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2008年10月

半月板“のうしゅ”

昨日は年休をいただいて病院へ。
膝痛の原因は「半月板“のうしゅ”」というものではないか、ということだった。


“のうしゅ”とは「膿腫」であろうか。


早速ネットで調べてみた。



・・・あまり喜ばしくない印象を受けた。



体は快調だけに、無理をしないようにしなくてはならない。

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40 カリスマ体育教師の常勝教育 その2 母性指導

昨日に続き『カリスマ体育教師の常勝教育』から。


結局、最近の親御さんの考える「優しさ」とは、甘えを助長することを優しいといわれているような気がしてなりません。(略)子どもに継続や忍耐を教える最高の機会を大人が逃し、つぶしてしまうのです。子どもが壁にぶつかったときに、「よし。もういいからやめなさい」という人を「優しい人」といいます。


その対極にあるのは、私のような子どもをしつける人です。(略)人間の力を高めるには、専門技術の習得・態度の向上・価値観の向上が必要ですが、まずは態度を教えて、子どもの心の器を上向きにし、素直な子をつくっておかないと指導者のいうことが心に届きません。

   (略)

ところが母性だけの甘やかし教育は、途中で挫折します。子どもがいうことをきかなくなり、わがままをいい続けるので、ときには家庭内暴力に発展します。
子どもの教育には、父性的な厳しさと母性的な優しさが、バランスよく発揮される必要があります。

(pp.176~178より)


ここまで言い切れるというのは、著者が真剣に、時にはすべてを賭して生徒たちに向き合ったからこそである。


かつての自分なら上記の文章に大賛成だった。今は少し違う。
「素直な子をつくっておかないと」
ではない。


「子どもたちは本来素直である」のだ。


それが集団の中の人間関係であったり、力関係によって歪曲されて「見える」のだと思う。


      ◆


もう一つ。


上記のように引用すると、「母性指導」という言葉によって母親の存在意義が問われそうな気がする。しかしながら、かといって著者の言うような「母性指導」の存在は「父性欠如」によるところが大きいのであり、母親がどうのこうのというよりも、むしろ父親のことをもっと論じなければならないと思う。

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40 カリスマ体育教師の常勝教育

『カリスマ体育教師の常勝教育』(原田隆史、日経BP)を読んだ。


3年ぐらい前に読んで以来となる再読。当時は同僚(体育科)と一緒に本について語り、“目標設定用紙”をお互いに作って、それぞれの部活で使わせたりしたものだ。


それ以来、“態度教育”は自分の中でも主要なテーマとなり、『凡事徹底』しかり『いい会社をつくりましょう』しかり、「あいさつ・返事・整理整頓」しかり、「時を守り、場を清め、礼を尽くす」などなど、枚挙にいとまがないほど数多くのエッセンスが自分を作り上げてきている。


     ◆


成功者に共通するふたつの大きな特徴が見えてきたのです。それは強い勝利意識と高い目標設定でした。
スポーツは「心・技・体」のバランスが大切であるといいますが、強い選手ほど「心」を大切にしていたのです。

(p.36)


今更言うまでもなく、「心」の重要性を語っている部分。


     ◆


不思議なもので、指導を重ねるうちに、書く量が「強さ」と比例するようになってきました。よく書けるほど強いのです。目標設定用紙の文字量、日誌の文字量、しっかりした文章を書けるということが競技力の向上につながってきたのです。
(p.61)


態度教育から一転、これまた自分の中の主要テーマ、「言語力」につながりそうな記述を見つけた。以前読んだ時は気づかなかったが、今なら大きく頷きながら読み砕いた箇所である。


これは子どもたちの日記を見ていても共感できる。中学生でも小学生でも「書ける」というのは大きな力であると感じる。語彙力、文章構成力・・・、いろいろな要素はあるのだろうが、「書く」ことを継続していくことで力が伸びるのだろう。そして、それはまた自分を客観的に見る力が育つということでもあろう。

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「おとうさん。ちょっときて。」

日曜日、実家からの帰り道。
いつものごとく、温泉施設に立ち寄ってきた。


風呂上がり、ちょっと休んでいると長男が
「おとうさん、ちょっときて。」
と手招きしてきた。


聞いてみると、
「はじめて読めた。」
と言うので、行ってみた。


施設の玄関に水槽があり、その水槽に
“たたかないでください”
とシールが貼られていた。それを長男が読んだのである。濁点も読めたことに、こちらも驚いた。
「『て』に『゛』がつくと『で』って読むんだよ。」
丁寧に教えてくれた。


初めて文を読んだ長男。満足していた。


      ◆


帰宅してから、
「みかん」
など、いろいろと読んでいた長男。


今まで、こちらが「これ何て読む?」と聞いても答えなかったことがほとんどだったのに、1つの成功体験をきっかけに少し変化した。

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完走!

