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2008年9月

異学年

土曜日出勤の代休を利用して新潟県上越市へ。
小学校の異学年授業を参観させていただいた。


「おもしろい」の一言。


子どもたちが学年関係なく学び合っている。
もちろん、同学年で固まっている子たちもいる。
下学年の子が上学年の子に聞いている。
上学年の子は、「どう教えればいいかなぁ」という表情で言葉を選ぶ。


先生方が子どもの姿を共有して語り合っている。


校長先生が子どもたちの姿をじっくり見て、子どもたちのすごさを信じている。



当たり前にやることこそ難しいと思っている自分でさえ、このレベルの高さを「当たり前」にやっている姿がとっても「おもしろかった」。あのような姿が、学校社会ではなく一般社会では普通なのではないだろうか。

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サッカー

昨日のエントリーを打っていたら、自分の保育園の頃を思い出した。


じいちゃんと登園していたこと。
年中さんぐらいのときにホームシックになったこと。
お昼寝が大嫌いだったこと。というか寝たふりをしていたこと。
おやつのフォークを取り合ったこと。


などなど。


     ◆


息子の通う保育園では外遊びに使えるボールがないが、自分が通った保育園では狭い園庭でサッカーをよくやっていた。狭い園庭で、さらには隣にプールがあった。さらにさらに、その隣は墓地になっており、園は墓地より十㍍ほど高いところにあった。


こんなところでサッカーをやろうものなら、ボールはすぐにプールの中へ。それならまだしも墓地へ飛んでいくこともしばしば。


そういやぁ、よく保育士さんに言ってボールを取ってもらっていたな。


     ◆


昼寝が嫌いだったから、年長時に進学準備として午睡がなくなったときにはうれしくてうれしくて。ひたすら外で思い切り走り回って遊んだ。思い切りサッカーをやっていたから、鉄柱に頭をぶつけた。


     ◆


人間は生涯睡眠時間というものがあるのだろうか。今になって昼寝ばかりしている自分がいる。

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保育園運動会

今日は長男の保育園運動会。
今年は次男が来入園児として、自分は保護者会の役員として初参加。そのぶんビデオを撮ることは少なく、園児たち全体を見る場面が多かったように感じる。


長男を見ることがどうしても多いけれども、それはそれで帰宅してからビデオを見れば済むことなので、全体はライブでしか見られない。その全体の中での息子の動き、友だちとの関わり、他の園児の動きを見るのは実におもしろい。


     ◆


運動会終了後にもらったキャンディーボール。帰宅後すぐに使い始めて、さっそくサッカーの練習になった。


どうしてもボールを使う機会が少なくなってしまうので、今回のボールのプレゼントは最高の贈り物だった。


園でも外でボールを使って遊ぶ子が増えるといいな。

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悩むということ

内田樹氏のブログを見て、今の自分でいいのかもしれないと思った。
むしろ、かつての自分のように『学び合い』まっしぐらすぎて他をよせつけない自分の方は危険だとも感じた。

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36 発達障害の子どもたち  その3「自尊感情」について

またまた『発達障害の子どもたち』(杉山登志郎、講談社現代新書)より。それだけ学びが多かったということだ。


すべての子どもにとって、健康なそだちに普遍的に必要なものは何かということを考えてみると、愛着者から与えられる肯定感と、自己自身が育む自尊感情の二つではないかと思う。この自尊感情とは空想的な万能感の対極にあるものである。自分の万能感を乗り越え、しかしその上でなお、自分もそこそこにやれているという実感である。筆者はこの二つがすべての子どもたちに保障されることを願うものである。
(本書pp.212~213より引用)


「自尊感情」は大事だと思う。ただ巷で言われている自尊感情というものに合点がいかないでいた。子どもたちをあるがままに受け止めて(そのままで良いと受け止めて)、それでいいんだよというニュアンスを感じていたからだ。自分勝手な解釈だったのかもしれないが、引用部分にある、
>この自尊感情とは空想的な万能感の対極にあるものである。
という表現が今回読んでみて自分にフィットしたのだ。


