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「人格の完成」とは?

旧教基法、現教基法ともに、「教育の目標は人格の完成」とある。では、「人格の完成」とはどのような状態を指すのか・・・?


子どもたちにも「人格の完成」という言葉を言っている。それを“自分なり”に咀嚼して、言い換えて説明している。この“自分なり”というのが1つ間違うと怪しくなる。


最近思うのは、子どもたちに「人格の完成」を考えさせること。自分が悩み、考えていることを子どもたちにも伝え、ともに「人格の完成」とは何か考えをめぐらせながらいくことも1つの方法ではないかと思う。


そうすると、おそらく「大人とは何か?」という問いが新しく生まれるだろう。


池田修先生の著書にもあった言葉だが、こうなると「大人論」というものが必要になる。今読んでいる本には、
・タックスペイヤーになる
・家族を持つ
などが「自立」の条件(?)として書かれているが、「自立」と「大人になること」は少し違うのではないかという気もする。


哲学的なことになってしまうけれども、目先の“楽しさ”を考えがちな現在の学校教育にあって、考えていかなければならないことだと感じる。

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コメント

これはこれは。
大人論は、難しいし楽しいですよ。私も20年考えています。

学生たちには、
『遠足の目的地を説明できない教師は、教師足り得ない。しかし、教育の目的である人格の完成、または簡単に言うと大人になることの、大人の説明できない教師は実は多い。

だが、分かる通りこれはおかしい。教育の目的をきちんと説明するためには、実際に子どもたちにするかどうかは別にしても、大人とは何かを説明できる教師である必要がある』

なんてことを話しています。
大人論についても論文を書かなければなあと思っていますが、なかなか時間がなくて(という言い訳はダメだなあf(^^;。)

投稿: 池田修 | 2008年9月18日 (木) 午前 10時37分

池田修先生、誠に遅いレスで申し訳ありません。
先生は20年も「大人論」を考えているんですね。ようやく論の必要性に気づいた自分は、入り口に立ったところでしょうか。
最近は同僚を含めて身近な人を「大人として」という視点で見てしまう自分がいて、少々、自分が嫌気がさしています。

投稿: すみもん | 2008年10月21日 (火) 午後 08時50分

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