昨日のハーフマラソン。無事に走りきることができた。


当初、ゆっくり6分30秒ペースで進み、ずっと様子を見ていた。沿道の応援がたくさんあるところでは自然とペースが上がり、気持ちよく走れた。途中、8㎞付近で膝が痛み出して、思い起こせば、ここが最もキツイところだった。


10㎞地点の通過が62分。つまり、6分12秒ペース。徐々にペースが上がっていったのがよくわかる。この時には完走できる確信があり、あとはタイムを狙うか、このまま気持ちよく走るかのどちらかだった。


一緒に走った友人Aにも2時間を狙うことを伝え、一気にペースアップ。おそらく5分30秒ほどのペースで残り半分を走ったのだと思う。結果として2時間をきることはできず、2時間5分あまりでのゴールとなったが、予想に反して気持ちのいいレースになった。沿道の声援のおかげであり、7000人も参加するため周りにたくさんの競技者がいるおかげでもあった。こんなに気持ちのいいレースになるとは・・・。でてよかった。

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想いを寄せる

昨日は国語で「想いを寄せる」という考え方を子どもたちに伝えた。『お手紙』の学習の中で、がまがえるくん、かえるくんに想いを寄せた記述をした子が増えてきた。


     ◆


かわって午後の授業。とあることをテーマに子どもたちの考えをプリントに書いてもらった。


「先生、理由も教えてください」
「理由も自分たちで考えてみてください」


あまり詳しいことを言わずに子どもたちに考えてもらったが、すぐに彼らは自分の想いを見抜いた。見抜いたどころか、私なんかよりもっと深いことを考えているようにさえ思えた。


涙があふれてきた。子どもたちは相談し合ったり、プリントに書き込んだりしていて気づかなかったかもしれないが、見れば見るほど目の奥が熱くなってきてしまった。


いつにも増して、子どもたちを愛おしく思えた。

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あと2日で大会

ハーフマラソン大会まであと2日と迫った。


水曜日には約2ヶ月ぶりに練習。膝に痛みが走るものの、膝の外側が主であり、内側の痛みはほぼやわらいできている。


4キロ弱を23分。㎞6分強ペースということか。2時間20分台が出せればいいほうだ。


ということで、すでに出ることにしてしまっている。辞退よりは途中棄権の方がまだまし。最後まであきらめずにやってみよう。

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夢を託す

一昨日、子どもたちの宿題の取り組み方が今ひとつだったので、宿題を作らせた。時間は20分間。当然、子どもたちが満足のいくプリントは出来上がらない。そこで、自分が宿題を出すにあたって考えていることを子どもたちに語った。


     ◆


なぜ今まで手作り(というかPCで作成)にこだわっているか?


子どもたちに力をつけてほしいからだ。


「子どもたちに力をつける」などとおこがましいことは考えていない。自分が作るプリントを子どもたちが使ってくれることで、子どもたちが彼らの持つ力を自分たちで伸ばして欲しいし、自分の得意・不得意に気づいてもらえたらうれしく思う。


     ◆


こんな話をしていて、ついつい「夢」についても語ってしまった。


先生としての夢は、自分がこうなるとか、子どもたちを~する、というものではない。子どもたちが成長したときに~なってほしい、ただし、その時先生は近くにいないのだ。


そんな内容だった。


     ◆


前も書いた内容だなぁ。


教師の仕事は「恩送り」のように、未来への投資のようなものだ。そして、教師としての夢は自分が関わった子たちが将来「かなえてくれる」ものである。それを教師が見届けることはほとんどない。言わば、知らない土地で種をまいて、花が咲いて実ることを祈っていることしかできない。


しかしながら、幸せな仕事でもある。自分の夢を大勢に託すことができるのだから。


前任校でも33人を送り出した。彼らにも自分の夢を語った。覚えているかわからないが、彼らが大人になったときに、子をもち、どこかの学校の保護者となったら、子どもたちをまっすぐに育ててほしい。そして、すばらしい学校を自分の子や学校職員とつくりあげて欲しいと伝えた。つまり、彼らが「将来の保護者」であると見てずっと接してきた。