>自分の万能感を乗り越え、しかしその上でなお、自分もそこそこにやれている
という感情が自尊感情なのだとすると、「あるがままを受け止める」のではなく、苦手なもの嫌いなものがある自分でも、その苦手なもの、嫌いなものを克服するために努力をすれば「自分もやれる」という実感が自尊感情ではないか。


その「努力」や「頑張り」を放棄してしまわないように、ハードルが低いうちにそのハードルを越えられる体験を積ませてやりたいと思うのだが・・・。


「いいんだよ、それで」と言われて育った子が、高学年や中学校で挫折する姿を見たくないものだ。

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36 発達障害の子どもたち  その2「自閉症」について

『発達障害の子どもたち』(杉山登志郎、講談社現代新書)の続きである。


自閉症(本書では「自閉症グループ」と呼んでおり、高機能自閉症も含んでいる)について知っているようで知っていなかったかもしれないことが書かれていた。


先に自閉症の認知特徴を三つに絞って述べた。第一に、情報の中の雑音の除去ができないこと。第二に、一般化や概念化という作業ができないこと。第三に、認知対象との間に、事物、表象を問わず、認知における心理的距離が持てないことである。このそれぞれに対して工夫をすることが治療教育のコツとなる。
(本書p91)


つまり、

   ≪自閉症の認知特徴≫
①情報の中の雑音の除去ができない
②一般化や概念化という作業ができない
③認知における心理的距離が持てない


とまとめられる。



本書ではそれぞれの問題への対応が述べられていた。


①同時に二つの情報を出さないことであり、とりわけ知的障害を伴った自閉症の場合、雑多な情報があふれるところでは、立ち往生してしまう。例えば、手を握りながら話しかければ、握られた手の知覚入力だけであふれてしまい、言われたことはまったく入らなくなる。そのため、言うときは言うだけ、見せるときは見せるだけ、触れるときは触れるだけ、とするとよい。
ただし、重度の自閉症の子どもにはみだりに触らない方が無難である。また、高機能者グランディンによれば、印刷物にしても白紙に黒いインクではコントラストが強すぎて、著しく読みにくいのであるという。これが紙に薄い青なりピンクなり色がのっている場合にははるかに読みやすくなるという。


②自閉症児の場合、何度も体験したからといって徐々に慣れてくるということが期待できないところがある。また、一般化ができないこともあって、変化に対しては常に強い抵抗が生じる。要するに混乱してしまうのである。予定を変更せず、どうしても変更が必要なときには必ず予告を行うようにする。


③第三の問題は、見通しを立てることの困難につながる。知的に高いグループにおいてもきわめて苦手な予測に基づく行動修正や予定の変更などの困難を克服する方法がある。現在広く用いられるようになったのは、スケジュールカードなどによって、見通しの立てにくさをカバーし、行うことを直線上に並べるという対応方法である。

(pp.92~93より抜粋)


「一時に一事の法則」など当たり前のことでもあり、自閉症児にかかわらず、教育活動では大事なことばかりであった。

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36 発達障害の子どもたち  その1「自立」について

『発達障害の子どもたち』(杉山登志郎、講談社現代新書)を読んだ。地元の書店で衝動買いした一冊。ただ、ずっと「積ん読」状態だった。


読書ノートに4ページもメモをするほど、学びが沢山あった。
まずは「自立」という点について。


     ◆


大人になるということを意識しているからか、目についた所。


そだちの終着点とはどこにあるのだろうか。自立にあることは疑いないだろう。では自立とはどのような状態であろうか。古来、自立についてさまざまなことが言われてきた。(略)


