知るチャンスになるのであれば、悪くはない。(相変わらず良いとは想わない)それならば、“国語・算数でどんな教材を使っているか”という情報交換会を持てばいいだけの話になる。
◆
さて、今回の会では「新しい教材」、厳密に言うと、「自分が知らなかったために、自分にとって新しい教材」を知った。“下村式”という漢字練習教材らしい。
「唱える」ことを重視しているのか、漢字を唱えながら練習していくようである。なるほど、こういう教材もあるのか。そして、これを授業でこのように扱っているのか、等々、いろいろと考えながら授業を参観した。
授業で扱ったのは3字。単純計算にすると2年生の配当漢字を終わらせるには50時間以上が必要になる。そして、これはあくまでも新出次における時数であり、習熟にかける時間はどれぐらいになるか・・・。そんなことも考えていた。
◆
参観者の方の意見にも刺激を受けた。
(つづく)
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長男。昨日、給食でしいたけを残したらしい。
正確には、担任の先生(保育士)に減らしてもらったらしい。
連休前の金曜日はお腹を下して欠席しており、連休中も本調子ではなかった。おそらく妻が連絡帳にも書いたのだろうとは思うが、しいたけはあまり好きなほうではない長男。夕飯中の会話である。
妻「今日は○○○、給食を残したみたい。それがなんとしいたけ!」
私「残したの?減らしてもらったの?」
子「先生が、『減らしてあげるね』って。」
私「へぇぇ、うまいことやりましたなぁ。へへへ・・・」
子「ぐふっ、ふふふ・・・」
なんとも程度の低い時代劇を演じているかのような親子。アホである。
ある意味、ずるがしこさを身につけて長男。頼もしくもあり、切なくもある。
◆
「ずるがしこさ」といえば次男も負けてはいない。
妻「くさいっ!誰か“おなら”したでしょ!」
子「にいに。」
こんな風に自分の放屁を人のせいになすりつける。
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ブログの更新もせず、ぐうたらぐうたら過ごした連休が終わった。息子たちの体調がすぐれないのをいいわけにして、親もいっしょに家でのんびり。
土曜日
七五三参りを長男、次男とも済ませてしまう。父方の祖母、母方の祖父母にもきてもらって、賑やかなお参りをした。
日曜日
テレビを見たり、ブロックで遊んだり。
夜はソフトボールの納会。日本酒を心ゆくまでいただく。
月曜日
灯油の買い出しに行ってくる。ようやく値段が100円をきった。
その後、学校でテレビ調査の仕事をやっつける。
家に帰って、仕事をしつつ、早慶戦を見てしまう。
こう振り返ってみると、本当に何もしていない連休だった。無為に過ごした感じはするけれども、こういう時もあるから平日は頑張れる。(平日の首を絞める?)また新しい週の始まり。今週もいろいろあるけど、がんばっていこう。
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ある方のブログでのコメントのやりとりで学ばせてもらった。
◆
悩まず考える。悩んでいたらその場にいるだけ。
考えたら答えが出る。そしたらその答えに従って行動に移す。
そうすると結果が出る。良ければその方向で続ける。
悪ければ、その結果を分析して(考え直して)、また答えを出す。
行動する。
◆
そうだ、悩んでいても仕方がない。「悩む」ということは、後ろ向きな思考であることが多い。もちろんこれからのことに悩むこともあるが。
それよりも、これからどうすればいいか、具体策を考えると何らかの答えが出るはずだ。そうして、少しずつ少しずつ前に進めればいい。間違った答えだったら、元に戻ってやり直せばいい。なぜ間違った答えだったかを考えれば、それは自分の肥やしになるはずだ。
言葉に勇気をもらった。感謝。
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