そして今受け持っている子どもたちである。彼らも当然「将来の保護者」ではある。それにしては幼すぎる。まずは小学校高学年、中学生になったときにこうなっていてほしいという夢を語った。


夢を語り、その夢が叶うのを信じていられるというのは、やはり幸せな職業だ。

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伝統の息吹を

昨日は小中合同音楽集会があり、郡の音楽の集いで発表する曲を5・6年生、中学生がそれぞれ歌ってくれた。


小学校高学年と中学生の合唱を一度に聴けるというのは、小中併設校ならではの利点である。小学生の澄んだ歌声が、中学生となると男声の響きが増して、歌に厚みが増すということが一目(一聴?)瞭然である。


この機会をどうつなげていくか?それが聴かせてもらった者たちの課題だろう。


     ◆


歌と清掃は各学校で伝統があるといい。


歌声が響く学校は理想であるし、清掃をできる学校というのもあまり多くの先生方は意識していないのかな、個人的には理想の1つである。


昨日のような機会は、歌声が響く学校を目指すために貴重な場だったのだと思う。

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初物尽くし

土曜日は教え子のサッカー大会を見に行った。「見に行った」とは言っても、学び合いセミナーがあったために、試合自体は見られず、教え子の顔を見に行っただけである。


初任校の最初のクラスで教えた男の子。面影が残っていてすぐにわかった。


後輩と思われる部員に指示を出して、試合前のあわただしい中、てきぱきとチームが動いているのがわかった。強豪校の一員としてレギュラーではないのだろうけど、自分の役割を考えて行動している姿が立派だった。自分の経験から言っても、このように一人ひとりが自分にできることを一生懸命にやっているチームは必ず強い。案の定、準々決勝も3-1というスコアで勝ち上がった。


     ◆


考えてみれば初めてのサッカー観戦。それが教え子によってもたらせるというのはなんとも幸せなことだ。


教え子の学校の試合に先駆けて行われていた第1試合では、かなり大勢の観客がつめかけていて、得点シーンも見ることができたし、PK戦までも見られた。見ている親御さんは気が気でない心境だろう。会場も水を打ったように静まりかえっていた。


あのような真剣勝負の場は、ある意味うらやましいものだ。

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反抗期?

今週の長男。少しホームシックになったようで、保育園に登園するのをいやがった。自分も年中の時に保育園で「おかあさ~ん」と泣いていたなぁと思い出す。今は妻の体調が思わしくないので、そのへんも影響しているかなぁと夫婦で話す。


不登校と一緒で、「きっかけ」と「原因」があるのだと思うが、きっかけはお昼寝の時間に“寝なさいよー。”と言われたことでお昼寝がイヤになったらしい。


自分としては、はっきりとわかるように注意してくれた保育士さんに感謝であり、このように成長のきっかけも与えてくれたので、またまた感謝である。子どもが嫌がらないように言葉を選んで注意したりするなんて、いいことは何もない。子どもたちも勘違いするだけである。ダメなことはダメ、とズバリと言わないとわかるはずもない。


保育士さんにしてみれば、ウチの長男に言ったというよりも、何人かに注意したつもりだったようだが、我が家としては「お山の大将」的な長男にハードルを与えてくれたことは確かである。三度、感謝。


     ◆


きっかけがきっかけだとすると、原因は長男との接する時間が短くなっていることか。反抗期に入ったのかなぁと思われる言動もしばしば見られる。なにもかも「やだ」の一点張り。これからしばらくは押したり引いたりの駆け引きが必要かもしれない。自分に余裕があれば笑いで応答することができるのだが、さてどうなるか・・・。


自分の子どもなので、あまり気を遣わずに対応できるのは精神的に楽ではある。

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1周年

そういえば、ブログを開設して1年経った。
この間、記事数は約340。マメに更新するときもあれば、全く更新しないときもあり、自分の性格が如実に表れている気がする。


昨年の『学び合い』セミナーで刺激を受けて、とにかく何かをやろうと思って始めた本ブログ。今では何がテーマのブログなのかもよくわからないけれども、ひとまずこの調子でごった煮状態を続けていこうと思う。しばらくしたら、方向性が定まってくるか、読書だけ別ブログを立てるか、自然と決まってくると思う。