筆者としてはここは単純に、次の三つを自立の目標にしたい。


①自分で生活できる。
②人に迷惑をかけない。
③人の役に立つ。


こうして単純化させてみると、仕事を得てタックスペイヤーになり、さらに社会的なルールを守ることができていれば、自立という課題は達成できたということになる。


(本書pp.32~33より引用。ただし、箇条書き部分は引用者による変更あり)


「大人になること」と「自立すること」は同義ではないと思うが、「自立」という観点からの学びがあった。この筆者の観点からすると、大学生の多くは自活という点では「自立」できていない。

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40度

長男が高熱を出した。久しぶりだ。


先週は次男が39度まで出したので、それがうつったのだろう。
今日の相撲大会中には40度を超えたという連絡が入った。


さすがに40度を超えると、ビビる。
普段は病院になんか行かせなくていいと思っているが、さすがにこの熱だと連れていったほうがいいと率先して妻に訴える。


何事もなければいいが。

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MRI

今日は運動会の振替休業。この機会を逃すものかと右ヒザの診察をしてもらいに総合病院に。


8時25分に着いて、途中レントゲンを撮って、診察が始まったのが11時過ぎ。くたびれた・・・。


あんまり総合病院にかかることがないので、ちょっと不慣れな自分。レントゲンを撮ったところで何もわからないと知っているのに、撮らなければならない葛藤。いきなりMRIを撮ってくれればどんなに楽だろうと思うのに・・・。


仕方がないから次回MRI撮影の予約だけして病院を後にする。その日は研究授業のある日。午前中だけ予約を取ることができるのだろうか?

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のんびりと

昨日は運動会をすることができた。まずはひと安心。


慰労会も一次会で帰宅して、今日は野球の試合へ。
運動会の片付けのとき、お誘いをいただいたのだった。


で、今こうしてキーボードを叩いているということは・・・、
そう、負けてしまった。


おかげで(という言い方は変だけど)、自宅でのんびりと過ごせそうだ。

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ゲーム

夏に兄のところへ遊びに行き、姪っ子がニンテンドーDSを貸してくれた。


以前は「ゲームなんて・・・」と思っていた自分。『ゲーム脳の恐怖』とか斜め読みをしたり、1日2時間のテレビ視聴やゲームで1年間の学校での授業時間を越えてしまうとか考えたりした自分。


ただ、ゲームは大人にとってのアルコールと同じとらえをしてきた。


つまり、やりすぎたら毒だけれども、少量をうまくたしなめば活用できるのはないか、と。


ましてや、ゲームを学校現場で活かそうという取り組みも生まれてきている時代だ。ゲームに「支配される」可能性を危ぶむよりも、能動的に「使いこなす」術を身につけることの方が大事だと思うようになってきた。


そこへきて、この記事。こういうデータも出るだろうなぁと思っていたら、忘れた頃にやっぱり出てきた。物事には功罪があるのだな、改めて実感。


冬のボーナスが出てきたら、真剣に購入を検討しそうだ。

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七五三

長男は今年五歳。もうすぐ七五三だ。
「タキシードを着たい。」
と言い出した。どうするか思案中である。


自分の時を思い出す。


実家の近くの神社で千歳飴の袋を持った写真を見た記憶が・・・。それよりは、実際に長~い千歳飴を食べた記憶の方が色濃く残っている。


     ◆


今は写真屋で記念撮影をするのが当たり前なのだろうか?


折り込みチラシに入ってくる地域情報にもその手の類のものが目につくようになってきた。う~ん、どうなんだろう?面倒のような、ちゃんとやってあげたいような。


基本に返って、七五三とはなんなのかをまず調べてみよう。

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モデル

昨日の「人格の完成」に関わって。


「あの人は人格者だ」という表現がある。何をもって“人格者”と評しているのか、それを考えれば「人格がある」ということが具体的にわかるような気がする。そういえば、以前読んだ本にも「人格者」という表現があったような・・・。探してみよう。


     ◆


さて、いろいろ考えていると、結局のところ「目指すべき人間像」というものが必要になってくると思われた。難しいことを言っていても、自分の狭い体験、経験の中から、“あの人のようになりたい”という願望を抱くことがある。その願望こそが「目指すべき姿」なのではないかと思った。


自分が教師としても「目指すべき教師像」というものがある。それを「目指すべき人間像」と置きかえればいいのではないか。では、その「目指すべき人間」として誰かいたか・・・?


