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「大きなこと」

長崎・佐世保の銃乱射事件に関して、どうにもこうにも想いが募ることがあったので、ブログに残しておきたい。

Yahoo!のトップページに見出しがあった、

「乱射容疑者『大きなことできる』」の
「大きなこと」がとても引っかかった。
(詳細は毎日新聞WEBをご覧下さい。)
http://mainichi.jp/select/jiken/sasebohappou/news/20071218k0000e040086000c.html

「大きなこと」って、何でしょう?

新聞に顔や名前が載ることでしょうか?

それとも、一攫千金でしょうか?

去年か一昨年あたりに鍵山秀三郎さんの『凡事徹底』()を読んだ。細かな記述までは覚えていないのだけれど、当たり前のことを当たり前にできることこそが美しいのであり、それが「大きなこと」だと感じた。

実は、この『凡事徹底』を読む前に、ネットで鍵山さんのことや本のことを調べてみた。その中に以下のように書かれているものがあった。(うろ覚えです。該当のHP作成者の方、スミマセン)

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~鍵山さんがどこか外国だったか(中国だったような)、日本のどこかで講演をしたときのエピソード~

質問者「私は大きなことを成し遂げたい。鍵山さんのように、道に落ちているゴミを毎日拾い続けることが大きなことにつながるとは、あまり思えない。」

鍵山氏「では、あなたは大勢の人が通る往来で、道に落ちているゴミを拾うことができますか?」

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この会話はあくまでも記憶の片隅にあるものだが、自分はこれを読んだときに「う~~~~ん。」と唸りたくなる気持ちになった。

大金をかせぐ、有名人になる、という類の次元を超えた、人としての「大きさ」のようなものを感じたのを覚えている。

だからこそ、どうしても『凡事徹底』が読みたくなり、できることなら鍵山さんに学校のPTA講演会という小さな集まりにでもお越しいただきたいと、ずーーーっと思っている。

そして、学校では清掃をすごく大事にしている(つもりでいる)。

ひるがえって、佐世保の事件の容疑者の(言ったと思われる)「大きなことができる」というコメント。これがどうしても解せない。

彼が受けてきた「教育」において、きっと誰かが鍵山さんのエピソードに似たことを伝えているはずだ。それが無いとしたら、可哀想だ。
また、彼があんなこと(と言っては被害者の方に申し訳ないが)で「大きなことができる」と思うに至ったのはなぜなのか、そう思うようになってしまったことこそが可哀想でならない。

別に加害者を同情しているわけではない。むしろ憤りすぎて、哀れみを抱いているといった方が正しいのだと思う。

こういう悲惨な報道を知るたびに、自分の関わってきた子どもたちがこのような事件の加害者や被害者になってほしくないなぁと思う。

そこんところが、鍵山さんと違って自分のちっぽけなところだ。

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