最後に、こんな拙いブログをご覧いただく皆様に感謝申し上げます。

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初MRI

昨日は教育課程研究協議会。そんな大事な日に3時間ほど年休をいただいて病院へ。教育課程の方では午後から自分も実践報告があったのだが、午前は勤務校の中学英語の授業だったので、申し訳ないながらも年休をいただいてしまった。


     ◆


病院についてすぐにMRI室前に。待っている間は読書、読書、読書。


しばらくして中に通される。磁気が強い、というのは何も感じない。ところが、MRIの準備をして、いざあの狭い空間に脚が入っていくと・・・、なんとなくビリビリする感じが。へぇ、こんな感じなんだと人ごとのように感じた。


約30分間の検査。ずうっっっっっっっっっっっっと寝てた。


「終わりましたよー。」という技師さん(?)の声で起きる。よだれはたぶんなかったと思う。ひと安心。


     ◆


その後、整形外科の先生に診察してもらう。


「ううーーーん。ここにモヤモヤッとしたのがあるから、何もないことはないなぁ。靱帯も切れていないし、半月板はきれいに残っているけど、ひょっとしたら半月板が根元からはがれているかも・・・。」


「えっ???」


「もし完治させるなら入院してもらって手術です。まぁ、しばらく様子見ましょう。」


ということで、サポーターをいただいて診察終了。そうかぁ、半月板がねぇ。どうりで痛いわけだ。


     ◆


膝はしばらく様子を見ることにしていたいのだが、あと1週間ほどでハーフマラソンが・・・。ここ2ヶ月はまったく練習をしていないのにMRIでは「モヤモヤ」があるというのはショックだった。“目標は2時間を切る!”とか言っていられず、完走どころか、出場すら危ぶまれているのではないか???

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39 覚悟のすすめ

『覚悟のすすめ』(金本知憲、角川oneテーマ21)を読んだ。月曜日に松本で買って、電車の中で読み終えた一冊。


本来、「楽しむ」とは、向上心を持ち続け、努力し続けた結果、できなかったことができるようになる、もっと上達する。これが「楽しい」という言葉のほんとうの意味なのだと思う。


28ページからの引用である。40歳になってもまだなお、現役どころかトップクラスの成績を残しているプロ野球選手の言葉である。重みがある。


引用の言葉は、「最近の若いスポーツ選手の発言やインタビューを聞いていると、ふたことめには『楽しみたい』と口にする人が多い。」という記述に続けて書かれているものだ。要するに、若い選手たちに対する苦言である。


     ◆


自分も「楽しい」という言葉に疑問をずぅっと抱き続けている一人。「楽しい」を目ざすことで多くのことから「逃げている」気がしているのである。


こんなことを考えていると煙たがられるのは必至だが、もっともっと努力して、本当の「楽しさ」を見つけられる子を育てたいし、自分も見つけたい。

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38 あなたの子どもが学校生活で必ず成功する法

『あなたの子どもが学校生活で必ず成功する法』(ウィリアム・グラッサー、柿谷正期 訳、アチーブメント出版)を読んだ。


グラッサースクールは『学び合い』に共通している部分も多く、読んでいて共感する部分も多かった。外的コントロールとしての「七つの致命的習慣」、関係を確立する「七つの選択理論的習慣」は特に大勢に共感されるだろう。


<七つの致命的習慣>
①批判する
②責める
③文句を言う
④ガミガミ言う
⑤脅す
⑥罰する
⑦相手をコントロールしようとして褒美でつる



<七つの選択理論的習慣>
①思いやりを示す
②傾聴する
③支援する
④貢献する
⑤勇気づける
⑥信頼する
⑦友好的にかかわる


     ◆


他にも多くのことを読書ノートにメモをしたけれども、いかんせん、原著と訳本では意味が違うんじゃないかと思われる部分が多々あり、読んでいて疲れてしまった。かといって原著を読む気にもなれないし・・・。(早速「批判」している)


このように考えると、ハリポタシリーズは日本語でも生き生きと言葉が綴られていて、訳者を本業としている方の力を感じずにはいられない。

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県委員会にのんびり電車で

昨日は組合の青年部県委員会。電車で行くことにした。
松本まで電車で1時間あまり。以前、実家近くで県委員会があったときも電車で移動して、たっぷりと本を読めたので、それ以来電車を使いたい欲求が高まってきている。