両親、・・・「目指すべき」という表現では当てはまらない。
友人、・・・人として器がでかいなぁと思う友人はいる。
先輩、・・・教師としては何人もいるが、人としては考えたことがない
後輩、・・・???


こう考えてみると、一人の人からというよりも、今まで出会った人々から、いろいろな場面での「目指すべき姿」を学び取っているように思う。


それならば、より多くの人と接していくことで、自分の中での「目指すべき人間像」がおぼろげながらつかめるということか。


大人になるというのは、その「目指すべき人間像」を自分で見つけていくことなのだろうか?


しかしながら、このように考えると、幼くしてロールモデルを見つけたならば、もう大人になったということになってしまうか。


う~ん、奥が深い。

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「人格の完成」とは?

旧教基法、現教基法ともに、「教育の目標は人格の完成」とある。では、「人格の完成」とはどのような状態を指すのか・・・?


子どもたちにも「人格の完成」という言葉を言っている。それを“自分なり”に咀嚼して、言い換えて説明している。この“自分なり”というのが1つ間違うと怪しくなる。


最近思うのは、子どもたちに「人格の完成」を考えさせること。自分が悩み、考えていることを子どもたちにも伝え、ともに「人格の完成」とは何か考えをめぐらせながらいくことも1つの方法ではないかと思う。


そうすると、おそらく「大人とは何か?」という問いが新しく生まれるだろう。


池田修先生の著書にもあった言葉だが、こうなると「大人論」というものが必要になる。今読んでいる本には、
・タックスペイヤーになる
・家族を持つ
などが「自立」の条件(?)として書かれているが、「自立」と「大人になること」は少し違うのではないかという気もする。


哲学的なことになってしまうけれども、目先の“楽しさ”を考えがちな現在の学校教育にあって、考えていかなければならないことだと感じる。

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古本屋にて

ブックオフへ行き、新書数冊、文庫4冊、単行本16冊を買い取ってもらった。


総額2190円なり。


1600円で買った本が100円あまりで買い取られるというのは悲しいが、逆に言えば古本屋を上手に活用すれば、安く、多くの本を読めることを改めて実感した。


     ◆


嫁さんが運転免許更新中にブックオフへ行ったので、息子たちを連れての来店。買い取りの審査(?)の間、児童書コーナーに直行。なんとも目ざとく自分たちの本を見つけるものだ。


過去の仮面ライダー系の本が一冊100円で売られていた。普段、絵本を買ってやることは多いが、ヒーロー物の本や雑誌を買い与えることは自分はしない。(それはお母さんがよくやる)今回は「100円」という値段にもつられて容易に交渉成立。長男はファイズの、次男は龍騎の本を選んだ。


息子たちは大満足だったらしく、「別の店で絵本を買おう」という話をしていたら、長男が、
「ぼく、今日はいい。買ってもらったから。
 お父さんとお母さんの行きたい店に行って。」
と言い出した。


ちょっぴり、長男が頼もしく思えた。


     ◆


ちなみに、古本屋では他に、
『エルマーの冒険』(R.スタイルス G.、R.クリスマン G.、渡辺茂男訳、福音館書店)を250円で、
『ごんぎつね』(新美南吉 文、箕田源二郎 絵、ポプラ社)を400円で、
『おふろやさん』(西村繁男、≪こどものとも≫傑作集)を200円でゲット!


