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モデル

昨日の「人格の完成」に関わって。


「あの人は人格者だ」という表現がある。何をもって“人格者”と評しているのか、それを考えれば「人格がある」ということが具体的にわかるような気がする。そういえば、以前読んだ本にも「人格者」という表現があったような・・・。探してみよう。


     ◆


さて、いろいろ考えていると、結局のところ「目指すべき人間像」というものが必要になってくると思われた。難しいことを言っていても、自分の狭い体験、経験の中から、“あの人のようになりたい”という願望を抱くことがある。その願望こそが「目指すべき姿」なのではないかと思った。


自分が教師としても「目指すべき教師像」というものがある。それを「目指すべき人間像」と置きかえればいいのではないか。では、その「目指すべき人間」として誰かいたか・・・?


両親、・・・「目指すべき」という表現では当てはまらない。
友人、・・・人として器がでかいなぁと思う友人はいる。
先輩、・・・教師としては何人もいるが、人としては考えたことがない
後輩、・・・???


こう考えてみると、一人の人からというよりも、今まで出会った人々から、いろいろな場面での「目指すべき姿」を学び取っているように思う。


それならば、より多くの人と接していくことで、自分の中での「目指すべき人間像」がおぼろげながらつかめるということか。


大人になるというのは、その「目指すべき人間像」を自分で見つけていくことなのだろうか?


しかしながら、このように考えると、幼くしてロールモデルを見つけたならば、もう大人になったということになってしまうか。


う~ん、奥が深い。

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