昨日は9時台の電車で移動。すでに混み合っていて立ちっぱなしだったけれども、いざ読書。こうなると電車がマイ図書館になっている気がする。


帰りは帰りで電車を待つホームですでに読書開始。おかげで松本で買った新書もあわせて2冊読むことができた。


     ◆


大学時代、電車が主要な移動手段だったけれども、都会の人はよく本を読むなぁと感じるほどサラリーマンだとか、学生さんが本を読んでいた。今ではメールを打ったりだとかでケータイをいじる人も多いようだけれど、それでも読書している人は多いだろう。


一方、地元ではそんなに電車に乗るのが一般的じゃないからかもしれないが、本を読んでいる人は少ないなぁ。みんなでおしゃべりしながら乗っているという人が多い気がする。


どちらものんびり、ゆっくり電車に揺られている楽しさは変わりない。

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旧 村民運動会

昨日は「村民運動会」。「村民」とは言っても町村合併をしているので、厳密には違うのだが、やはり地域の方々には「村民運動会」のほうが通りがいいらしい。


さて、この運動会。本当は自分一人で行く予定だった。息子たちは咳き込んでいるし、嫁さんは体調が思わしくないし、でも自分はリレーに参加せねばならないし・・・。朝ものんびり準備していたら急きょ家族そろって行くことになってしまった。


     ◆


行けば行ったで息子たちは大はしゃぎ。ずうっと保育園の友だちと遊び回っていた。親の言うことなんか聞くはずもない。子どもの世界をじっくり見ているのも面白かった。息子の「外」の顔を見たのだろう。あれはあれで息子なのだ。


     ◆


自分はというと・・・


リレーを走った後、完全グロッキー。しばらく芝生の上で寝た後、車で自宅に戻り、布団へ一目さん。そのまま夜までぐっすり眠った。


しかしながらそのぶん、運動会後の会に出られなかった。

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ハッピーバースデイ トゥー ユー

昨日は妻の誕生日。3ヶ月遅れて追いついてきた。毎年毎年のことである。この3ヶ月が彼女にとっては大きいようでもある。


家でじっくりケーキでも作ろうかと思っていた(当然、教わりながら)が、急きょ出かけることに。特に目的があるわけではなく、妻の強い要望があるわけでもなく、なんとものんびりした外出だ。


     ◆


ひととおり店を回って、しばしドライブ。助手席と後ろの3人は夢の世界へ。こういうお出かけもいいな。うん、かなりいい。


     ◆


夜、子どもたちを寝かしつけ、久しぶりに自分が寝かしつけられることがなかったので、子どもたちの写真をプリントアウト。プレゼントらしいプレゼントはこれくらいか。でも、金では買えない贈り物だ。喜んでくれると思う。

081011

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寝ちゃう

昨夜は21時前に寝てしまった。


風呂をあがったのが20時前。しばらくゆっくりしていたら、次男が「お父さん、寝よ。」といううれしい催促。しょうがねえなぁ、とこぼしつつもうれしい自分。


寝室でしばらく戦いごっこをして、絵本を読んで、さぁ電気を消して寝ようかというときに、“ガラガラガラ”と浴室から妻があがってきた。。


「ぼく、おかあさん迎えにいってくる」


と次男が出て行ってしまった。


おいてけぼりをくった自分。仕方がないからそのまま横になっていたら寝入ってしまった。途中、長男が布団に入ってきたけれども、あんまり記憶がない。


     ◆


起床は7時。なんだかわからないが、よく眠ってしまった。
たまにはこんな日もいいか。

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調べ学習

昨日、初めてかもしれないが図書館での調べ学習の時間になった。国語で「知りたいこと」がいくつか出てきたためだ。


子どもたちは図書館でいろいろな図鑑・辞書にあたっていた。あたると、また未知の言葉が現れる。それを気にせずワークシートに書き込む子もいれば、「『藻類』ってなんだ?」とさらに調べようとする子もいる。見ていておもしろかった。