名作を元値より安く手に入れられるというのはうれしい。


そういえば、以前もブックオフで『泣いた赤おに』を手に入れた。(今でも長男が「読んで」と寝る前の読み聞かせに選ぶことがある。)



     ◆


古本屋では20分ほどだったか。



でも、プライスレスな時間だった。

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35 仕事道楽

『仕事道楽』(鈴木敏夫、岩波新書)を読んだ。


インタビューをおこした文体なので、とっても読みやすかった。岩波新書ってこんなに薄かったけ?とも思った。


さてさて、本書の副題は「スタジオジブリの現場」。そう、著者はスタジオジブリのプロデューサー。顔も見たことがある。


ジブリのこともよくわかる一冊だけれど、著者の周りにいる宮崎駿、高畑勲、徳間書店社長など、個性あふれる人々が面白かった。もっと自分もわがままに生きてもいいのかなぁとさえ思えた。


     ◆


カメラのファインダーを通しちゃうと記憶に残らないから、自分の目で見て残る物を大事にしたほうがいいのかなと。
(本書62~63ページ)


陰山先生の本で「運動会ではカメラでわが子を追いかけない」という言葉で書かれていたことを思い出した。


記憶は得てして曖昧なものだ。曖昧なものだけに、時が経てば経つほど薄れていく。薄れていくけれど、その中でも鮮明に残る記憶もある。そういう記憶が自分の人生を豊かにしてくれるような気がする。

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クリアスクラップブック

連休初日、たまりにたまった雑誌の整理をした。


ビジネス雑誌、パソコン雑誌、フィットネス雑誌などなど、すべて背表紙部分を裁断機で切り取って、不要なページは束ねてリサイクルへ。必要なページをまとめておいて、買ったきりそのままになっていたクリアファイルにスクラップした。


おかげで何十冊もあった雑誌がファイル数冊分におさまり、その厚さ約8センチ。スッキリ!!

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休日

この3連休は久しぶりに予定がない。8月から数えても初めて何もない週末になる。これでようやく体の疲れを癒せる。


昨日は家の片付けで終えた。たまりにたまった本を古本屋に売ることを決意。引用する必要の無い本、自分の記憶が浅い本は一斉処分。文庫本も『ハゲタカ』はもう読まないよなあと思い処分。夜は、3連休で唯一予め決まっていた地域の集まり。


そして、今朝は軽い二日酔いになりつつも、しっかり仮面ライダーキバを見られた。最近は話がどんどん複雑になってきて、それでも今までわからなかった部分がわかってきて、目が離せなくなってきている。今日も見逃さなかったことにひと安心。


さぁ、これからは息子たちの散髪に、妻の運転免許更新にかかる子守に、運動会準備のための買い出しに、ブックオフに行って本の処分にと、家のことをたっぷり済ませよう。

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歯みがき

最近、歯みがきをきちんとできる。


不潔なのではない。給食後にそんな時間がとれないからだ。


今は、子どもたちの「食べる」「片付ける」が一連の作業になっていて、全部片付けるのを見届けたとしても、十分な時間があって、教室に戻って歯を磨くことができる。別に全部が終わるまで子どもの仕事にしてもいいのだと思うが、プリントの答え合わせをしたり、些末な仕事の確認をしたりする時間としては給食後が最適である。


それらをやったとしても時間が余るのだから、子どもたちの成長はすごい。あとは「みんな」が時間までに食べて、歯を磨いて、清掃に取りかかれるようにすることだ。

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電話

昨日、前任校の同僚から電話があった。
研究授業が終わったという話、自分が前任地へ行ったという話、短時間でいろんな話をした。
用件は文化祭のPTA展についての質問だった。まだ(?)2年しか経っていないんだ、あれから。


     ◆


中学校は今は文化祭準備に忙しい。現任校の中学生も同じだろう。
自分はたった一期とはいえ、中学校現場を経験できたことは今にして思えば大きな財産だ。いろいろ大変な学校ではあったけれども、肥やしになっていると思う。また、小学校現場も俯瞰的視点から考えることができているとも思う。


中学校は特に文化祭で子どもたちが大きく成長する。
2年前は中3担任だったこともあり、いろいろな姿を見ることができた。


文化祭準備中、実行委員長が不安定になったこと。
自分が出張先から学校に電話を入れたら、学年主任から報告があり、そのまま「彼」とドライブ。夜の11時まで公園で話を聞いた。


そしたら次は副実行委員長が体調を崩して入院。体調というよりも気苦労が多かったのだろう。


今度は、ある子が別の子を殴った、という「事件」。
準備中にちょっとしたはずみで起きたケース。


いずれも自分のクラスの子たち。いやぁ、ざっと思い返しただけでこんなにあるとは。


そういえば、文化祭前々日になって、
「先生、閉祭式のビデオを作ってください。」
とも言われた。


仕方がないから、前日に構成を練って、文化祭1日目の夜は学校で朝を迎えて、2日目の全校レクの編集をして挿入するだけにしあげた。お願いしてきた子も朝6時30分には登校してきた。


いやぁ、尽きない。

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県教育振興基本計画(仮称)≪素案≫

県教育振興基本計画(仮称)≪素案≫を県教委のHPからダウンロードして読んだ。県の教育に対する姿勢を感じつつ、教基法が新しくなって、策定を義務づけられていることも改めて知った。


驚いたのは、本県に外国籍の方が多く住んでいること。はじめ資料を見たときに日本全体に4万人かと思って受け止めてよく見たら、県内だけの数字だった。


『ニッポンには対話がない』で読んだ内容ともリンクして、近い将来、教室が多文化社会になることを痛感。いまのうちから心づもりをしている方がいいと思った。


少なくとも、
「外国籍の子が増えて大変!」
などと愚痴を言う教師にはなりたくないものだ。

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34 佐藤可士和の超整理術

『佐藤可士和の超整理術』(佐藤可士和、日本経済新聞出版社)を読んだ。この人がデザインしたケータイを使っている自分。ケータイを買うまで知らなかったけれども、知れば知るほどいろんなデザインを手がけていることに驚き続けている。そして、オフィスがスッキリしていることも雑誌で見た。

夏休みに本屋で手にしたときも買おうか悩んだあげく買わなかった。結局amazonで購入することになるとは・・・。

読後の感想。
「整理術と言うよりは、物事の本質をとらえるための本だ」
と思って、表紙を眺めたら、

“KASHIWA SATO'S Ultimate Method for Reaching the Essentials.”

とあった。「なあんだ、やっぱりそうか。」である。

もう一つ、読みながら思ったこと。それは、「この人が学校教育をデザインしたらどうなるだろう」という想い。このこんがらがった現在の学校教育を、もっと突き詰めてシンプルにしていったら、我々学校現場で働く者の課題もはっきりするのではないかと感じたのである。基礎・基本も、表現力も、コミュニケーション能力も、そして食育も・・・。こんなに色々お上から言われても対応しきれない。こんなに沢山あったとしても、やはり根源にある願いはもっとシンプルだと思う。

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33 ニッポンには対話がない

『ニッポンには対話がない』(平田オリザ、北川達夫、三省堂)を読んだ。電車の中で読みながら、揺れながら、付箋紙をつけた。そして、付箋紙の数が尋常ではなく多くなった。


表現教育の劇作家の平田氏、フィンランド教育に詳しい北川氏、どちらも京都の「明日の教室」で講師をされたことのある方々。本を読んで「明日の教室」に参加しなかったことを悔やんだ。


とかく表現力だとか、PISA学力の向上にむけてフィンランドメソッドなどが注目を浴びているけれども、お二人に共通しているのは目の前のことに対して何かを行おうとする対処療法ではなく、もっと長いスパンで日本を変えていくしかないだろうと根治療法を目指している姿だった。