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やってしまった

昨日はばあばを見送ってから家に戻ったのが18時30分ごろ。すでに風呂も夕飯も済ませて、なんともステキな時間を送っていたら19時に電話が・・・。


「今日、○○○なんだけど・・・」
「すみません、行きます。」


ということで、全然頭にも、スケジュールにも入っていなかった会合が。



そうだよなぁ、何にもなくってこんなにおだやかに過ごせる日があるなんて、夢のようだと思ったんだよ。・・・・・・・・・、まさに幻だった。







20時すぐに帰宅。
子どもたちは遊び疲れてすでに夢の中だった。



あぁ、やってしまった。

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「さみしいかもしれない」

昨日は保育園の祖父母参観日。我が家も両家のばあばがやってきて、長男とともに登園していった。そのまま長男ともども半日で帰宅し、ずっと遊んでもらっていた。


自分はというと、昨日は年に数回あるかないかの何も会議のない水曜日。17時過ぎにはすぐに退庁して帰宅。自分の母親と会って話ができた。


それから風呂に入って、あわてて夕飯を食べて、みんなそろって駅まで見送り。


ばあばを見送った長男がポツリ。
「ぼく、ばあばがいないと、さみしいかもしれない。」
目に涙をためている。


めずらしくかわいい本音をもらす長男を愛おしく思った。

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兄、考える

昨夜は21時過ぎまでPCの前にいると、次男から
「おとうさん、ねないのぅ?」
の声。あわてて諸々を済ませても21時45分。就寝は22時頃だっただろう。こうして親の用事や都合で子どもたちの就寝時刻が遅くなってしまうのだろう。反省。


     ◆


さて、保育園は今日が祖父母参観日。参観日を前にして、長男がセロテープの芯を家に持ち帰ってきた。妻に聞くところによると、
「おじいちゃん、おばあちゃんたちに引き出しを見られたらかっこわるいじゃん。」
とのことらしい。


園の自分のスペースに芯が入っていることは最近長男が話していたので知っていた。“えぇ、使わない物を園の引き出しに入れているの~?”と茶化しつつ話してあったのを覚えていたのだろう。


少しは社会性というか、人目をはばかる意識というか、それこそ羞恥心が芽生えてきているのだろうか。


見通しを持って行動できたことはうれしく思った。

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英語活動とびこみ授業

昨日は5年生にとびこみ授業をした。英語活動の授業だ。先週は6年生にも英語活動の授業をしていて、2週連続での授業となる。


夏休みに中核教員研修があり、その実技伝達講習の意味合いがあってのものだった。自分にとっては初めてのとびこみ授業。けっこう緊張するものだなぁと実感。『学び合い』の出前授業を数多くされている先生の気持ちが数十分の一はわかったつもり。


さて、授業の方は子どもたちがしっかりやってくれたおかげで、なんとか授業としての体裁がとれた。1回きりというのはお互いにとってはなんとも刺激があるのだろう。これが担任の授業となるとどうなるか、という不安はある。ただ、そうはいっても来年からは基本的に担任の先生が英語活動を行い始める。そのためのサポートをしなくてはならない。

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37 “荒れ”への「予防」と「治療」のコツ

『“荒れ”への「予防」と「治療」のコツ ~学級づくりの基礎・基本~』(赤坂真二、日本標準)を読んだ。夏のフォーラムで開かれた分科会に参加した初めてお会いした赤坂先生はすごくエネルギッシュで、パワフルだった。そういう姿が多くの共感と反応を集めるのだと感じた。


2学期にはクラス会議を自分のクラスでもやろうと思いつつ10月へ。ようやく著書を拝読したことできちんと計画を立てていこうと思う。


さて、本著は一冊丸ごと学級経営について書かれているので、印象に残った点がどこそこで…と野暮な記述はできない。教育関係の一冊として大事に取っておきたいものだ。

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家族と・・・

昨日は一日中、家族と過ごした。


午前中は息子たちを連れて勤務校の校庭へ。
遊具、自転車(三輪車)、野球にサッカー、用意していった物をすべて使って遊びきったという感じ。さすがに長男でさえ「帰る。」と自分から言い出したくらいだ。


午後、まずはひと仕事。SCAN SNAPで紙を電子化にしていった。
その後、峠を越えて買い出しに。遠足の“思いで作り”に子どもたちが考えた準備品を買うためだ。手芸のトーカイに行くのも慣れてきた。あとは子どもたちが自分たちの理想を形にできるといいな。


他にも、名刺作成用紙、食料品など色々と買えた。ついでにCDのレンタルまでできた。久しぶりに“現代の”曲を聴くことができるぞ。


帰りは恒例の温泉施設巡り。車で帰る頃には息子たちは夢の世界へ。いい夢を見られただろうか?

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そうなのだ!