最終章の<移民社会への秒読み>は実に興味深い。でも、よくよく考えてみれば自分が小中学生の頃は日系ブラジル人の友人はいなかったのに、今では本県のような地方都市にでさえ日系ブラジル人の子どもなど外国籍児童生徒は当たり前にいる。そして、少子高齢化社会に突き進む今の日本からすると、もう、すぐ、近い将来に多国籍学校が当たり前になると思うのは不思議なことではない。そんなことを著者のお二人はすでに考えていて最後の最後に北川氏が述べた言葉が重く感じた。


ただ、どのような選択肢をとるにせよ、そういった未来における世界の変化、日本社会の変化に対応していかなければならないのは、わたしたち大人ではなく、わたしたちが育むべき子どもたちであることを忘れてはいけない。これから子どもたちは、わたしたち大人が経験したことのない世界を生きていくことになります。それにもかかわらず、そういった変化に対応できるような準備をさせることなく、そのまま子どもたちを世界へ放り出すのは、大人としてあまりにも無責任だと思います。
                          (本書198ページより引用)



そして、子どもたちが社会に放り出される前に通るのは「学校」である。

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32 こころ

『こころ』(夏目漱石、新潮文庫)を読み終えた。中学だったか、高校だったか、かつて読もうとして、途中、挫折した一冊。夏休みに実家へ帰り、本屋でふと目にしたときに買った。


おもしろかった。


まさに「こころ」だった。


私、先生、私の父など、登場人物の心情を慮れるようになった自分にも気づいた。だからこそ読み通せたのかもしれない。昔に読んでおけば、昔気づかなかったことに気づくという自分の成長を実感できたかもしれないと思うと、きちんと読まなかったことを後悔する。


     ◆


「K」と「お嬢さん」への想いを綴った先生。そして、「先生」と「父」への想いの違いに気づきつつ、「先生」に会おうと駅に疾走した私。似たもの同士だったのかなぁという感想を抱いた。


     ◆


しかし、この年になってようやく『こころ』がおもしろい感じる自分って幼いと思う。そして、このような小説が新聞に掲載され、国民的な作家として漱石が存在していた明治・大正初期の日本はなんて教養のある国だったのだろうと思う。

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電車で帰省

土曜日は朝早くから地区の祭りの準備。6時からという時間はやはりどんどん前倒しになっており、6時の放送が鳴る頃には準備も中ほどだった。

前日に家族が実家へ帰っていたこともあり、子守りをしなくてはいけない用事もあり、かつ、岡谷で組合の県委員会もあり、電車で帰省することになった。折しも諏訪湖の新作花火大会があったせいか、電車は大混雑。塩尻までずっと立って読書をせねばならなかった。

電車に乗って帰省するのは初めて。おかげで読書がはかどった。

電車を待つ間、駅のホームの石にこしかけて『こころ』を読み終え、電車に乗ってからと乗り継ぎの間、そして実家の駅に到着するまでに『ニッポンには対話がない』を読み終えた。

ちなみに、花火大会があったがために、県委員会からの帰路も電車を利用。その間には『佐藤可士和の超整理術』もほとんど読めた。

電車は移動もできて本も読める快適な「図書館」だった。

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一人風呂

犬のこともあり、家族は昨日のうちに実家へ。
結局、今日は電車で実家へ行かなくてはならない。

そのことに気づいた昨日の夕方、昨日のうちにレンタルCDも返さなくてはいけないことにも気づき、I市へ行くことにした。どうせ行くなら風呂にも入ってしまおうと思い、大芝の湯へ。

久しぶりに一人で温泉を満喫。普段は入れないサウナに3回も入ってしまった。いやぁ、体中の汗を出し切った感じ。気持ちよかった!

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愛犬との別れ

昨夜、子どもたちを寝かしつけているとき(自分が寝かしつけられているとき)に妻のケータイ着信音が響いた。義母からだった。2匹いる犬のうち、親犬が息を引き取ったとの連絡だった。具合が悪く、盆にかえったときも自力で立ち上がれなかったから、弱くなったなぁとは思った。もう17才ぐらいだったから老衰だったのだろう。

「彼」と会ったのは15年前。わけがわからぬ騒々しい犬だった。その割には上品だった。親になってからは落ちついたのか、むやみに吠えることはなくなって、かわいく思えるようになった。自分にとっても愛犬だった。

明日、妻の家に帰ることになっていた。亡骸に会うことはできないだろうが、せめて冥福を祈ってきたい。

長男がつぶやいた言葉が耳に残っている。
「○○○に会いたかったなぁ。」
そうだよなぁ、お前はよくかわいがっていたから。
長男にとっては、初めて経験する身近なほ乳類の死である。

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エビガラスズメ

現在、2008年9月4日(木)、19時38分。
こんな時間にネットにつないでいるのは珍しい。

なぜか?

家にいる青虫が、なんの幼虫なのかネットで調べたから。

     ◆

先日、自家菜園とでも言えないような畑にあるサツマイモの葉に青虫がくっついていた。それを虫かごに入れて「大事に」育ててきた。

今日は自分が帰宅して(19時ちょうど)、みな夕飯を食べ終えていたので時間的に余裕があった。しかも、カブトムシやらアゲハチョウやらの話題になり、その流れで「じゃあウチの青虫はなんの幼虫か?」となった。

自分は以前から蛾の幼虫だと思っていた。アゲハチョウになってほしいというひと筋の光明に期待してもいたが。

     ◆

まずは家にある「こんちゅうずかん」で調べた。しかし、不明のまま。それじゃあネットで調べるしかないな、とことん調べてやろう、ということで検索。

きっずgoo 図鑑

にヒットして、そこからチョウで検索。そして、出てくる画像と我が家の青虫を見比べながら、長男と
「これだよ。」
「ちがう。」
と言い合いながら、とある画像を見て、

「これだっ!」

と2人で声が合った。それがこのエビガラスズメ

あぁ、スッキリしたような、気持ちが悪いような、知らぬが仏だったような、なんとも複雑な心境。

さて、この青虫どうするか・・・。

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寝る

ここのところの疲れがたたって、昨夜は20時30分に就寝。

息子たちの、
「戦いしよ。」
のお誘いには、ほんのちょっとした付き合えなかった。許せ、昨日のバルタン星人はかなり弱っていた。

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まだできる

今年はプールをまだやっている。
先週は天気が悪かったので、今日ぐらいまでやりたい。


例年、運動会の練習が始まると、太陽が意地悪に思えた。
なんでプールの時にもっと照ってくれなかったのか、と。


今年は<運動会の練習+プール>でいっているから、
そんな想いは相殺されている。


ちなみに昨日の気温、30℃。水温25℃なり。

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過去を一気に振り返る1日

昨日は下伊那の例会へ。

金曜日、初任校の保護者からメールが。自分の前任地の市立体育館でミニバスの大会があるとのこと。挨拶状を全員にきちんと出していないから、まだ下伊那にいると思われたらしい。まぁ、もともと下伊那に行くつもりだったのでちょうどよかった。

・・・ということで、

午前中に家を出て下伊那へ。すぐに子どもたちがわかった。5年経っているけど、顔は変わっていなかった。背はかなり伸びていたけど。双子の子たちもなんとか見分けることができた。

体育館を出て、待ち合わせの場所へ歩いて向かったら、前任校の卒業生とバッタリ。
「えぇぇ~、何でこんな所に。髪型が全然違うからわかんなかった!!」
そりゃあ驚くよなぁ、いるはずのない人間がいきなり目の前に現れたら。

そんなこんなで初任校、前任校で担任した子たちに会い、『学び合い』もしっかり勉強できて、過去を一気に振り返りつつ今をしっかり見つめられる1日だった。

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