池田修先生のブログを拝見して深く納得した。まさにそうなのだ。


自分もなんて難しいことを子どもたちに言うのだろう、と振り返るときがある。全員がわかるとは思っていない。ひょっとしたら一人もわからないかもしれない。そう思っている。


けれども、


話さなければならぬ、と思うのだ。それを難しいから、言ってもきっと理解できないから、分かるときが来れば話せばいい、と考えるのはちと違うと思ってきた。


赤ん坊だけのことではなく、多少の年を重ねても同じことが言えるだろう。


ある時、ふと、
「あぁ、あの人が言っていたのはこういうことか。」
「あぁ、これか!」
とピンとくることがある。これこそ教育の賜ではないか。読み書き計算だけではない、「教育」である。


難しいから、言ってもわからないから、ではない。教育とは気が遠くなるような未来に向かっての営みなのだ。

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教育実習その2

昨日の続き。今度は母校実習でのこと。8日間という劇的に短い間だったのに、やはり挙げればきりがないほどのエピソードがある。


実習前の打ち合わせで、教頭先生から
「『校友会室の天井に▲▲参上!』ってあるけど、あれお前のか?」
と聞かれて、顔から火が出るほど恥ずかしかった。自分でなければ兄貴が書いたものだろう。


また、女の子同士のトラブルで、一人の子が特別教室の片隅で2時間も小さく座り込んでしまったときには、近くにあぐらをかいて2人で話をした。


きわめつけは実習最終日。男子がケンカをして窓ガラスを割った。しかも当事者の子の一人がそのまま帰宅してしまった。(2年くらい経って、コンビニでバイトしていた子が、その帰宅した子だった。「先生!」と声をかけてくれたのがうれしかった。)


あと、野球部の練習を見に行って、スパイクのかかとをつぶして練習していたのを見つけて怒鳴り散らしたりもしたなぁ。


付属とは違い、「普通」の中学校で体験できたというのは今にして思えば貴重な経験だった。自分の中学時代に比べれば泣かされることもなかったから、実にやりやすい実習だったのだと思う。


これも思い出が尽きない。

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教育実習

上越で授業参観をした折、大学院生の方と沢山お話しすることができた。院生さんは先週、教育実習を終えたばかりで、当日は休みだったにもかかわらず快く応対してくださった。年はかなり下なのに、なんとも人間的に大きな方だと思った。


参観した学校はその院生さんが実習をしていた学校。子どもたちも「あれ?また来たの?」「あっ○○先生!!」と彼に気づいてうれしい声をあげていた。帰り際には「○○先生、また来てね。」と名残惜しそうに声をかける小学生もいた。


     ◆


自分が教師になって8年目。それまでに実習を3回行った。大学付属の中学校、小学校、そして母校である地元の中学校。


どれもいろいろな思い出がある。


     ◆


付属小学校の実習では3年生に入らせていただいた。


実習初日に担任の先生から、だれか一人の子をこの実習中に追って見ていってみようか、と指導していただいた。今にして思えば、短く、それでいて含蓄のある「御指導」だったと思う。その頃から「子ども(たち)を見る」ということを刷り込まれていったに違いない。


実習中、子どもたちとはたくさん遊び、学習して過ごした。学年行事の川遊びにも一緒に出かけた。音楽の授業では“世界中の子どもたちが”を手話付きで歌っていたな。図工の専科の先生の授業も参観させてもらった。図工で専科がいるというのはカルチャーショックだった。


最終日、最後の挨拶。晴れ晴れとした笑顔で子どもたちに向かって話をした。そして、子どもたちからは歌のプレゼント。こらえきれない涙が後から後から頬をつたってこぼれおちていった。たった2週間だけなのに、こんなに切ない想いになるのはどうしてだろうか・・・?不思議で不思議でしょうがなかった。


     ◆


上越での授業参観で、院生さんと子どもたちとのやりとりを見て、自分の涙があふれ出てきたのが何となくわかった気がした。

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105円

上越からの帰り道。100円ショップやら古本屋やら、なかなか一人で行けなかった店に行ってきた。もちろん行き慣れた塩尻市の店だが。


古本屋で絵本を4冊購入。420円也。つまり、一冊105円。


 ○葉っぱのフレディ(童話屋)
 ○一つの花(岩崎書店)
 ○わたしのワンピース(こぐま社)
 ○おばけのバーバパパ(偕成社)


と、どれも一度は読んだことのある本ばかり。これらが全部105円。シンジラレナーイ!『星の王子さま』あたりは数百円だったけれども、自分が子どもの頃に読んだ本を買おうと思ったら、もう新品で買おうなんて気がおきない。

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